トッケイは七度鳴く の商品レビュー
糧秣(りょうまつ): 軍隊で、人と馬の食物 誰何(すいか): 相手が何者かわからないときに、呼びとめて問いただすこと。 鬻ぐ(ひさぐ):売る 鹵獲(ろかく): 敵対者が戦地などで相手方の装備する兵器などを奪うこと。 蜷局(とぐろ): 渦巻状に巻くこと 戦争という非日常の中での兵...
糧秣(りょうまつ): 軍隊で、人と馬の食物 誰何(すいか): 相手が何者かわからないときに、呼びとめて問いただすこと。 鬻ぐ(ひさぐ):売る 鹵獲(ろかく): 敵対者が戦地などで相手方の装備する兵器などを奪うこと。 蜷局(とぐろ): 渦巻状に巻くこと 戦争という非日常の中での兵士と慰安婦との恋がこんなにも心揺さぶられるものだとは。 現在の人が祖父の戦争時代での話を探すというのは永遠の0にも似たような構成だったが、慰安婦問題の誤解がどのように生まれてるかまで繋げた話が進んでいき、最後に全て繋がる構成は読んでいて爽快。
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ぜひ色々な人に読んでほしい作品。 一兵卒の戦場の現実。 誰も知らないビルマの激戦。 戦友との辛く厳しくも心温まるやり取り。 慰安婦問題の真実。 全て大事な要素だが、この作品は勘助と夏子の純愛に尽きる。握り飯を抱えてタコツボに通う場面は悲惨だが限りなく美しい。 下手なラブロマンスの...
ぜひ色々な人に読んでほしい作品。 一兵卒の戦場の現実。 誰も知らないビルマの激戦。 戦友との辛く厳しくも心温まるやり取り。 慰安婦問題の真実。 全て大事な要素だが、この作品は勘助と夏子の純愛に尽きる。握り飯を抱えてタコツボに通う場面は悲惨だが限りなく美しい。 下手なラブロマンスのドラマや映画を観るくらいならこの作品を読む方が良い。 久しぶりに涙した佳作でした。
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一般的にあまり知られていないビルマでの戦争のお話。煽り文句から最後どうなるのだろうとわくわくして読めた。過去と現在、現在でもいくつかの視点が分かれていたが、最後上手く繋がっていったと感じた。あくまで現在から見た戦争の話であったところが読みやすかった。フィクションだからではあるが、...
一般的にあまり知られていないビルマでの戦争のお話。煽り文句から最後どうなるのだろうとわくわくして読めた。過去と現在、現在でもいくつかの視点が分かれていたが、最後上手く繋がっていったと感じた。あくまで現在から見た戦争の話であったところが読みやすかった。フィクションだからではあるが、最後は上手くいきすぎだとは感じた。
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戦争物は辛く悲しいのであまり読めない。このお話は事実と主張とフィクションが織り混ざっているが、愛情や友情、人を愛することの尊さが1番に伝わった。
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読み物としておもしろい。表紙の煽り文句はいただけない。 過去の出来事を正当化するわけでもなく、自虐化するでもない道はないのかな。世の中良い悪いの2択で迫れば、悪い側に集まるだろうね。
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従軍慰安婦の強制連行は見解の分かれる大きな政治問題である。「この物語はフィクションであり、実在する団体・個人とは一切無関係です」とあるが、現実の出来事を下敷きにしている面もあり、賛否の分かれる慰安婦に対する一つの主張を前面に出す内容になっている。この主張を許容できるか否かで本書の...
従軍慰安婦の強制連行は見解の分かれる大きな政治問題である。「この物語はフィクションであり、実在する団体・個人とは一切無関係です」とあるが、現実の出来事を下敷きにしている面もあり、賛否の分かれる慰安婦に対する一つの主張を前面に出す内容になっている。この主張を許容できるか否かで本書の評価も変わるだろう。小説で主張を敷衍させる手法は方法論として興味深い。 その主張内容は必ずしも支持できない。ビルマに従軍した祖父が接した慰安婦の経験から従軍慰安婦全体について不幸ではなかったと言うことはできない。個人体験にないことを根拠に世の中に存在しないと否定することは狭い見識になる。 日本軍が朝鮮人をだましたのではなく、朝鮮人が朝鮮人をだまして慰安婦にしたとしても、日本軍の駐屯地に慰安所というシステムがあるだけで国際的な人権感覚から十分に批判される。朝鮮人が朝鮮人をだましたとして、それは日本と無関係な朝鮮人社会の出来事にはならない。当時の朝鮮は日本の植民地であり、日本の統治の欠陥として跳ね返る。 本書のエピソードは奇麗な話かもしれないが、ブラック企業の中にある数少ない人情味のあるエピソードを切り出したような印象を受ける。日本軍は悪逆非道なことしかしなかった訳ではなく、本書のようなエピソードもあっただろうが、それを全体像にはできない。 戦争賛美になるのではないかと物議を醸した作品に、百田尚樹『永遠の0』がある。しかし、『永遠の0』は「日本軍には最初から徹底した人命軽視の思想が貫かれていた。そしてこれがのちの特攻につながっていったに違いない」という批判もある(百田尚樹『永遠の0』講談社文庫、2009年、326頁)。 これに比べると『トッケイは七度鳴く』は奇麗にまとめられており、むしろ『永遠の0』以上に物議を醸しかねない。とはいえ批判する側にも御都合主義がある。『永遠の0』への批判も内容を読んでのものではなく、作者の政治的主張の強烈さ故に批判された面が多分にある。 政治家の「秘書がやった。自分は知らない」という責任逃れは与党政治家の十八番だろう。これを野党政治家に行わせる『トッケイは七度鳴く』は攻守を倒錯させた印象操作とみる向きもあるだろう。一方で日本の左派の冷たさから現実味をもって受け止められるかもしれない。 日本の左派左翼は水俣病や福島原発事故のように一つの問題で多数の被害者が出る集団的問題には対応できても、個別的問題については反応が鈍い。もっと言えば冷たい。個別的問題を社会的問題よりも一段低く見る傾向がある。従軍慰安婦問題など社会的問題を論じる割に、個人の苦しみには自助努力や自己責任を押し付けることもある。その冷たさからは秘書への扱いもさもありなんと感じさせる。 悪役の描写として共感できる点がある。敵対者の写真を見て「服のセンスも最悪ね」と言い放つ(168頁)。相手と対立している時に相手の容姿や服装にケチをつけることは最低の人間のすることである。自分が空っぽな人間ほど高価なものを身に着けて飾り立てようとする。
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