妹たちへ の商品レビュー
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※このレビューにはネタバレを含みます
訳書と「兎とよばれた女」以外は、ほぼはじめて矢川澄子さんに触れた。 編者が、連なる糸を、数多くのエッセイから見出して並べたからだろうーー時代(書かれた時期)は行ったり戻ったりしている。さらには、お料理やなんかについて書いたことはともかくとして、観念上のこととなると筆者自身が、なんというか、考えを彷徨わせてしまっている様子がある。「ひと息に高みに駆け上がってしまえばいい、見えているのでしょう!」と叫び出したくなる。 けれど、エッセイに散りばめられているように、ひとときはキャロル氏のごとくのものに怜悧と抱擁を求めながらもその小児的な在り方に戸惑って切り離したり、みずからの「女」という、このどうしようもなく(いまでもそうだ!)あなどられ軽んじられている性に思いを来したり、という「生活」を強いられた敏感なひとは、言い切るということそのものに良い気がしなかったのだろう、とも考える。 羽根にしがらみをまとわせ、縁ともいえるその重さを断ち切ってしまわない限り、わたしたちとて天上のことへは駆け上がれない。その縁が望まないものであっても「捨ててはいけない」と押し付けられるのが、女性性の難なのだし。……あれあれ自分もどうやら彷徨っているぞ? と気付かされたところで感想の筆を置く。
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矢川澄子さんの纏まったエッセイを読むのは今回が初めて。いくつかの翻訳や小説の「受胎告知」は既読にも拘わらず、澁澤龍彦の最初の奥さんだったことを除いてご本人がどのような方だったのかは殆ど知らずにいた。本書を読むと彼女がどのような人だったのが如実に伝わってくる。少女というものに生涯拘...
矢川澄子さんの纏まったエッセイを読むのは今回が初めて。いくつかの翻訳や小説の「受胎告知」は既読にも拘わらず、澁澤龍彦の最初の奥さんだったことを除いてご本人がどのような方だったのかは殆ど知らずにいた。本書を読むと彼女がどのような人だったのが如実に伝わってくる。少女というものに生涯拘り続けた彼女は硬質に透き通った少女をその内にずっと持ち続けた稀有な人だったように思う。何となく森茉莉とは似ているようでその実、対極にあるような印象を受けた。森茉莉は天真爛漫といったイメージがあるけれど、矢川澄子の場合はもっと大人びた、狡猾ともいえる知性を備えた永遠の少女、といった具合に。エッセイを読んでいると男性と女性では少女に対する認識やイメージがこうまでも違うのかと少し驚く。森茉莉は男性が描く少女で、矢川澄子は女性が描く少女、そんなふうに私は思ってしまう。アナイス・ニンの日記がとても気になるので、こちらも読みたい。
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