万葉樵話 の商品レビュー
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
「万葉集ハンドブック(多田一臣編集)」に続いて本書を手に取った。 著者によると万葉集はあくまでも「宮廷歌集」として編纂されたとのことだ。当時の止ん事無き人々の男女の情や自然への畏怖・聖性、動植物への愛着などが込められた歌を通して、当時の人々の息遣いが感じられた。とてもよい一冊だと思う。 太陰暦と二十四節気のうんちくも勉強になった。
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あとがきで筆者多田さんの、近年古典無用論があちこちで取り沙汰されていることに一矢報いたい思いで執筆した本書。それだけに面白い。万葉集を中心に古事記、古今和歌集、徒然草などをも取り上げた。古典の世界を筆者の広い博識を持って、探求した含蓄ある言葉で縦横無尽に述べている。万葉集が新元号...
あとがきで筆者多田さんの、近年古典無用論があちこちで取り沙汰されていることに一矢報いたい思いで執筆した本書。それだけに面白い。万葉集を中心に古事記、古今和歌集、徒然草などをも取り上げた。古典の世界を筆者の広い博識を持って、探求した含蓄ある言葉で縦横無尽に述べている。万葉集が新元号「令和」の出典となり注目を集めた。それを踏まえて万葉集とは何かを論じている。万葉集は、国民統合の象徴(国民歌集)ではなく宮廷歌集であると。近代和歌は、歌人の自己表出の場。歌人の個性を離れては存在しえない。古典和歌の起源は、祭式の場の神の言葉にあった。神の言葉は、人の言葉と同じであってはならない。神の言葉としての徴表、それが韻律あるいは枕詞や序詞などだったと。歌の本質を詳しく述べている。万葉集に納められている様々な歌の背景が見えて楽しい。古代の日本の人びとの自然を恐れる敬虔な気持ち、自然を謙虚に敬う気持ちをもっと重くうけとめて、いまの時代の人間中心の考え、自然は、人間のためにあるのだという考えに反省を迫る意味をつよくもつ。それが古典を学ぶ意味の一つではないかと筆者は述べている。思わず表題の「教科書が教えない『万葉集』の世界」に惹かれて手に取り読んだ。読んで視点や視野が広がり。新たな視座を持つことができた本。
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