土地の記憶から読み解く早稲田 の商品レビュー
イタリア人女性が早稲田という渋い土地を選び(大学が早稲田大だったとのこと)、研究しているところから興味深い。もっと外の視点、感覚からの考察を全面に押し出したものかと思いきや、ゴリゴリのオーセンティックな江戸東京学で、斬新な感じはないが、大量の文献をもとにきめ細かく、かつ多分野にわ...
イタリア人女性が早稲田という渋い土地を選び(大学が早稲田大だったとのこと)、研究しているところから興味深い。もっと外の視点、感覚からの考察を全面に押し出したものかと思いきや、ゴリゴリのオーセンティックな江戸東京学で、斬新な感じはないが、大量の文献をもとにきめ細かく、かつ多分野にわたり丁寧に調査されていることがわかる。 また、内容は興味深いものの、ややレポートちっくであり、もう一歩、筆者自身の洞察が多いと更に面白く、読み物としても記憶に残る本になると思う。そういう意味では「まえがき」が一番筆者の想いが伝わり面白かった。とはいえ、筆者はこの本の目的を「人々の好奇心を刺激し、今いる場所から幾重にも枝分かれする次の場所へ、さらには遠く離れた時空間へと、読者を発見あるいは再発見の旅に誘うことである」としており、その目的は十分に感じられた。 「まえがき」では、筆者はあるとき生まれ育ったローマからヴェネツィアに引っ越し、車や自転車、ローラースケートすらも禁止されたその街で初めて「歩くこと」を学んだ。「「歩く」という営みにより、暮らしの中で、時間が流れる速度を緩めることができるようになり、また身の回りにある空間との間に、新たな関係性を築くことができるようになった。」と筆者は述べている。ちなみに私は「歩く」ことで得られる新しい感覚を、昔高円寺駅周辺を散歩しているときに感じた。車ではなく、徒歩を前提に考えられた駅前の商店街や飲み屋街。道にはドラム缶で作られた机と椅子が置かれ、中と外、店と道、他人と自分との境界が曖昧になっていて、「その街」を歩いている、という強い体感を得られたことを、この本を読んでいて思い出す。私が感じたのはその街の「いまここ」にある街の文化だが、よりゆっくりと、周りを見渡しながら歩くことで、筆者の述べるような過去の歴史の連続性をも感じてゆけるようになるのだろう。 _____________ なるほどと思ったこと: 「早稲田」の由来:諸説あるが、もともと早稲田一帯は、縄文時代は海の底。その後、陸地となったあとも川沿いの低地だったので水耕栽培が盛んだった。しかし台風が来ると神田川の氾濫でだめになってしまうので、「早稲」という成熟の早い品種の稲を植えていた、ということによるもの。 早稲田一帯は茗荷の産地だった。「鎌倉の波に早稲田の付け合わせ」とは、「鎌倉沖で獲れたカツオに、早稲田の茗荷を合わせて食べると非常に美味である」のこと。両方とも今は難しそうだが、ゆかりある土地のコラボが嬉しかった。 ・椿山荘は山縣有朋、大隈庭園は大隈重信の元邸宅が合った場所。2人は政敵だったが、神田川を挟んですぐの場所に家を構えていた。なお2人は同じ年に生まれ同じ年に亡くなり、同じ護国寺に埋葬されているのだそう。ちなみに大隈は特に裕福だった事実はなく、早稲田の地所の半分は旧肥前藩主の鍋島家の援助で手に入れたものであり、本邸は岩崎家の寄附によるものだったとされている。椿山荘は、その後山縣が実業家の藤田に売却。(だから藤田観光なんだ)
Posted by
何より、イタリア人女性が街の歴史研究として東京の中でも「早稲田」に注目したのが偉い。日本に帰ったら、東京の街歩きを趣味にしたくなりました。あ、真夏には無理ですが気候のよいときに…
Posted by
(借.新宿区立図書館) 早稲田とその周辺から見た江戸東京論。著者は外国人ということもあり、新しい視点がみられるとのこと。全体的に著者が関わりを持つ早稲田大学(大隈重信)にちょっと甘いような気もする。その辺はまあ仕方がないか。 あえて難を言えば若干歴史認識に古い部分があり、江戸五色...
(借.新宿区立図書館) 早稲田とその周辺から見た江戸東京論。著者は外国人ということもあり、新しい視点がみられるとのこと。全体的に著者が関わりを持つ早稲田大学(大隈重信)にちょっと甘いような気もする。その辺はまあ仕方がないか。 あえて難を言えば若干歴史認識に古い部分があり、江戸五色不動は江戸期にさかのぼることはないようだし、戸山の「箱根山」の名称も明治以降のもののようだ。その辺については日本側でかかわった人たちからの指摘がなかったのだろうか?あとは、ないものねだりになるが寺社信仰の視点が弱い。なぜ、穴八幡や水稲荷、そしてその別当寺他の寺社がこのあたりに集まっているのか、その信仰形態は?などの研究が待たれる。
Posted by
東京と言うと、人が密集した大都会のイメージがある。事実そうだが、よく見るといろいろな顔を持つ。 著者はイタリア人で、東京の都市歩きに興味を持ち、研究するようになった。その中で、招聘研究員として、何度か早稲田大学を訪れるようになり、江戸から東京へのつながりを意識するになった。...
東京と言うと、人が密集した大都会のイメージがある。事実そうだが、よく見るといろいろな顔を持つ。 著者はイタリア人で、東京の都市歩きに興味を持ち、研究するようになった。その中で、招聘研究員として、何度か早稲田大学を訪れるようになり、江戸から東京へのつながりを意識するになった。 早稲田を研究対象にするとはずいぶん渋い選択だとは思うが、読み進めていくと早稲田とその一帯には歴史が詰まっていた。 早稲田という地名の由来は諸説ある。早稲田とは、育ちの早い稲の品種を植えた田んぼを意味する。地名の痕跡だな。 今では考えられないが、早稲田大学の前進「東京専門学校」は、1882年10月21日に設立された。この当時の様子が白黒写真に載っている。周囲には田んぼが広がっている。 かつて大隈重信は、大隈記念講堂の隣にある現在の大隈庭園の敷地に邸宅を構えていた。 椿山荘というと高級ホテルがあり庭園のあるイメージがある。読み方は「つばきやまそう」ではなく、「ちんざんそう」だ。 この辺りは、急勾配の坂道があり、椿山荘の辺りの高台には、昔から椿が自生していたので、南北朝時代あたりから、この周囲を「椿山(つばきやま)」と読んでいたそうだ。 いろいろな歴史が詰まった土地だな。 そういえば、以前「ブラタモリ」で早稲田の回を放送していた。また、ブラタモリで再編集したものを放送するか、新しく収録したものを放送してもらえるとうれしいとふと思った。
Posted by
- 1