平安貴族の住まい の商品レビュー
平安貴族の屋敷である寝殿造り。 本書はその特徴がどのように捉えられてきたかを検証した本。 著者は工学部で建築を学んだ建築史の専門家。 これまで寝殿造りの特徴は、左右の対称性で語られてきた。 近年の発掘調査の結果もあって、その定説が揺らいでいる。 平安初期の貴族の屋敷跡に、建物と...
平安貴族の屋敷である寝殿造り。 本書はその特徴がどのように捉えられてきたかを検証した本。 著者は工学部で建築を学んだ建築史の専門家。 これまで寝殿造りの特徴は、左右の対称性で語られてきた。 近年の発掘調査の結果もあって、その定説が揺らいでいる。 平安初期の貴族の屋敷跡に、建物と建物の間に畑があったなんて話もあった。 …この話、私はどこで読んだのだろう。 本書を読む以前に、知っている。 寝殿造りが寝殿を中心に左右対称の対の屋を持つという神話は、天保年間に出た沢田名垂『家屋雑考』によるものらしい。 平安京が朱雀通りを中心に左右対称の都市だというのが「理念」であって、実際にそんな形をしていたことはないという話を思い出す。 さて、本書によれば、寝殿造りの「型」は以下の通り。 それは13~19世紀の文献から抽出されたものだ。 つまり、近代に入るまで、寝殿造りのエッセンスは受け継がれていたということらしい。 1)寝殿を中心にした建物が前庭を取り囲み、寝殿と前庭が一体的な空間を作っている。 2)寝殿・中門・侍廊・車宿・表門と、建物群のアプローチは定型化している。 3)母屋・庇・孫庇・縁の空間の序列にこだわる。 4)室礼により空間を区切って使う。 こちらの歴史と建築にかかわる素養が少なくて、今一つ理解が行き届かない。 特に2)。 「寝殿から表門までのアプローチ」というのは? 掲載されている図を見る限り、表門、中門の位置関係はほぼどれも同じ。 が、寝殿も含め、ほかの建物は必ずしも同じ位置関係にあるわけではない。 同じ機能を持つ建物が配されている、程度の意味で理解していいのだろうか? 一方、勉強になったのは庇の構造。 木造のため、梁の長さには制約がある。 空間を広げるためには、柱の上部に、新しく梁を継ぎ足して広げていったということだ。 それから院政期から、廊状の建物の重要性が増していくというのも面白かった。 単に公卿の控室であるだけでなく、議定の開催場所になったりしたそうだ。 そして、神鏡を安置する賢所も、そのあたりの時代から廊状の建物に設けられるようになったとか。 また、この廓状の建物で、歌合も連歌も行われたという。 そして、こういう建物の中で、のちの書院造を生み出していく変化が生まれてくる。 このあたりが、本書を読んでいて面白かったところだ。 その院政期は、寝殿より私的空間である北の対、そして対屋が充実するそうだ。 その変化は、わかる気がする。 寝殿は、だだっぴろい。 どう考えても住みやすくはないからだ。 というあたりが本書の趣旨であるようだ。 正直、なかなか厳しかった。 何を読んだらもう少しこの本の価値がわかるようになるのかなあ。
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寝殿造は近代まで続いた。イメージは江戸時代の研究。変容は建物の周辺から。禅宗寺院や現代の住宅しかり。書院造は周辺から二条城では中心に。
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