新編「終戦日記」を読む の商品レビュー
そう、今は間違いなく戦中だからこの本を読んでいる。 私たちの責任はもはや当事者ではなかった先の戦争における反省を行うことだ。 それにより損なわれるものは何もないのに、まだ十分になされていない。 自己憐憫を反省と履き違えてはいけない。
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空襲、原爆、玉音放送……あの夏の日、日本人は何を思ったか。文人・政治家の日記を渉猟し、自らの体験を綴る。戦争随筆十三篇を増補。〈解説〉村上玄一
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あの戦争をどう伝えていくのか、時の経過とともに、ますます伝えることの難しさを思いながらも、幼い妹を死なせてしまった原体験を一生抱えて生きてきた著者が、戦時下の日々を記した作家や市井の人々の日記に拠りつつ自身の体験を振り返った表題作に、戦争体験に触れた関連エッセイを収録した一冊。...
あの戦争をどう伝えていくのか、時の経過とともに、ますます伝えることの難しさを思いながらも、幼い妹を死なせてしまった原体験を一生抱えて生きてきた著者が、戦時下の日々を記した作家や市井の人々の日記に拠りつつ自身の体験を振り返った表題作に、戦争体験に触れた関連エッセイを収録した一冊。 著者野坂昭如は"焼跡闇市派"を自称していたが、無差別空襲を直接経験し、家を失い、近親者が亡くなった自分が、何とか戦争体験を伝えて行かなければならないとの使命感を生涯持ち続けた作家だったのだなと、本書を通読して強く感じさせられた。 小さい妹に食事をあげなければならないのに、つい自分が多くを食べてしまう。骨と皮ばかりになってしまった小さな子を日々見ていなければならなかった辛さは、いかばかりだったかと思う。 印象に残ったところ。 『「終戦日記」を読む』では、最初に、広島で被爆死した高等女学校1年生の8月5日の日記、「明日からは、家屋疎開の整理だ。一生懸命がんばろうと思う」に、胸がつまったと著者は言う。13、14才の日記に使われる常套句であろう、がんばろうと思うが、日記の筆者の最後の一句で、その人生が翌日には断ち切られてしまった。平凡な一句だけになおのこと、様々な思いが去来する。
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