京都・六曜社三代記 喫茶の一族 の商品レビュー
先日京都に行った際、満席&都合が合わず入れなかった六曜社。 そのとき地下一階を経営されている修さんと言葉を交わしたのだけど、客に対して愛想良すぎるでもなく、ぶっきらぼうすぎるでもなく、淡々とお話しされるけど不思議な温かさがある人だなという印象だった。 修さんのバックグラウ...
先日京都に行った際、満席&都合が合わず入れなかった六曜社。 そのとき地下一階を経営されている修さんと言葉を交わしたのだけど、客に対して愛想良すぎるでもなく、ぶっきらぼうすぎるでもなく、淡々とお話しされるけど不思議な温かさがある人だなという印象だった。 修さんのバックグラウンドを知り、あの独特な雰囲気に納得が行った。 喫茶店の役割の変化と時代の変化が重なり興味深かった。 喫茶店に集まる人同士で交流が生まれたり、伝言をしあったりする時代があったんだなあ。 敗戦後に引き続き満州で暮らしていた日本人がいたということに驚いた。
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京都の喫茶店といえば「六曜社」。戦中、満州の屋台で生まれた小さな喫茶店・六曜社のこれまでとこれから。まさにファミリー・ヒストリー。店を続けていく、繋げていくってこんなに?って思うほどしんどい。だからこそ今だに人が唸るコーヒーが提供し続けられるのか
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六曜社行きたいし、ドーナツ食べたい。 本読んだり、おしゃべりしたり、ぼーっとしたり…喫茶店をいろんな使い方で利用したくなった。
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京都で70年以上の歴史を持つ喫茶店「六曜社」。戦後満 州を脱出し喫茶店を立ち上げた初代。自家焙煎珈琲の美味 しさに憑かれて研究を重ねる2代目。そして、「100年続く喫茶店」を目標に家族経営から法人化に踏み切った3代目。長く愛される喫茶店を経営してきた、家族たちの苦労と工夫、葛藤が...
京都で70年以上の歴史を持つ喫茶店「六曜社」。戦後満 州を脱出し喫茶店を立ち上げた初代。自家焙煎珈琲の美味 しさに憑かれて研究を重ねる2代目。そして、「100年続く喫茶店」を目標に家族経営から法人化に踏み切った3代目。長く愛される喫茶店を経営してきた、家族たちの苦労と工夫、葛藤が描かれる親子3代のドキュメントです。
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喫茶店に行きたくなる。コーヒーを飲みたくなる。そこでぼんやりしたり、本を読んだり、その「場」を味わいたくなる。京都に行きたくなる。 でも、まずは地元の喫茶店に行こう。 コーヒーは子どもの頃から飲んでいたけれど、ここ何年かで、いろいろなコーヒーを、違いを楽しみに飲むようになってき...
喫茶店に行きたくなる。コーヒーを飲みたくなる。そこでぼんやりしたり、本を読んだり、その「場」を味わいたくなる。京都に行きたくなる。 でも、まずは地元の喫茶店に行こう。 コーヒーは子どもの頃から飲んでいたけれど、ここ何年かで、いろいろなコーヒーを、違いを楽しみに飲むようになってきた。日本酒を愉しめるようになってから、ひとつのジャンルにさまざまな味わいの楽しみがあることに気づいたからだと思う。 2代目でミュージシャンでもある奥野修さんが、「日本酒に出会ったことで『おいしいってなんだろう』とさらに考えるようになった。」という気持ちに、そうそう!と身を乗り出すような思いになった。気がつく、とか、考える、って、人生を楽しくする。 奥野家のみなさんは、「六曜社」という柱が人生の中にすっくと立っていて、そういう生き方もあるんだなあと、ふらふらしている私にはすこしまぶしい。
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京都三条河原町に1950年から70年以上続く老舗の珈琲喫茶店 六曜社。 満州で終戦を迎えた若い男女 奥野實と八重子の二人が日本に戻って開店したお店だ。 開店当時から奥野實は珈琲の味だけでなく、従業員の立ち振る舞い、接客などにもこだわりをもち、八重子はそんな夫のこだわりがお店のため...
京都三条河原町に1950年から70年以上続く老舗の珈琲喫茶店 六曜社。 満州で終戦を迎えた若い男女 奥野實と八重子の二人が日本に戻って開店したお店だ。 開店当時から奥野實は珈琲の味だけでなく、従業員の立ち振る舞い、接客などにもこだわりをもち、八重子はそんな夫のこだわりがお店のためになると信じて支えてきた。 やがてお店は三人の息子たちの代に引き継がれていくが、三男の修は音楽をやりながらも中々自分の道が見つからず、高校を中退したり、東京に出て暮らしてみたりという紆余曲折を経た末に、マメを自家焙煎して客に提供するという形に至り、六曜社で使う豆を自宅の横に建てた焙煎小屋で賄うようになる。 90年代以降、海外からのコーヒーチェーン店に押され、京都の老舗の喫茶店がどんどんと姿を消していく中、修の一人息子の董平が、京都の前田珈琲での修行を終えて、六曜社を継ぐべく戻って来るのだが、、、 自分の学生時代は西宮や梅田がホームグラウンドだったので、よく通った喫茶店も自然とその近辺で、六曜社という存在は知らなかった。 ここで語られる一軒の珈琲喫茶店を巡る親子三代の物語は大会社を起業したIT長者の、どこか現実味の欠けた、映画の脚本のような物語というよりも、商店街の小さなお店の親子の話を聞いている感じに近い。実際、家族経営だった六曜社が、創業者の實の急逝と共に、経営者という観点で店を見る力が弱まり、そこに新興の大手珈琲チェーンの台頭もあって経営が傾きかける部分は、どこにでもあるような話だ。 でも、その肌感覚の感じられる物語がとてもリアルで、喫茶店という昭和の遺物を守り、100年続く店にしたいと思う三代目の董平氏を応援したくなる。 最後に少し話が逸れるが、この本の発行所が京阪神エルマガジン社。70年代後半から80年代初めに中学・高校生だった自分にとっては、関西で街のお店などを知りたければ「Lマガジン」という情報誌が絶対だった。今やその手の雑誌はほぼ全てインターネットに駆逐されてしまった。 そのエルマガジン社が関西ローカルの歴史を掘り起こすのに一役買っているというのも嬉しい。
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【喫茶の一族〜京都・六曜社三代記】 喫茶店でお茶したくなる本。 京都の河原町三条交差点あたりにある喫茶店「六曜社」。 京都で過ごした学生時代に、妖しげな店名に好奇心が引っ張られて入店しました。 コーヒーを飲みながら本を読んで、1時間くらい過ごしたかな。 当時の僕にとって六曜社...
【喫茶の一族〜京都・六曜社三代記】 喫茶店でお茶したくなる本。 京都の河原町三条交差点あたりにある喫茶店「六曜社」。 京都で過ごした学生時代に、妖しげな店名に好奇心が引っ張られて入店しました。 コーヒーを飲みながら本を読んで、1時間くらい過ごしたかな。 当時の僕にとって六曜社は純喫茶にしか見えなくて、少し背伸びする気持ちで入店したのに、座ってコーヒーを飲み始めると落ち着いて、時間がゆっくりに感じた。 ただただ消費的にコーヒーを飲んでいた学生時代。 大学に入るまではインスタントコーヒーか缶コーヒーくらいしか飲んだことがなかった。 初めて入ったチェーン店のカフェのコーヒーが、当時の僕にはびっくりするくらい美味しくて、いろんなカフェに行ってみたいと思った。 カフェに興味を持った者に対して、京都はうってつけの場所だった。京都市内の下宿先から自転車に乗れば、いくらでも名店に行けた。 その1つが六曜社だった。 上述したように、妖しげな店名と入り口の佇まい。 しかし店内はずっと座っていたくなるような居心地の良さ。 そしてコーヒーが果てしなくうまかった。 そんな記憶は印象深く頭に残っていて、たまたまこの本を見つけた時は「あの六曜社が本を出したのか」と衝動買いした。 六曜社は、敗戦直後に満州で出会った奥野夫妻が立ち上げた喫茶店。 本書が出版されたのは創業70周年となる2020年。 70年間、六曜社は家族三代に渡って運営されてきた。 僕の記憶に深く残る六曜社の空間は、奥野家の家族が積み重ねてきた時間と態度の上に成り立っている。 居心地の良い空間づくりへのこだわり。 コーヒーの味、焙煎へのこだわり。 客と客をつなぐ関係づくりへのこだわり。 そんな六曜社の空間は家族の場でもあり、五感から醸される生活空間が「こだわり」三代に渡って伝えていく。 成功も失敗も1つの文脈として成立する場づくり。 本書では数々の失敗や経営難、お家騒動的な要素も含めて赤裸々に語られている。 それでも六曜社は、70年という時の積み重ねと際限ない未来という大きな文脈の中で、今も京都で成り立っている。 ああ。また行こう。六曜社。
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大河ドラマを見ているようなファミリーヒストリーで、あっという間に読んでしまった。 100年続く店をつくるー続けるには、同じようで、進化しなくてはいけない。
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京都の六曜社の三代記。 老舗を守るために、過去の伝統を変えようともがく3代目薫平さんの奮闘に共感した。しかも家族だから尚更関係性が難しいやろうなあと。 大好きな喫茶店だけに、100年、これからも続いて欲しい。
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六曜社には大学時代から背伸びして出入りするようになり、いつも地下でドーナツとコーヒーを頼んでのんびりしていた。その後、高田渡のトリビュートアルバムを買って、歌っているその人がマスターのオクノ修さんだと知るのは、さらにそこから後のことになる。 ----- 京都河原町三条の喫茶店...
六曜社には大学時代から背伸びして出入りするようになり、いつも地下でドーナツとコーヒーを頼んでのんびりしていた。その後、高田渡のトリビュートアルバムを買って、歌っているその人がマスターのオクノ修さんだと知るのは、さらにそこから後のことになる。 ----- 京都河原町三条の喫茶店「六曜社」 https://rokuyosha-coffee.com/ ----- 戦後の奉天で喫茶店を開業した奥野實さんが日本に帰ってきて今の三条河原町に店を構え、その後三男の修さんが地下店の経営を本格的に始めたのが1986年6月というから、六曜社地下店と僕は同い年ということになる。 実際には経営は少しずつ厳しくなり、一時はキャッシュがショートして倒産寸前までいったとか。今では自社物件として買入されたようだが、テナント時の賃料は65万円というから結構な額だ。 それでも現在経営を引き継いでいる孫の董平氏は、働きすぎで焙煎器の前で居眠りしてボヤ騒ぎを起こすほど疲弊していたというから、いかに現代の喫茶医業隊の経営が難しいかわかる。 ドトール、スターバックス、そしてサードウェーブの波にも争いながら、今も営業を続けているのは奇跡にも近い。 思うのだが、好きな店はやっぱりお客が守らなければならないし、逆にそういう店には、新しい世代の顧客も乗っかることのできる、強度のあるストーリーと、店主のパーソナリティがある。 合理化、均一化にあらがってここにしかない独特の豊かな交流の場が存在するということは、京都という町にまだ文化を許容する隙間があるという希望でもあるような気がするので、これからも営業してほしいな、と思いながらも今となっては簡単には通えず、コロナの問題もある。どうなっているんだろうか。 継続すること、場を守ること。そのために数字を作り、サービスを組み立てること。たぶん六曜社も単純にお金のためだけではない、歴史を続けていく覚悟があるのであって、そういうのを本当の「仕事」と呼びたい。稼ぐことが自己目的化した事業はやっぱり薄っぺらい。 美味しいコーヒーとドーナツ。なんにでもその裏には人の歴史がある。それを想像する力、好奇心が場を守るのかなー、と思いました。想像力と好奇心、価値を見出して言語化する力。お店はやっぱりお客と一緒に作るものなんだろうな。
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