牧野富太郎 の商品レビュー
【2021年中学生課題図書】 これが1番感想文を書きやすいのでは、と思った。 やりたいことをやり通せる姿が素晴らしい。
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草木の妖精・牧野富太郎さんの伝記です。 その偉業と人生は奥さまの壽衛さんと二人三脚で成し遂げたものでした。 晴れやかな笑顔で山の斜面に立つ扉の写真が印象に残る。 牧野さんのTo Do リスト より、 「書を家とせずして、友とすべし(書物に書かれていることをうのみにせず、誤りが...
草木の妖精・牧野富太郎さんの伝記です。 その偉業と人生は奥さまの壽衛さんと二人三脚で成し遂げたものでした。 晴れやかな笑顔で山の斜面に立つ扉の写真が印象に残る。 牧野さんのTo Do リスト より、 「書を家とせずして、友とすべし(書物に書かれていることをうのみにせず、誤りがあるときは正し、本と友のような関わりをもつこと)」 志と希望に満ち満ちた空気感。明治という時代ですね。 学名や分類についても紹介されている。
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本草学ではなく植物学として。 学歴なしが足枷になったのか、学校という鎖に縛られなかったからこそのこの成果なのか。 一生研究に打ち込むことができたのは、その研究に賛同してくれる協力者がたくさんいたから。 本人はとにかく研究しているだけだし、誰にでも植物学を広めたいだけだったのだろう...
本草学ではなく植物学として。 学歴なしが足枷になったのか、学校という鎖に縛られなかったからこそのこの成果なのか。 一生研究に打ち込むことができたのは、その研究に賛同してくれる協力者がたくさんいたから。 本人はとにかく研究しているだけだし、誰にでも植物学を広めたいだけだったのだろうけど、それが良い人間関係を作り上げた。 人間関係が後からついてきた感じなんだろうな。 凄いことだと思う。 好きなこと一筋。 うらやましくもある。
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日本植物学の父、牧野富太郎さんが20歳のときに心構えとしてたてられた、15の赦鞭一撻の現代語訳も知ることができました。 周囲のサポートがあってこそのご生涯だったということです。 ご高齢になられてから初めて歯が抜けてぬけてしまったとか、牛肉とトマトが大好物だったとかいうお話が出...
日本植物学の父、牧野富太郎さんが20歳のときに心構えとしてたてられた、15の赦鞭一撻の現代語訳も知ることができました。 周囲のサポートがあってこそのご生涯だったということです。 ご高齢になられてから初めて歯が抜けてぬけてしまったとか、牛肉とトマトが大好物だったとかいうお話が出てきます。 奥様も牧野さんのことを信じれ続けて、牧野さんの研究を支えられました。 87才で危篤になられましたが、復活しお亡くなりになれれる94才までお仕事をされて、ご活躍されました。 牧野富太郎さんの偉大なご生涯、ご業績は、あの当時の日本の大変恵まれた大きな奇跡だったのかもしれません。 牧野富太郎さんみたいな方が日本人として存在がしてくださったことに、日本人すべてが大きく感謝するべきだと思いました。
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幕末、土佐の佐川村の裕福な家に生まれた牧野富太郎は、野山の植物を観察するのが大好きでした。学校の勉強になじめず、小学校2年で小学校をやめ、植物採集や写生、読書に没頭し、西洋の植物学に触れてからは、日本の植物誌を作ることが生涯の目標となりました。夢中になると周りのことなどおかまいな...
幕末、土佐の佐川村の裕福な家に生まれた牧野富太郎は、野山の植物を観察するのが大好きでした。学校の勉強になじめず、小学校2年で小学校をやめ、植物採集や写生、読書に没頭し、西洋の植物学に触れてからは、日本の植物誌を作ることが生涯の目標となりました。夢中になると周りのことなどおかまいなし、生活力ゼロの天才植物学者を家族と友人たちが支えます。学歴なしの天才がその情熱と知識と技術で日本植物学の祖となるまでをわかりやすい文章でまとめた伝記。87歳、臨終の床から奇跡の蘇りをはたすところにはびっくり仰天です。
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