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眼の神殿 の商品レビュー

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2024/07/01

螺旋展画閣 P.194 …西洋近代が、中世における聴覚優位の知覚序列を視覚優位のそれに顚倒[テントウ]することによって開かれたということを想起させる。視覚の優位性というのは、ごく自然なことのように思わないでもないけれど、中村雄二郎もいうように、西洋中世においては聴覚が視覚以上に...

螺旋展画閣 P.194 …西洋近代が、中世における聴覚優位の知覚序列を視覚優位のそれに顚倒[テントウ]することによって開かれたということを想起させる。視覚の優位性というのは、ごく自然なことのように思わないでもないけれど、中村雄二郎もいうように、西洋中世においては聴覚が視覚以上に重視されていたのであり、このヒエラルキーが顚倒したときに近代がはじまったのであった。しかも、近代においては「視覚が優位に立っただけでなく独走した」のである(『共通感覚論』)。 P.196 ガラス・ケースとは、視覚に必要なへだたりが物質化された存在にほかならないのである。それは、見る者と事物のあいだに不可侵の距離を設け、事物を視覚の対象として固定することで事物との接触を断ち、その結果として、見ることにのみ集中する構えを来館者にとらせるのだ。 P.210 「美術」は、文学と、いわゆる美術と、音楽とを含んでいたのだ。いやそれどころか戦後においても、そのような用例がないわけではない。家永三郎の『日本文化史』には「空間的美術」という語が見出されるのである。 高橋由一 P.245 伝統的な西洋画法では原則的に明るい部分を描くのに用いる厚塗りを[高橋]由一は質感描写に用いていると指摘して P.247 この絵のしんとした雰囲気は、何かガラス越しに世界をのぞき込んでいるような感覚へといざなうが、思うに「風景」とは、つねに前方にあって、見る者を疎外する景観、いうなれば博物館のガラス・ケースのなかの物品たちのような在り方を示すものであり、それを見入る眼は、世界の外に在って、しかも、みはるかす世界を呑み込もうとする。[柄谷行人の引用を受けて]…おそらく、つねに風景というものは、みはるかす世界を内に収めてじっと見入っている孤独で内面的な眼をともなってーーかかる眼においてーー出現するのだ。 形而上絵画 造化主 造化の神 P.271 …未客未分的な自然の支配することの国において、「つくる」ことは、人間主体を超えた「なる」ことに結びつけられがちであったということも否定しようがない。 坂部恵『「ふれる」ことの哲学』

Posted byブクログ

2020/12/30

 美術史研究を一変させた衝撃の書、との腰巻の文言に惹かれて手に取った。  まずは、明治洋画の開拓者であった高橋由一が構想した「螺旋展画閣」の紹介から始まる。美術館なのか博物館か、何を目的としていたのか。構想図や由一の文章を基に丹念に追っていく。  第2章は、「美術」という語の...

 美術史研究を一変させた衝撃の書、との腰巻の文言に惹かれて手に取った。  まずは、明治洋画の開拓者であった高橋由一が構想した「螺旋展画閣」の紹介から始まる。美術館なのか博物館か、何を目的としていたのか。構想図や由一の文章を基に丹念に追っていく。  第2章は、「美術」という語の起源を、これまた詳細に辿っていく。どういう概念の訳語であったのか、美術か芸術か。これだけだと一見、訳語の変遷を検討しているだけのようであるが、第3章では、この訳語の定着と共に美術が制度化していく過程、フェノロサの活動の紹介、国粋主義の反攻に伴う日本画/洋画の関係の変化、教育機関や美術館の設立、国家の価値観による賞揚といった面が明らかにされていく。  やや文章はポストモダンの時代性を感じさせるが、「起源」を探求することで現代を照射しようとする問題意識が鮮明に浮かび上がってくる。  文庫版には、著者自身のあとがき、定本に付された、本書の内容及び美術研究史に占める意義や著者自身を含めた新たな研究動向などの詳細な解説、さらに文庫版の解説が付いており、美術史に詳しくない人間にも大変参考になり、誠にありがたい。  

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