「宇宙の音楽」を聴く の商品レビュー
誰も、説得によっては、人を変えることなどできない。私たち一人ひとりは変化へのも固く守っていて、その門はその人の内側からしか開けられないのだから。マリリン・ファーガソン(社会、心理学者) デカルト以降の学問システムでは、「主観と客観が一致する=正確な知識」と言う図式になっている。...
誰も、説得によっては、人を変えることなどできない。私たち一人ひとりは変化へのも固く守っていて、その門はその人の内側からしか開けられないのだから。マリリン・ファーガソン(社会、心理学者) デカルト以降の学問システムでは、「主観と客観が一致する=正確な知識」と言う図式になっている。 主観的ではなく、客観的な答えを正しいとみなし、それを求め続けるのが近代合理主義。 ルーサー・メイソン(1818から96)など、アメリカの音楽教育者が「バイエル」を日本に広めた。 ラモから後のクラシック音楽が、一定の手順を踏みさえすれば、誰もが論理的に納得できるようになっている。 科学には「現象を単純化して書き換える性質」があります。 自由「(権威などを盲信せずに)自分で考えて、決める」という意味である。 中世キリスト教の特徴で一般の人々は聖書を読むことさえ許されなかった。なぜなら、当時の聖書はラテン語で書かれているものしかなく、修道院もしくは大学で教育を受けたものしか読めなかった。 「自由」は、西洋人にとって不可欠な思考回路となった。つまり、西洋人の思考OSに、近代から「自由」が加わったということ。 近代西洋OSに支配される私たちが注意しなければならないのは、心で感じられるけれども、観察はできない、ゆえに数値化も法則感ができない存在を切り捨ててしまいがちであること。 自分の立てた夢や目標を叶えることで、人生の成功と見なすのは、あくまで「自由」が実現された時代になって初めて主流となった考え。 神から人間だけに与えられた理性をフル回転させれば、あらゆる現象を説明できるし、望むように人生を変えられるということ。言い換えれば、頭を使って自律的に物事を処理していくのが西洋OSの基本。 それに対して、タオイズムOSでは、自分の人生にしろ、世の中のことにしろ、人間が人為的にコントロールしようとすると、ろくなことが起こらないと考える 用賀など、あのように身体を動かす目的は、単なる健康のためではなく、身体の動きに全神経を集中させることで、余計な自意識をなくし、自らが宇宙生命の1部であると身をもって智ることが目的。 音楽を聴いて、BRAHMANと一体化するためには、洋画と同じく修行が必要。シャンクガールが語る通り、音楽の目的にしても一体化にあり、演奏者は普段の自意識から解放されたトランス状態になることが望まれる。 近代において影響力が低下し始めた神の代わりとして人類を救済しようとしたのが、近代西洋の、特に19世紀以降の芸術家。 「ゾーン」に入ることを投票的に表現すれば、自意識がなくなって、根源エネルギーと一体化している状態。 マインドセットの視点から表現すれば、自分の考えを実現させたいと言う欲求はほどほどにしておくと言う事。もっと言えば、ある程度よりも細かいことに関してはもう気にしない、こだわらないと言う事。 「自分」と言う意識に執着するから、苦しみや怒りが湧くと考えるのが、古代東洋のOS。 「自分の努力によって、自分の成功、そして人生がある」とする近代性をOSからの固定観念に世界中が縛られるため、自分より社会的に弱い立場にある人々への共感がとても難しくなっている。どうしても「しかるべき努力をしていないからだ」となるから。
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西洋的な考え方が世界を席巻して合理的な考え方が急速に世の中の技術や科学が発展させたとういう筆者の考え方には共感を覚えた。これから何が求められ、大切なものは何かを考えるきっかけにはよい本だなと。
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※このレビューにはネタバレを含みます
「苦しみや怒りに引っ張られることのない、 柔軟な思考回路へと変革する。 己を知り、己を変える。」 NOTE記録 https://note.com/nabechoo/n/n1c96a205bfeb 幅広い知識が展開され、知的好奇心を刺激する。 「近代西洋OS + 古代東洋OS でバランスをとる。」 「宇宙の音楽」感じてみたいっす! Musica mundana .
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友人から紹介されて、拝読した『「宇宙の音楽」を聴く』は著者の玲阿奈さんの歴史的な出来事や思想に対しての深い造詣に裏打ちされた内容で、読み応えありました。私自身の考え方と対比させたり、共感したりしながら面白く読ませて頂きました。東洋的な思想、特に老子や荘子の思想や儒教の考え方がベー...
友人から紹介されて、拝読した『「宇宙の音楽」を聴く』は著者の玲阿奈さんの歴史的な出来事や思想に対しての深い造詣に裏打ちされた内容で、読み応えありました。私自身の考え方と対比させたり、共感したりしながら面白く読ませて頂きました。東洋的な思想、特に老子や荘子の思想や儒教の考え方がベースにあり、西洋的な思想をかじりながら、日本で生きている私自身の抱えている限界や可能性を改めて精査できるきっかけになりました。 私は愛媛で生まれ、熊本で工学を学び、在学中に発病し、紆余曲折あり、今に至るのですが、自然の豊かさと、程よい都市化の中で、両方のいいところを味わいつつ、自然からはたくさんの恵みを頂き、都市化の中で、ほんの一部文化的なものを享受しつつ、いいところ取りをさせてもらっているな~と感じています。成功体験と挫折体験を小さいながらも経験しつつ、自分の内面をえぐるぐらい深く潜り、人生の一端を知りつつ、成功を求めようともがいてきた今日であったように思います。 果たして自分の中での成功って何?と自分の胸に問うてみて、社会的に高い地位につくことでも、お金持ちになることでもなく、身の周りの人から少しずつ支えてもらい、身の周りの人を少しずつ支えながら、働きつつ、学び、破綻しない生活を送ることであり、井の中の蛙的な考え方かもしれませんが、身の周りのことで満足し、何かを残すというよりは現在あるものを現在のまま、もしくは自然豊かな形で、未来に残せることかなって思っています。 身の回りのことはインターネットがあることで、広がりはあるものの、この場所から自分で動かすことのできることに限りますし、そう多くのことではないなと感じています。有限的な小さな力の限界を見つめながら、できることをという形に落ち着くと思っています。 病気のこともありますし、何とか生活できる収入の中で、身体的、金銭的なやりくりをしつつ、自分の持っているもの(能力や手に持てるもの)で、これから羽ばたこうとしている人たちの支援や、年老いていく方たちの支援、そして、同じ障がいを持つ仲間や芸術友達の応援や支援をしていけたらと思っています。 本書にもありましたが、自分と他者を肯定し、必要以上に自意識を出さないということが、これからの自分の課題でもあり、課題を克服することで、より生きやすく、進むべき道へと近づけるのかなと感じました。 「宇宙の音楽」を聴きながら、植物の芽が出て、育ち、花咲かせ、枯れていく宿根草のように、この地で根づき、自然の一部として生きていけたらいいなと思っています。
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