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かきがら の商品レビュー

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2023/07/26

 短編集。収録作は、COVID-19による終末の予感でそれぞれが繋がっています。お呼ばれしたおうちでカキフライをごちそうになりながら、牡蠣の形状から人間の生殖器を連想した主人公が、新たな愛のはじまりの立会人となる『がらがら、かきがら』、ホテルの清掃員が宿泊客に勧められ、自らの稼ぎ...

 短編集。収録作は、COVID-19による終末の予感でそれぞれが繋がっています。お呼ばれしたおうちでカキフライをごちそうになりながら、牡蠣の形状から人間の生殖器を連想した主人公が、新たな愛のはじまりの立会人となる『がらがら、かきがら』、ホテルの清掃員が宿泊客に勧められ、自らの稼ぎではとても入れない高級天ぷら屋に意を決して入っていく『聖毛女』、海岸をツアーで訪れた親子の周囲で急速に老い、消滅していく人々『古代海岸』が好きでした。

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2021/05/28

『わたしたちは、無秩序から、見かけだけは頑丈で完璧な秩序をクリエイトする。たとえ瞬時に破壊されるとしても』-『聖毛女』 二〇一五年八月から二〇二〇年一月に掛けて出版されたものに書き下ろしの一篇を加えた短篇集。あとがきによれば少なからぬ修正を加えたとあるが、個々の短篇が呼応し合う...

『わたしたちは、無秩序から、見かけだけは頑丈で完璧な秩序をクリエイトする。たとえ瞬時に破壊されるとしても』-『聖毛女』 二〇一五年八月から二〇二〇年一月に掛けて出版されたものに書き下ろしの一篇を加えた短篇集。あとがきによれば少なからぬ修正を加えたとあるが、個々の短篇が呼応し合うような符牒があり、かつ全編を蓋う近未来的頽廃の雰囲気が短篇集としてのまとまりを感じさせる。そこに現下の感染症のもたらした状況を重ね、文明社会に対する非難めいた言葉を読み取ってしまうのは容易だが、むしろ変わりゆくもののさだめを看取って束の間言葉に載せてみないではいられない詩人のさがを見るべきか。 空箱、抜け殻、亡骸。あとがきで詩人が「から(がら)」(という音)への執着を吐露するが、そこに瑞々しさは瞬時に失われてしまうものであると強く意識しているものの言葉を読む。本編でも和歌や浮世絵が過去の縁(よすが)として象徴的に引かれているが、言葉にしても、風景にしても、今そこに見えるものは過去の残滓でしかない。そのことを、もののあわれ、全ては変わりゆくもの、と言い募ったところで、それが一瞬一瞬固定された今の抜け殻として残って見えているだけであることに変わりはない。そんな詩人の視線を読み解いてみることも出来るような気がする。 例えば、いにしえの和歌に託された心情は、文字数の短さに手伝って言葉(シニフィアン)の変化があり意味(シニフィエ)を曖昧にする。浮世絵に残る風景はいくら同じ構図を物理的に現在に見い出して重ね合わせてみても蘇ることはない。しかし言葉の放つ音や、描かれた場所に残る地名が、辛うじて何か意味らしきものを響かせる。そして言葉や絵にする行為とは、その意味らしきものを記号に移す作業に過ぎないことであることを思い至らしめる。全ては逆向きの過程だったのだ。音が言葉になったのであり、風景が地名になったのだ、と。 だから何だという訳ではない。ただそこに物語性ではなく詩人の幻視を認めるだけのこと。

Posted byブクログ

2020/10/18

かきがら 小池昌代著 諦念と希望を抱えた孤独感 2020/10/3付日本経済新聞 朝刊 7つの短編が収載されている。最初の「がらがら、かきがら」は、新型コロナウイルスの影響下で「深海魚のようなきもちで」書き下ろしたとのこと。現在の状況に合致する部分が随所にあるが、中年女性の組(く...

かきがら 小池昌代著 諦念と希望を抱えた孤独感 2020/10/3付日本経済新聞 朝刊 7つの短編が収載されている。最初の「がらがら、かきがら」は、新型コロナウイルスの影響下で「深海魚のようなきもちで」書き下ろしたとのこと。現在の状況に合致する部分が随所にあるが、中年女性の組(くみ)が「自分が生きるとは思わなかった」と感じるなど、もっと深刻なパンデミックが起こったという想定のようでもある。 友人とひっそり牡蠣(かき)フライを食べながら、そのふっくらとした身から「ふぐり」という言葉が浮かぶ。そこから、源実朝や死んだ父、兄の子供と、ふぐり連想が続く。危機を背景とした命のあやうさの象徴として、やわらかな牡蠣の身が脳内で揺れる。 全編を通し、荒涼とした世界でなんとか生きる人々の、よるべない心情が、様々な立場の人の目を通して、奇妙な歪(ゆが)みを伴いながら念入りに描かれている。 〈今は、みんなが、身体や心に、何かの不具合を抱えて生きている。だいたい、朝起きて、どこにも異常がない、という人はいないでしょう。それが傍目(はため)に見えたり見えなかったりするだけで、わたしたちはすでに、傷だらけなんです。そんな時代、恐ろしい時代。原因をたどれば多岐に渡り、直接の原因を特定することなど、できないでしょう。大気汚染、土壌汚染、様々な公害。魚が死んでいる。カラスが落ちてくる〉 「聖毛女」で、形状異常の少女を診察した医師が語った台詞(せりふ)である。人々の負う「傷」がデフォルメされた形で描かれているが、現在地球規模で直面している問題と直結している。 戦乱の世に過酷な運命を強いられた実朝が残した和歌がところどころに引用され、遠い日の詩心が、混迷する世界で新鮮に響く。この実朝について〈ぞっとするほどひとりぼっちで、詩の心がわかり、人の悪口を言わず、なにもかも飲み込んで、何も言わずに死を覚悟しているような人。気が弱いというのではない、やさしいというのではない、ただ、深く諦めている。半分、死んでいる。もう半分で生きたいと切実に思っている〉と、組が推察している。 この、諦念と希望を抱えながらの孤独感は、短編集の登場人物に共通するものであり、長びくコロナ禍に粛々と生きるしかない今の私たちへ向けられたものでもあるのだろう。 《評》歌人 東 直子 (幻戯書房・2400円) こいけ・まさよ 59年東京生まれ。詩人、小説家。詩集に『コルカタ』『もっとも官能的な部屋』、小説に『たまもの』『タタド』など。

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