日本古典と感染症 の商品レビュー
読み解くの難しかった。 何度も感染症の流行があって、「距離を取る」対処とか今に通じるところがあって面白かった。隣町まで移動してたとか印象残る。
Posted by
編著はロバート・キャンベル。 本書編集のきっかけは、2020年4月、新型コロナウイルスによる緊急事態宣言下で、国文学研究資料館の館長である編著者が配信した動画である。職員が在宅勤務となり、がらんとした書庫の中から、古和書について、また、古和書に描かれた感染症について語るもので、2...
編著はロバート・キャンベル。 本書編集のきっかけは、2020年4月、新型コロナウイルスによる緊急事態宣言下で、国文学研究資料館の館長である編著者が配信した動画である。職員が在宅勤務となり、がらんとした書庫の中から、古和書について、また、古和書に描かれた感染症について語るもので、2022年1月現在でも視聴可能である。 この動画を見たKADOKAWA編集者の発案で、コンセプトを発展させ、各分野の研究者から書き下ろし論文を寄せてもらうこととなった。14人の研究者が、日本古典と感染症に関わるトピックスについて紹介している。 「万葉集」、「源氏物語」、「方丈記」、「徒然草」から、明治近代文学までと時代も幅広い。 感染症=疫病はもちろん、古くから存在していた。だが、何が病気を引き起こすのかはわかっていなかった。目に見えないものが害をなすとなれば、原因は祟りであったり怨念であったりする。ならば、薬だ医者だというよりも祈祷や祈りに頼ることになる。 「万葉集」を読み解くと、感染症とその背後にあった(と考えられた)ある人物の「祟り」の影が見えるという。 「今昔物語集」には流罪となった公卿が疫病神となって都に現れる(巻第27、第11)。 「源氏物語」で源氏が紫の君と出会うのは、源氏が瘧病(わらわやみ:現在のマラリア)を患い、加持祈祷をしてもらうために訪れた北山でのことだった。 時々、訳の分からない病気が流行り、人々はおまじないをしたり、神や仏に縋ったりする。 中には激しい話も。一向に流行り病を収めてくれない神像に怒り、像を川に投げ捨てたら数日のうちに疫病が止んだ、などというエピソードが伝わる(「延宝伝灯録」)。いや、それは像とは関係なく、ただ時が経って感染が収まったのだろうと思うが、病も気からというから、意外にそういう気合は大事なのかもしれない・・・? 原因がわからないものであれば、流言飛語も飛ぶ。鬼が出たという噂が出て数日後に疫病が流行れば鬼のせいだということになる(「徒然草」第50段)。けれど、それは鬼を見ようと人だかりが出来、その群衆の中に感染者がいたということではないのか・・・? 今から見ればどうなのかと思うことも多いが、一方で、現代にも通じるような話もある。 「養生訓」では、庶民でも実行しやすいように、薬を用いるのではなく、衣食住環境を整え、病気にかかりにくくする方策を解く。これに道徳も加わるのが儒学者でもあった著者・貝原益軒の特色。 疫病をもたらす鬼を伝奇小説に登場させて娯楽作品に仕上げた曲亭馬琴。それを楽しむ庶民もなかなかすごい。 現代でも演劇などの公演中止が相次いでいるが、江戸末期、コレラや麻疹が流行した時期にも芝居の中止はあったとみられる。役者見立絵は、歌舞伎役者がある芝居を演じたと想定して、名場面に当てはめて描いたものである。こうした絵の制作時期は疫病が流行った時代と一致するようだ。 疫病にやられてしょぼくれているばかりではない、庶民のしたたかさを感じさせるのが、幕末の戯れ歌。 「ないない尽し」 さてもないない是非がない 病の流行とめどがない 一時ころりで呆気がない(中略) 死んだ話は聞きたくない それでも寿命は仕方がない 医者のかけつけ間に合わない せわしいばかりで薬礼ない こんな詰まらぬことはない(後略) と何だか不謹慎でもあるが、やけくそ混じりに笑ってしまおうという強さもにじませる。 近代の話題では、夏目漱石と腸チフスの考察、森鴎外が実は結核だったのではないかといった話が興味深い。 全般に、原文に適宜、現代語訳が添えられ、読みやすい作り。古典の奥深さを感じさせる。 現代のコロナ禍、かつてよりは感染症に関する知識も増えているとはいえ、まだまだ未知のものと闘っている側面は強い。 流言飛語に惑わされ過ぎず、時にはユーモアとゆとりも持って、落ち着いて対処していくことが大切であるのかもしれない。
Posted by
読了までに随分時間がかかってしまった。 最初のロバート氏の全体の概論的話が個人的には一番難解だった。 ロバート氏、日本語堪能すぎだろう。 万葉集の時代から森鴎外、夏目漱石の時代までの感染症についてを古典文学や文章として残された記録、果ては浮世絵などの絵画にまで言及した一冊。 さ...
読了までに随分時間がかかってしまった。 最初のロバート氏の全体の概論的話が個人的には一番難解だった。 ロバート氏、日本語堪能すぎだろう。 万葉集の時代から森鴎外、夏目漱石の時代までの感染症についてを古典文学や文章として残された記録、果ては浮世絵などの絵画にまで言及した一冊。 さすがソフィア文庫、内容が濃い。 驚いたのは、ころり=コレラ、この言い方が、コレラが訛った訳ではなかったという話。 コレラという名前は一部の蘭学者の間でしか知られておらず、元々あった「ころり」という言い方をその病気の通称としていたとのこと。 そうなると、音が似ていたのは偶然の一致ということに。 驚きである。 あと印象深かったのは、「ないない尽くし」 本文にもあったが、是非声に出して読みたい一節だったと思う。 「ああ、こんな時代だったね」とコロナ禍も笑い飛ばせる時代が早くきて欲しいものだ。
Posted by
・またコロナ関連である。かういふ時である、出版界も際物狙ひでいろいろと出す。そんな1冊(だと思ふ)、ロバート キャンベル編著「日本古典と感染症」(角川文庫)である。しかし、本書は単なる際物では終はらない。編者は国文学研究資料館の館長であつた人である。その、言はば配下に書かせてなつ...
・またコロナ関連である。かういふ時である、出版界も際物狙ひでいろいろと出す。そんな1冊(だと思ふ)、ロバート キャンベル編著「日本古典と感染症」(角川文庫)である。しかし、本書は単なる際物では終はらない。編者は国文学研究資料館の館長であつた人である。その、言はば配下に書かせてなつたのが本書である。総論を含めて古代から近代、つまり万葉集から鴎外、漱石までを網羅する15編を収め る。感染症は感染症である。コロナだけではない。それゆゑに、こちらのイメージといささか外れる論文もある。まとめ方もそれぞれである。それでも、「生をむしばむ影に一条の光を見出す読者が一人でも多くページをめくって下されば幸いです。」(キャンベル、 27頁)と始まる。 ・私が最もおもしろいと思つたのは木下華子「『方丈記』『養和の飢饉』に見る疫病と祈り」であつた。鴨長明の生きた時代は大変な時代であつた。大火、辻風、飢饉、地震、長明はこれらを実際に経験した。私は気にもしなかつたのだが、実は助動詞の使ひ方に問題があつた。過去の「き」「けり」である。「方丈記」ではこれが書き分けられてゐるといふ。「過去・回想をあらわす場合、作品全体 における『き』の使用量は『けり』の二倍以上に及ぶ。」(85頁)ごく大雑把に言へば、「き」は経験過去、「けり」は伝聞過去である。「方丈記」では経験過去の「き」が中心であつた。当然である。逆に「『けり』が用いられるのはすべて五大災厄、すなわち 『方丈記』執筆からおよそ三〇年前の出来事を振り返る箇所である。」(85〜86頁)これはいかなることを表すのか。すなはち、 自らの経験でないことを伝聞によつて書いたといふことである。しかも上記災厄中で「『養和の飢饉』は明らかに特殊である。」 (86頁)養和の飢饉では「けり」の使用が多いのである。この時、長明は飢饉の多くの情報を「直接経験ではなく、間接的に、他者 を介して手に入れ」(同前)たのであつた。私は「方丈記」に書かれたことは長明自らが体験したことだと思つてゐた。さうではなか つた。長明はいつ果てるともしれぬ飢饉の中で自ら情報を求め、それをもとにして飢饉の様を記述したのであつた。「直接体験による見聞でないからといって、非難すべきことではない。」(87頁)とわざわざ筆者は書いてゐる。これは非難する人がゐた、あるいはゐるといふことであらうか。個人的には、その時代に生きてゐればそんなことは言へなくなると思ふ。誰もが生きることに精一杯であ つたはずだからである。従つて、「方丈記」を書いてゐる時、長明の手に入れた「ふさわしい情報の取捨選択が行われたはずだ」(88頁)といふのはありうることである。人間誰しも都合の良いことは残す。残したくないものは残さない。長明にも残したくない ものはあり、それが記されずに後世まで残らなかつたといふことはあらう。災厄でもあるかもしれない。それがどんなことであつたかと思ふのはいささか不謹慎かもしれない。清少納言や吉田兼好はかくも陰惨な情景を描いてはゐない。しかし、それに類することを経験してゐるはずである。これはどの時代でも同じこと、現代医学も持て余す感染症はまだ多い。まして医学よりも加持祈祷の時代であれば、感染症は不治の病であつたらう。だからこそ情報が必要だつた。飢饉の中、長明は情報を求めて走り回つた。それが「き」「け り」に凝縮されてゐたとは。私も迂闊であつた。過去に限らず、助動詞のことを考へながら読むと、また新しい発見があるかもしれな い。伝聞過去で最後に登場する隆暁法印は、それゆゑに長明に大きな印象を与へた人であつたわけである。
Posted by
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
万葉から近代まで凡そ1300年間の文学書から感染症について15人の学者さんが考察している論集。全て書き下ろしとの事。 1番面白かった考察は「養生の基底にある思想 『延寿撮要』から『養生訓』へ」。「未病」と言う最近話題のワードが出てくる。『未病の時治療するを養生者といふべし』と。 論文的な文章をとても久しぶりに読んだので読み終わるのに時間がかかりました。 1300年の昔からの先人達の記録を読んでコロナ禍どう対処していくか考えるきっかけになるかなと思います。
Posted by
面白かったのは、2箇所。 ①平安時代物語・日記文学と感染症 疫病を軸に、様々な文学作品が繋がり合っていることを解き明かしてくれる章。『和泉式部日記』と『栄花物語』の内容が『枕草子』と感染症でリンクしていく!面白い! ②近代小説と感染症 夏目漱石、チフスのメアリーの記事を追っかけて...
面白かったのは、2箇所。 ①平安時代物語・日記文学と感染症 疫病を軸に、様々な文学作品が繋がり合っていることを解き明かしてくれる章。『和泉式部日記』と『栄花物語』の内容が『枕草子』と感染症でリンクしていく!面白い! ②近代小説と感染症 夏目漱石、チフスのメアリーの記事を追っかけてたのか!だから作品の随所に腸チフスが絡んできてたのか!!
Posted by
- 1