非国民な女たち の商品レビュー
わたしも「非国民」スピリットを胸に秘めて生きていきたい。 ルッキズムまみれの非難や暴言を吐かれても、パーマネントの機械を金属供出で取り上げられても、電気を止められても、配給の木炭を持ち寄ってパーマをかけるために早朝から並んだり、ときには防空壕でパーマかけたりと、自由を制限されて...
わたしも「非国民」スピリットを胸に秘めて生きていきたい。 ルッキズムまみれの非難や暴言を吐かれても、パーマネントの機械を金属供出で取り上げられても、電気を止められても、配給の木炭を持ち寄ってパーマをかけるために早朝から並んだり、ときには防空壕でパーマかけたりと、自由を制限されてもやりたいことをやる!
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人に迷惑をかけているわけでもないし、それでも不快に映るのなら視界に入れず放っておけば良い。今の感覚ならこんな風にでも片付けられるけど、戦時下のおしゃれ排斥運動は教科書で学んだものよりもずっと陰湿だった。呆れるほどの歪んだ先入観。社会学者(男性/ちなみに本書に度々登場)が街頭で見か...
人に迷惑をかけているわけでもないし、それでも不快に映るのなら視界に入れず放っておけば良い。今の感覚ならこんな風にでも片付けられるけど、戦時下のおしゃれ排斥運動は教科書で学んだものよりもずっと陰湿だった。呆れるほどの歪んだ先入観。社会学者(男性/ちなみに本書に度々登場)が街頭で見かけた華美な婦女子をメディアで嫌味たらしく紹介。パーマに課税なんぞますます汚い。。 国を挙げておしゃれ心を抑圧するという大罪を犯し、腹立たしく思うことも沢山あった。それでも読了できたのは、ご時世だからと我慢しない人達がいたのが嬉しかったから。防空壕にパーマ機材を常備していたなんて教科書に載ってた? 「私はつくづく思いました。女というものはどのようなときにも、おしゃれを捨てることはできないし、おしゃれのためにはいろいろな工夫をするものだと。そしてまた、それは女の人にとって最も大切なことであると」 第Ⅱ部のモンペと女性ファッションでは戦前→中にかけて洋装が浸透していく過程が特に関心をひいた。洋服を買えないならと洋裁学校への入学希望者が続出したと聞いて最初(裁縫がダメダメな)自分は手間だっただろうなと思ったけど、次第に「通うところからもう楽しい!」ってテンションだったのでは?という気がしてきた。 一方国からは「婦人標準服」の指定もあったらしいけど、うーん…シンプルに野暮ったい。モデルの女性も心なしか笑いを堪えているように見える笑 結局普及しなかったらしいし、こーいうのを見ているとファッションは強制できるものじゃないって事を実感する。それを臆せずに物申す田中千代さん、杉野芳子さんが実に凛々しい…!(ついでに「非常時服」をデザインしちゃうところも。こちらは、当時にしては画期的でそこまでカッコ悪くないシルエット) タイトルには「非国民」って呼びたけりゃ呼べば?って彼女たちの気概が見え隠れしている。おしゃれ心をかけた闘いの記録も一緒に語り継いでいけば良い。
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戦時中の女性の服装といえばモンペとばかり思っていたから、そういうわけではないということにビックリ。パーマだって批判されても禁止されても最後は木炭パーマに行きついても、それでもパーマするぞ!っていうのにもビックリ。つややかな黒髪とか汚い足を見せるなとか妙に“日本女性”に夢見ている旧...
戦時中の女性の服装といえばモンペとばかり思っていたから、そういうわけではないということにビックリ。パーマだって批判されても禁止されても最後は木炭パーマに行きついても、それでもパーマするぞ!っていうのにもビックリ。つややかな黒髪とか汚い足を見せるなとか妙に“日本女性”に夢見ている旧態依然としたおじさんたちには呆れたけど、でもまあこの頃の男なんてこんなもんなんだろうな。
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「贅沢は敵」と批判されたパーマネントは、実は戦中、大流行していた? 統制と流行と近代化の狭間で大論争となった女性のお洒落とは
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日本政府は「戦時に相応しい」髪型や服装を公的に決定したが、そのことは、多くの女性たちがその「決定」に従ったことを意味しない。現在われわれが想像するよりもずっと多くの女性たちは戦争中にパーマをかけ、スカートを穿いてお洒落を追求していた。「戦時に相応しい服装」として喧伝されたモンペ...
日本政府は「戦時に相応しい」髪型や服装を公的に決定したが、そのことは、多くの女性たちがその「決定」に従ったことを意味しない。現在われわれが想像するよりもずっと多くの女性たちは戦争中にパーマをかけ、スカートを穿いてお洒落を追求していた。「戦時に相応しい服装」として喧伝されたモンペの着用は、戦時末期まで広がらなかった。 日中戦争・アジア太平洋戦争期にメディアの言説で排撃された「パーマネント」と推奨された「モンペ」という二つのキーワードに注目、女性の外見をターゲットにした統制の言説と、その言説と交渉しつつファッションによる自己表現という思想を手放さなかった女性たちの葛藤を描き出す。『細雪』の読解に役立てばと手に取ったが、期待以上だった。山野愛子や杉野芳子、田中千代ら、女性美容師や服飾デザイナーの言説、彼女たちの学校に関する回想、同窓会誌に注目したところが新しい。戦時・戦後の連続性という観点から見ても、重要な仕事だと思う。
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戦後パーマが流行したのではなく戦前はもちろん戦時中でも女性の美を求める気持ちは流れていた.ということなどなかなか面白かった.戦時中はみんなモンペをはいていたのかと思っていたらそうでもなかったのも驚きだ.公権力に反対しているのではないのが,そのように取られプロパガンダに利用されると...
戦後パーマが流行したのではなく戦前はもちろん戦時中でも女性の美を求める気持ちは流れていた.ということなどなかなか面白かった.戦時中はみんなモンペをはいていたのかと思っていたらそうでもなかったのも驚きだ.公権力に反対しているのではないのが,そのように取られプロパガンダに利用されるというのもいかにもありそうで納得.
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
日常のチカラと、女性としての美へのこだわりと。そりゃそうだよ。モンペはそれでもそれなりに着てたと祖母たちは言ってたけど。パーマは、わかる気がする。
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戦時下、全然、みんながモンペだったわけじゃないんだ。 どんなに禁止しても、パーマだってかけ続けてたんだな。業界やらなにやら巻き込んで、本当、ものすごいパワーだ。 で、こういうことが日本の分断を生む、という論は当時もあって笑う。 女性が美を求めるってのが、全肯定されているのも...
戦時下、全然、みんながモンペだったわけじゃないんだ。 どんなに禁止しても、パーマだってかけ続けてたんだな。業界やらなにやら巻き込んで、本当、ものすごいパワーだ。 で、こういうことが日本の分断を生む、という論は当時もあって笑う。 女性が美を求めるってのが、全肯定されているのもちょっと笑ったけど。
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太平洋戦争中、戦時下の抑圧された社会の中でもモンペや標準服をダサいからと拒否し、「パーマネントはやめませう」の声にめげずパーマをかけ続けた女性たちの話。これを抵抗ととるか、危機感のなさととるか、或いは強かさととるか。 山田風太郎の「不戦日記」など戦時下に書かれた日記などを見てみて...
太平洋戦争中、戦時下の抑圧された社会の中でもモンペや標準服をダサいからと拒否し、「パーマネントはやめませう」の声にめげずパーマをかけ続けた女性たちの話。これを抵抗ととるか、危機感のなさととるか、或いは強かさととるか。 山田風太郎の「不戦日記」など戦時下に書かれた日記などを見てみても、本土に暮らす銃後の人々の生活が大きく変わるのは空襲が激しくなった1945年に入ってからの戦争末期になってからで、それまでは徐々に苦しくなってくる戦況と生活を感じながらも日常を暮らしていたという印象が強い。戦時下でもパーマをかけていたと言われても、まぁそんなもんだろうという気がする。コロナ下の現在、マスクをかけずに外出する程度のことだったのかもしれない。 むしろ、この本の中で出てくるエピソードで驚いたのは、1945年8月15日にパーマをかけに来た人がいたという話。なんだか嬉しくなるね。
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