「地方」と「努力」の現代史 の商品レビュー
京都大学大学院の教授である著者が地方競馬から人気を博したハイセイコー、オグリキャップ、ハルウララのそれぞれの人気について研究し、時代背景とともに考察した一冊。 地方競馬から中央競馬に移籍して国民的人気となったハイセイコーとオグリキャップ、そして連敗で話題となった高知競馬のハルウ...
京都大学大学院の教授である著者が地方競馬から人気を博したハイセイコー、オグリキャップ、ハルウララのそれぞれの人気について研究し、時代背景とともに考察した一冊。 地方競馬から中央競馬に移籍して国民的人気となったハイセイコーとオグリキャップ、そして連敗で話題となった高知競馬のハルウララについて競馬のそれぞれの歴史や当時の時代をもとにギャンブルである競馬界から出てきたアイドル的名馬について数々の資料をもとに考察されており興味深いものでした。 そして、勝てないレースの多かったハイセイコーが挫折の象徴から時が経つにつれて希望の象徴に変わっていったことやバブル期のマネーゲームの中心としてに踊らされたオグリキャップが引退後酷使されたローテーションが美化され神格化していったことなど時代が進むにつれて二頭の扱いに変化が生じたことなど現代の私たちが抱いている各馬印象とは違った当時の姿を知ることができました。 今はネットでの販売などで息を吹き返しつつある地方競馬が2000年代からの地方競馬場の廃止ラッシュの真っ只中に負け続けるハルウララにスポットライトが当たったのも時代背景が強くあるということも読んでいて思いました。 過去を美化し努力がいつか報われるという希望を本書で紹介されている3頭に重ね合わせてレースで走る姿を応援するという親近感のあるアイドル像を3頭が担っていたという考察は面白いと感じました。 こうしたブームはまたどこかの時代で起きると感じると共にその対象が馬ではなく、騎手や調教師など競馬関係者でも充分にあるとも感じました。 そして、一世風靡したブームを丹念に調べることでこうした考察を得られるということも感じた一冊でした。
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「アイドルホースと戦後日本」という副題が的確。アイドル論、アイドルホース論として興味深く読んだ。「集合的記憶による語りの変質」の論述が鮮やか。記憶は、想起されるたびにその内容が編集されていく。ハイセイコー、オグリキャップ、ハルウララという社会現象にまでなった3頭が研究対象だが、オ...
「アイドルホースと戦後日本」という副題が的確。アイドル論、アイドルホース論として興味深く読んだ。「集合的記憶による語りの変質」の論述が鮮やか。記憶は、想起されるたびにその内容が編集されていく。ハイセイコー、オグリキャップ、ハルウララという社会現象にまでなった3頭が研究対象だが、オグリについては私自身がリアルタイム世代なので、語りが変容していく実態を自分のこととして実感できた。しかし、改竄されてしまった記憶であったとしても、まったく思い出されなくなるよりはマシなのかもしれない、とも思った。
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