自由意志の向こう側 の商品レビュー
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自由意志を巡る冒険の書。最もわかりやすい進化論の解説が含まれている哲学の本。 ダニエル・カーネマンのの引用まで出てくるのが魅力的。「システム1」は根源的なヒトのものの見方や世界観の構築に大きく影響しているのだと改めて思い至った。
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因果論、決定論、運命論、目的論⋯。自由意志にまつわる 哲学的考察をその歴史を踏まえながら詳説する。非常に わかりやすく、哲学のみならず、進化論や脳科学、DNA まで射程に含む意欲作だと思う。ただ、運命論や決定論に 対しておぞましいと思う気持ち、その方面に対するアンテナ がどうも鈍...
因果論、決定論、運命論、目的論⋯。自由意志にまつわる 哲学的考察をその歴史を踏まえながら詳説する。非常に わかりやすく、哲学のみならず、進化論や脳科学、DNA まで射程に含む意欲作だと思う。ただ、運命論や決定論に 対しておぞましいと思う気持ち、その方面に対するアンテナ がどうも鈍いせいか、今一つ心に響いては来なかったという のが正直なところ。結局は、折り合いをつける、ということ なのだろう(乱暴)。
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※このレビューにはネタバレを含みます
非常に面白かった!人間に自由意志はあるのか(そして、世界はどのようにできているのか)という問いについて、古代ギリシア哲学から現代の自然科学にもとづいた論争までカバーし俯瞰した上で、今後の見通しまで立てていくというみっちり詰まった濃い本。哲学は入門書を読んだくらいという私でも、論の進め方が懇切丁寧なのでしっかり読めばついていけるという感じ(ほんとに読めてるのか?)。 私は今までこういう話にはあまり興味がなくて、それはいくら科学が発展し世界の全てを説明したとしても「神がそのように創造したので、世界は完璧なんです」とか「いくら天文学的な確率だろうと、自然に神も法則も一切なくて全ては偶然なんです」と強弁すればそれで終わりだしつまらんなあと思っていたからだ。神学的な論争では、神の善性にやたらこだわるのもなんだかうんざりしてくる。運命論や決定論に対する忌避感もないし。この本に沿って言えばホッブズの神への態度とか、まさにヒュームの「この種の問題に頭を悩ませても答えが出ないのだから、判断を停止するのが最上だ」という考えに近かったと思う。でもこの問題の歴史はいわば世界観の変遷なわけで、そういう視点から入っていく流れだったのでわくわくして楽しめたのと、科学と進化人類学が思想の領域を切り崩していき、決定論の議論から自然主義の中での人間の存在意義というところへ焦点が絞られていくのが俄然面白く、認識を改めた。 神や超自然的概念が運命論の象徴となり、自然科学の発達によって「不要になった」のはよく分かるのだが、私は一応有神論者なので、いつの間にかそこを「『インテリジェント・デザイナーなど存在しない』」とか「『神』なる存在が実在しない」とか書かれると、そこは厳密に「必要ない」と区別して書いてほしいと思ってしまう。この世界が運命論でできていないにしても、超自然的存在がいないことの証明はできないのだから。 (極めて擬人的な見方に脱線するが)適当なたくさんのビッグバンから適当にできた世界の成り行きを外野で楽しんでる神様がいるかもしれない。パワプロだって、ガチガチのマイライフをずっとやるより適当に設定弄ったペナントをオートで回したほうが楽しいだろう。 しかし人間と世界が科学によってどんどん照らされて暗がりを失くしていくことで「神」が世界のあり方から退場させられて、ひいてはこの世のしがらみや罪科から解放され、ただ信ずるかどうか、という一点のみに拠る、あるべき姿へかえっていくのだ、退場というよりはむしろ自由になるのだということを読んでいて思った。神の首を切り落としたとされるカントが自らは「信仰に席を空けるために」神を認識の対象から退けたと語ったというのがいまいち分かっていなかったが、こういうことだったんだとようやく腑に落ちたという気がする。 これは著者が最終章で「人間的な価値のよりどころを、物質的な自然の外側に確保して、それで安心できるならばそれでいい、という考え方はある」と語っているのに近いかもしれない。でも著者の想定の考え方とは少しずれていると思う。不要ならもう存在しないものとするとか、しがみついてそれがなければ空白地帯に陥るというやり方ではなく、著者の言うように「この自然のただ中に『尊いもの』を見つけ出す」ことによって、互いが独立して立つことで互いがより豊かになることもできるのではないか。人間は神の似姿なのだから。「擬人的」と「擬物的」の極端の間へ人間を着地させようとする著者は「全か無か」という考えを戒めているけれど、ここでもそういった軟着陸はできないだろうか、と思う次第である。まあ、哲学者はもう神になんか興味ないかもしれないから、私がそれを考えるだけか。 神の話は置いておくにしても、これからの展望を見据える最終章の話が楽しい。 目的や意志、つまり人間のあり方、人間ができることを現代の自然主義的世界でどのように捉え直すか、ということだと思うけど、人が人でもなく物でもなくなるのなら、環境や遺伝子を外側の枷、「決定してくるもの」ととらえるのではなくて、自分に固有なもの、形作るものとして自分の範疇に含めて受け入れていくことはできないかと思う。親や祖先を自分に連なるものとして受け入れるように。ヴィクトール・フランクルが「この運命を引き当てたその人自身がこの苦しみを引き受けることに、ふたつとないなにかをなしとげるたった一度の可能性はあるのだ」と語っていたように、能動的でないことにも意味を見出すべきだと思うし…もっといろいろな話を聞いてみたい。引用されている書籍や著者の別の本も読んでみようかと思う。
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「決定論」や「運命論」をめぐって展開されてきた哲学史上の議論を、自由意志にかんする現代的な問題意識のもとで整理しなおし、さらにダーウィン以降の自然科学があたえたインパクトを踏まえながら自然主義の立場から自由意志をめぐる諸問題を解決するいとぐちをさぐっている本です。 サブタイトル...
「決定論」や「運命論」をめぐって展開されてきた哲学史上の議論を、自由意志にかんする現代的な問題意識のもとで整理しなおし、さらにダーウィン以降の自然科学があたえたインパクトを踏まえながら自然主義の立場から自由意志をめぐる諸問題を解決するいとぐちをさぐっている本です。 サブタイトルは「決定論をめぐる哲学史」となっており、古代ギリシア哲学における決定論やスピノザおよびライプニッツの議論などにも立ち入ってそれらの議論が紹介されています。とはいえ、著者の関心は現代における自由意志をめぐる問題に焦点があてられており、そうした観点から哲学史の検討を通じて「決定論」と「運命論」を峻別する試みがなされています。著者は、なんらかの目的を設定する「運命論」から因果的な「決定論」を区別し、ダニエル・デネットの議論を参照しつつ前者を「バグベアー」としてしりぞけます。そのうえで、特定の目的を設定することのない因果的決定論の立場のもとで、人間の自由意志をめぐる問題を調停する道を指し示しています。 決定論ないし運命論についての哲学史的な見取り図を期待する読者にとっては、著者自身の立場が前面に押し出されているため、かたよった議論だという印象を受けるかもしれませんが、それでも一つの問題設定のもとで哲学史上の議論を整理しなおしている点で、興味深く読めるのではないかと思います。本書の最後では、自然主義的な立場から運命論を含む宗教の起源についての考察をおこない、さらに行為者因果を回復する試みがあることに触れられていますが、そうした議論を紹介した続編を読んでみたいと感じました。
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