沢村栄治 の商品レビュー
戦時中のことは詳しくわからないが、出征して復員してまた出征してを3回も繰り返すという人生はなんと過酷なものだろう。まだ20歳台前半から後半の人だから、とはいえおそらく今の日本の同年代よりははるかに精神修養がされていたのだろうが、それでもよく生きようとしたものだ。 たった2年、いや...
戦時中のことは詳しくわからないが、出征して復員してまた出征してを3回も繰り返すという人生はなんと過酷なものだろう。まだ20歳台前半から後半の人だから、とはいえおそらく今の日本の同年代よりははるかに精神修養がされていたのだろうが、それでもよく生きようとしたものだ。 たった2年、いやもちろん、現役時代はもう少し長かったのだろうが、光輝いた時間は本当に刹那的で短く、されど、非常に眩しく輝いたのだろう。 残念ながら、ウォーミングアップのような投球しか、YouTubeを見ても出てこないのは残念だけど、この目で間近に見てみたかったな、その華麗なフォームを。そしてキレのある球を切る音を。
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戦前の日本プロ野球における伝説の名投手、沢村栄治。わずか17歳にして日本代表に選ばれ、ベーブ・ルース率いる全米選抜チームと対戦。日米には圧倒的な実力差がある中で、ピッチャーの彼だけが互角に渡り合う。その翌年、日本プロ野球選手によるリーグ戦が開幕し、巨人のエースとして沢村は活躍。3...
戦前の日本プロ野球における伝説の名投手、沢村栄治。わずか17歳にして日本代表に選ばれ、ベーブ・ルース率いる全米選抜チームと対戦。日米には圧倒的な実力差がある中で、ピッチャーの彼だけが互角に渡り合う。その翌年、日本プロ野球選手によるリーグ戦が開幕し、巨人のエースとして沢村は活躍。3度のノーヒットノーランなど、圧倒的な実力を見せつける。 しかし、沢村栄治が活躍したのは17歳から20歳にかけての短い期間。今のようにプロ野球選手が世間の尊敬を集めることはなく、選手不足による過度な負担、3度の徴兵、親族の借金肩代わりなど、彼の野球人生は決してめぐまれていたとは言えない。青春時代を野球に捧げたことについて、「野球を憎んでいます」と記した手紙も残されている。 それでも彼は野球に頼るしかなかった。野球選手であることが彼の誇りでもあった。が、徴兵されるたびに野球選手としての実力を失い、ついにはチームから解雇される。そして、わずかな結婚生活を経て、3度目の出征直後に戦死する。 プロ野球というシステムが試行錯誤されていた時代、一人だけ突出した才能を持ったことは、彼の名を後世に残したが、彼の幸福を妨げるものだった。
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沢村栄治について語ろうとすれば、即ち、日本プロ野球の黎明を語ることとイコールになってしまう。それほどに彼の果たした役割は大きい。沢村栄治の存在そのものが職業野球を体現していた。帯の惹句よ、副題よ。
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沢村の球速はどのくらいか、160キロを超えているであるとか、何を荒唐無稽なことをあの時代せいぜい130キロだろう。著者の興味もここから始まる。沢村の、あるいは日本プロ野球の白眉である、昭和9年全米オールスターチームに17歳でマウンドに登りベーブルース、ルーゲーリッグらMLBの歴史...
沢村の球速はどのくらいか、160キロを超えているであるとか、何を荒唐無稽なことをあの時代せいぜい130キロだろう。著者の興味もここから始まる。沢村の、あるいは日本プロ野球の白眉である、昭和9年全米オールスターチームに17歳でマウンドに登りベーブルース、ルーゲーリッグらMLBの歴史に残る打者を5連続三振を奪うなどして、0対1で惜敗した試合。試合後ルースが投手の後方から太陽が差し込み打ちずらかったという談話を実証して、沢村の奇跡の投球の真相を描く。そうだとしてもこの沢村がプロ野球創世記からMLBを遥かな夢ではなくそこへ至る架け橋となり、プロ野球を推進させ続けた有形無形のものとなった。それが、ほかの誰でもない沢村がこの奇跡を演じたことは、神の沢村への恩寵であったように思える。しかし、神の沢村への恩寵はこれのみであり、沢村の人生はそれと引き換えに罰を与えらたように思える。慶応大学を志望していた沢村は家族を支えるために京都商業を中退して職業野球に身を投じた。そのことが、沢村の出征を早めることになり、また、当時兵役を先送りにするために大学に所属する方法もあったようだが中学中退の経歴の沢村はその方法もとることができなかった。家族へ犠牲的に尽くし、この時代一般的ではなかったであろう恋愛を成就させた沢村は、2度の兵役でオーバースローで投げることもできなくなり、昭和18年選手不足の状況の中でありながら読売巨人軍を解雇される。そして3度目の出征で沢村は海の藻屑となる。読後、28歳で死を迎えた青年のなんとも言えない空しく重い感慨が残る。死後、彼の名前が野球の申し子のように称えられることになったことを彼はどう思うだろう。それでも私は沢村を称えたい。
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日本がどうやって愚かな戦争に関わったのか、そして二度と再び過ちを犯してはいけないかを強く考えさせられる伝記です。と同時に「昭和」のスポ根がいかに不条理であったか(「楽しんで!」ってのは嫌いですが)日本の国技プロ野球。ありがとうございました。
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プロ野球投手最高の栄誉のひとつ、「沢村賞」に名を残す沢村栄治。あのベーブルースをも打ち取った彼の全盛期はほんの2年弱だった。親族の巨額の借金、3度の徴兵、そして巨人からの非常な解雇。なぜ?沢村栄治は「私は野球を憎んでいます。」と書き残したのか???
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沢村栄治が今の整った環境で野球をしたら、どのくらいの記録を残したのだろう。すごく見たい! しかし、昔のピッチャーは投げすぎだなあ。そりゃ選手生命短くなるわ。
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伝説の名投手沢村栄治。華々しい活躍の影。「私は野球を憎んでいます」。27歳で戦場に散った大エースの生涯。 「沢村賞」に名を残す伝説の名投手沢村栄治。全盛期は17から20歳までのほんの2年弱。六大学野球に憧れながら貧しい家庭事情から当時地位の低かった職業野球入り。三度の出征。大エ...
伝説の名投手沢村栄治。華々しい活躍の影。「私は野球を憎んでいます」。27歳で戦場に散った大エースの生涯。 「沢村賞」に名を残す伝説の名投手沢村栄治。全盛期は17から20歳までのほんの2年弱。六大学野球に憧れながら貧しい家庭事情から当時地位の低かった職業野球入り。三度の出征。大エースの好記録の影、哀しい男の生涯が描かれる。 永久欠番、野球殿堂などの華やかな部分だけだでなく、本書は出征から復帰後、肩を痛めた投手の残酷な現実と巨人軍からの解雇など負の面も多く記述。救いはファンの令嬢との恋愛結婚と4か月しか一緒に過ごせなかったが愛娘の存在か。 筆者は東大野球部で六大学野球の経験もある方。沢村の最速の球速の推測など技術面が光る。 巨人軍の負の歴史も言える面、戦前の職業野球の歴史としても面白い。
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【なぜいまも沢村栄治は語られるのか】戦前プロ野球の草創期に一際輝いた沢村栄治。その軌跡と”すごさ”を、東大で六大学野球選手だった著者が自身の経験も駆使して描く。
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