デンマーク文化読本 の商品レビュー
日本の鎖国にオランダ東インド会社が絡んでたこと、そしてデンマーク東インド会社も存在したこと。んで、オランダ東インド会社が当時めちゃくちゃ強くて日本という市場を独占したいからデンマークを日本に入らせなかった(なお、鎖国という幕府の方針もオランダと日本双方にとってウィンウィンだった模...
日本の鎖国にオランダ東インド会社が絡んでたこと、そしてデンマーク東インド会社も存在したこと。んで、オランダ東インド会社が当時めちゃくちゃ強くて日本という市場を独占したいからデンマークを日本に入らせなかった(なお、鎖国という幕府の方針もオランダと日本双方にとってウィンウィンだった模様)。デンマークも実は日本と貿易したくて何回か来ようとしている。 もちろん、デンマークとの交易はできなかったが日本はデンマークという存在を知るようになった。 そんな歴史知らなかった。 3.11が発生し、数ヶ月経ってデンマーク皇太子がかけつけてくれたこともうれしかった。 遠いところにある国が、日本のことを思ってくれるのも面映ゆいというか、照れくさいというか、なんか、うれしい。
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鎖国の時代から、デンマークと日本はすでに繋がっていたことや、パンのアンデルセンや雪印がデンマーク由来だったことがわかり面白かった。質素で堅実な暮らしぶりも昔からとのこと。
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デンマーク、北欧4国の中で地理的に一番頭に入ってない国だ。下がドイツに接している。 著者は1946生まれ。コペンハーゲン大学DNP特任名誉教授。デンマークのことについてデンマーク語で書いた自身の著があまり日本に伝わっていないということで、日本語で、主にデンマークと日本の接点、と...
デンマーク、北欧4国の中で地理的に一番頭に入ってない国だ。下がドイツに接している。 著者は1946生まれ。コペンハーゲン大学DNP特任名誉教授。デンマークのことについてデンマーク語で書いた自身の著があまり日本に伝わっていないということで、日本語で、主にデンマークと日本の接点、という点に注目して書き下ろした。 読む前はアンデルセンぐらいしか思い浮かばなかったが、読んでみると以外にもけっこうデンマークのものが身近にあった。歴史的には、幕末の開国で1858年に米英露仏蘭と修好通商条約を結び、最後に11番目の国として1867年1月にデンマークとも条約を結んでいた。え~!知らなかったよー。 絵画だと、ハンマースホイ。実は数年前西洋美術館だったかの展覧会を見ていた。北欧の人というのは覚えていたがデンマークとは忘れていた。 映画だと、「パペットの晩餐会」(1987)を見たことがあった。これもデンマークとは気づかづに見ていた。原作本もデンマークのカレン・ブリクセンという人。監督ではラース・フォン・トイアーがいて「ダンサー・イン・ザ・ダーク」を撮っていた。でも舞台はアメリカ。 パンだと「アンデルセン」。高木俊介(1919-2001)氏がデンマークでデニッシュペストリーと出会い、日本で1962年に再現、以後広まったということだ。今やチェーン店となり確かに食べたことがある。 幕末にはスエンソンという海軍軍人が日本に1866年にきて1年くらいいて「日本素描」を自国雑誌に掲載。これは著者が「江戸幕末滞在記」として全訳した。これによるとスエンソンは徳川慶喜にも会っていて、はかま姿の絵も描いている(絵の写真あり)。日本には好印象を抱いて、自尊心があり、しかし老若男女ユーモアがあってふざけ好き、といい、特に女性は小さくてかわいい、と書いているという。 もう一人カール・ノーマン大尉(1839-1899)が1871年、上海・香港間の海底電信ケーブル敷設の関係で横浜に立ち寄り、24時間の上陸をした。その時の記録が「横浜から江戸へ」として残っていて、築地のホテルに泊まり、上野、浅草を見、開港20年の日本を見て、富士山の美しさとともに、「日本はこの先1、2世紀のうちに、その国土の大きさに見合った、世界で最も繁栄し最も豊かな国の一つになるにちがいない。」と記しているという。 岩倉使節団も1872年4月にデンマークにも訪れていた。デンマークは1864年にオーストリア、ロシアと戦争し負けて国土が縮小された状況、岩倉は「米欧回覧実記」で、小国デンマークと日本を重ね合わせていたようだ。デンマーク人に対しては強剛で、仕事に励み、国を愛し、不僥の精神があり、文武に秀で質素と記しているという。 あとはデンマーク体操にデンマーク刺しゅう。刺繍はクロスステッチをきかせたもの。これも昔みたことがあった。 と、ななめ読みしてみると、けっこうデンマークのものになじみのあるものがけっこうあるなあというのが分かった。 ただ、もっとたくさんの写真が欲しかった。 2020.10.30発行 図書館
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