工学部ヒラノ教授のウィーン独り暮らしの報酬 の商品レビュー
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※このレビューにはネタバレを含みます
(論文量産の秘密) ・新しい将来性のあるテーマに乗り換える ・博士課程の大学と協力して発掘調査をする。優秀な学生が4人いれば、1年に論文2-3編分の成果が出る。10人いれば7-8編の論文がかける。 ・新しい分野にシフトしても、それまでの分野に気を配ること。以前解けなかった問題が解けることもあるし、昔の研究仲間に妬まれるとろくなことはない。 ・成果が得られたら1週間で論文にまとめてジャーナルに投稿する。審査にはねられても、別のジャーナルに投稿しなおす。 ・重要なことは論文を書き続けること。いつかホームランが出る。 ・学生との共著論文。年10編といってもレフェリー付きは半分。 ・投稿は知り合いの研究者が編集長を務めるジャーナルに投稿する。 ・研究仲間(かつての学生)と強力して、次々と専門書や教科書を出した。著書には論文の数十倍に相当する注目が集まる。知名度が高まれば、論文を棄却される確率が小さくなる。 ・LaTexで論文作成は容易に。 ・論文生産に役立ったのは、スタンフォードを真似て、「東京工業大学工学部・IHSSレポート」という論文シリーズを立ち上げ、論文が完成するたびに、立派な表紙をつけて国内外の研究仲間に配布したこと。なるべく早く優先権を確保するため。科研費の業績リストに加え、1-2年後に論文がレフェリー付きジャーナルに掲載されれば、業績が2倍になる。 ・google schalorで引用回数が明白に。科研費の審査では、過去5年程度の間に発表したレフェリー付き論文の数が判断基準。 ・江藤淳教授 年間3000枚のお金になる文章を3年間書き続けることができれば本物。(400字詰めを毎日10枚)
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ヒラノ教授が1975年、単身ウィーンの国際研究所に6か月間出張していた時を振り返ります。ウィーン長期出張は2回目のヒラノ教授だが、前回は妻と二人の子どもも一緒だった。今回は、子どもの学校を考え初めての単身赴任となった。ホームシッが高じて鬱にならないよう、毎日奥さんに手紙を書いてい...
ヒラノ教授が1975年、単身ウィーンの国際研究所に6か月間出張していた時を振り返ります。ウィーン長期出張は2回目のヒラノ教授だが、前回は妻と二人の子どもも一緒だった。今回は、子どもの学校を考え初めての単身赴任となった。ホームシッが高じて鬱にならないよう、毎日奥さんに手紙を書いていたという。その手紙が、この本を書くときに大いに助かったとか…。 1975年といえば、東西冷戦の時代で、東欧と西欧の境目のウィーンは、今のような明るい観光都市というわけでもなかったようだ。それでも、オペラに目覚めたヒラノ教授の日常をおもしろく、かつ学問的にもつづります。 ヒラノ教授シリーズも数多くあるが、次はまだでるのだろうか?
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『徘徊老人日記』『ラスト・メッセージ』で、もうヒラノ先生も隠退されると思われたところ、どっかいまだまだ、という新刊で嬉しく読む。 IIASA、ウィーンという、昭和戦後以降の一般的日本人には縁遠いところでのInternationalな経験譚。実際に行ってそこで生活をしてみないとちょ...
『徘徊老人日記』『ラスト・メッセージ』で、もうヒラノ先生も隠退されると思われたところ、どっかいまだまだ、という新刊で嬉しく読む。 IIASA、ウィーンという、昭和戦後以降の一般的日本人には縁遠いところでのInternationalな経験譚。実際に行ってそこで生活をしてみないとちょっとした雰囲気ですらわからないことではあろうが、ヒラノ教授の、ごくごく個人的なエピソードが面白おかしく紹介されているのを読むことによって、少なくとも親しみを感じるようになれると思う。
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