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アウシュヴィッツ潜入記 の商品レビュー

4.5

18件のお客様レビュー

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2021/04/09

ナチスに自ら逮捕されることで捨て身のアウシュヴィッツ偵察を行ったポーランド人、ヴィトルト・ピレツキ大尉による報告書を編纂した一冊です。 収容所内で死んで当然だろうという決死隊として乗り込むピレツキ大尉は相当な変わり者と言えますが、状況に臆することのない鉄の心が報告書と彼自身の生還...

ナチスに自ら逮捕されることで捨て身のアウシュヴィッツ偵察を行ったポーランド人、ヴィトルト・ピレツキ大尉による報告書を編纂した一冊です。 収容所内で死んで当然だろうという決死隊として乗り込むピレツキ大尉は相当な変わり者と言えますが、状況に臆することのない鉄の心が報告書と彼自身の生還という形で実を結びました。 1945年のペウチンスキ将軍に宛てた報告書が原書であり、その後の英訳を邦訳したものが本書となります。 ユダヤ人やジプシーやソ連軍捕虜に比べてポーランド人であることが生存に役立ってはいましたが、それでも死と隣り合わせの状況で観察し記録することを第一に日々を送っていました。 2~3年をアウシュヴィッツ収容所で暮らし、逃げるなら今しかないという所で機転が利くピレツキ大尉には脱帽します。 絶滅収容所の記録はドイツの戦況悪化に伴い大量処分されたため、貴重な生の記録の一つと言えるでしょう。

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2021/03/14

進んでSSに捕まりアウシュビッツの状況をポーランドに報告すると言う身を呈した情報戦 3年近くナチが行う全てを見、様々な病気や蔓延する錯乱を乗り越えて ポーランド同胞との関わり方も興味深いもの。 フェノールが足りないと生き返った これは衝撃だった…

Posted byブクログ

2020/12/26

第二次大戦期、自らナチスに捕まり、アウシュビッツの内情の報告をしながら、収容されている収容者による抵抗組織を構築、ポーランドの地下組織に連合国軍に働きかけてパラシュート部隊によるアウシュビッツ攻撃と連動して抵抗組織によるアウシュビッツ解放を訴えかけていたポーランド国内軍騎兵 ヴィ...

第二次大戦期、自らナチスに捕まり、アウシュビッツの内情の報告をしながら、収容されている収容者による抵抗組織を構築、ポーランドの地下組織に連合国軍に働きかけてパラシュート部隊によるアウシュビッツ攻撃と連動して抵抗組織によるアウシュビッツ解放を訴えかけていたポーランド国内軍騎兵 ヴィトルト・ピレツキ。 本書は彼がアウシュビッツから脱走したのちに地下組織に対して作成した報告書の英語訳を元にした翻訳本。 ナチス・ドイツは収容所の様子を隠蔽していたために、その内情や、内部で亡くなった収容者たちがどういう状況に置かれているのかは中々外部には伝わっていなかった。 ピレツキはこれを調べるために故意に逮捕され、収容所に入ったのだ。 そこから2年余り、時にはSSによる粛清に脅かされたり、ある時にはチフスに罹って苦しんだりとまさに命を危険に晒しながら、信頼できる収容者を探し、抵抗分子として組織化を進めていく。 ピレツキは外部からの軍の支援が有れば、内部の抵抗組織を率いてアウシュビッツ収容所の解放が、そして収容所の実態を早期に世界に知らしめることが可能であったと考えていたという。 訳註などからはところどころ記述が実際と異なる部分もあるようだが、それより脱走後に報告書として書いたという本書の細部についての記憶力の凄さはそういう誤謬を埋めて余りある。

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2020/12/20

アウシュビッツに意図的に入って収容所の実態を調査して外部に知らしめようとしたポーランド軍将校の報告書。あの環境を2年半も生ききったのが凄い。後半部はゆとりがあったように読み取れるが、それでも一方ではホロコーストは進行していた。 移送の描写も他の本などから知っていたとおりで、彼は石...

アウシュビッツに意図的に入って収容所の実態を調査して外部に知らしめようとしたポーランド軍将校の報告書。あの環境を2年半も生ききったのが凄い。後半部はゆとりがあったように読み取れるが、それでも一方ではホロコーストは進行していた。 移送の描写も他の本などから知っていたとおりで、彼は石灰運搬の貨物車で丸一日かけて移動させられた。飲食は当然できず。到着してからは無作為の殺戮がすぐに起きている。それからも当たり前のように劣悪な環境下で死と隣り合わせの日々を送りながら、ポーランド人収容者の仲間を募って組織化を続けた。 涙の壁や地下壕での虐殺の様子も書かれている。また、携わった労務やシラミとの戦い、「カナダ」からの衣類や食糧の調達、家族からの小包といった話も。 外の人々がアウシュビッツの収容者たちを平然と骸骨呼ばわりしていることを知っての「自由のなかで人生を謳歌している仲間を守るために命を落としつづけるためには、どれほどの忍耐が必要なのだろうか。」や、脱出後に大多数の人々に抱いた「大きな屋敷をさまよいながら、いきなり子供たちしかきない部屋の扉を開けたような感覚に襲われた。」といった印象が胸に迫る。

Posted byブクログ

2020/12/13

われわれを苦しめるドイツ文化の神髄を示すかのように、人道的な殺害方法が次々に考案され、収容者は病棟からガス室へと公然に送り込まれるようになった。

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2020/10/31

知識人はすぐ殺されたり、水分は取らない方がよかったり、新しく収容された人たちにノミが向かっていったり、こんなことは絶対に二度とあってはならない。

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2020/10/24

アウシュビッツに自ら進んで収容され、後に脱走したポーランド人士官の体験記。 アウシュビッツの状況は非人道的、悲惨ではあるが、例えば「夜と霧」や、「アウシュビッツの巻物」で語られる状況より、随分ましである。収容時期(報告者がアウシュビッツにいたのは1940-1943)がかなり初期か...

アウシュビッツに自ら進んで収容され、後に脱走したポーランド人士官の体験記。 アウシュビッツの状況は非人道的、悲惨ではあるが、例えば「夜と霧」や、「アウシュビッツの巻物」で語られる状況より、随分ましである。収容時期(報告者がアウシュビッツにいたのは1940-1943)がかなり初期から、ドイツにとって戦況が非常に悪化するより前であること、収容所としても絶滅を目的とする第二収容所(ビルケナウ)に比べて労働力として期待するところがあること、彼がポーランド人であること、アウシュビッツに連れてこられた理由が集団検挙(つまり検挙の日に街中に偶々居ただけで、政治犯や同性愛者のように“悪”だった訳ではない)ということによるものと思われる。 報告者も認めているように、収容所には、古参-新参、ドイツ人>ポーランド人>ロシア人>ユダヤ人・ロマの階層があり、階層が上であればそれだけ有利な労働につくことができ、食料事情も良く、死亡率も低かった。 生活水準については、1943年ごろは、外の家族から収容者宛の小包が多数届いていたとか(p 295-)、ある時期から収容所棟内にバスルームがあった(p 246-)とか初見の話もあった。 1940年収容所開設初期の直接的暴力から、1941年のソ連兵の収容と大量殺戮におけるガス使用の開始、1942年からのユダヤ人絶滅開始と、編年的に収容所の運営が変化していく様子は興味深い。 彼は収容所内では恵まれた立場にいたと思うが、彼の体験が悲惨でなかったということはなく、収容所の中と外の違い、外の人の無理解に対する苦い気持ちが響く。

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2020/10/15

アウシュビッツに自ら忍び込んだポーランド国内軍(ナチスドイツ占領後のロンドン亡命政府)の将校ピレツキの潜入記。アウシュビッツはホロコースト(ユダヤ人大虐殺)で有名だが、ユダヤ人が連れてこられる前はポーランド人・ロシア人等が収容され、虐待虐殺されていた事実は知らなかった。改めてアウ...

アウシュビッツに自ら忍び込んだポーランド国内軍(ナチスドイツ占領後のロンドン亡命政府)の将校ピレツキの潜入記。アウシュビッツはホロコースト(ユダヤ人大虐殺)で有名だが、ユダヤ人が連れてこられる前はポーランド人・ロシア人等が収容され、虐待虐殺されていた事実は知らなかった。改めてアウシュビッツで行われていた数々の非人道的行為にどこまでも人間は野蛮で残虐になれることにやるせなさを覚えるとともに、そのような想像を絶する環境下にあっても人間性を失わずに生きた人々がいたことに安堵した。あの時代に生まれなくて良かったと正直に思わずにはいられない。

Posted byブクログ