五行歌集 風と出逢う の商品レビュー
塚田さんは十代の頃から詩を書いていて、25歳のときに詩集も出された。 定年後に出逢った「五行歌」。草壁焔太主宰その人が、二十代に愛読していた詩集の作者だったことを知り、「夢の欠片」をもう一度拾おうとされたようです。(あとがきより) もともとの詩人が書く五行歌は、人に優しい、温か...
塚田さんは十代の頃から詩を書いていて、25歳のときに詩集も出された。 定年後に出逢った「五行歌」。草壁焔太主宰その人が、二十代に愛読していた詩集の作者だったことを知り、「夢の欠片」をもう一度拾おうとされたようです。(あとがきより) もともとの詩人が書く五行歌は、人に優しい、温かいものでした。 何もせんでも 良い日には 何もせんでも 良いでは ないか やっと解ったよ 君が言った 人に期待しないということ けして 悪い意味ではなかった 春になれば 空の青が 菜の花畑に 下りて 緑の風になるのです 風が好きで、春が好きで、夢見る心を忘れない方なのだなぁと思いました。 巻末の自選十二首に作者コメントがあり、1975年の詩集からも作品が掲載されている。好きなものはずっと変わらない、まっすぐな塚田さんの道のりを見る思いがしました。
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彼の五行歌集ができることは、私にとっても嬉しいことだった。 内容にも、なんの疑問もない。そのままでいい。ほんとうのことだから、何をどう書いてもいい。 そんなことってある? と思う人もいるかもしれないが、この歌集がその答えである。ここに塚田三郎さんがいる。ちょっと変かもしれな...
彼の五行歌集ができることは、私にとっても嬉しいことだった。 内容にも、なんの疑問もない。そのままでいい。ほんとうのことだから、何をどう書いてもいい。 そんなことってある? と思う人もいるかもしれないが、この歌集がその答えである。ここに塚田三郎さんがいる。ちょっと変かもしれない。いや、だからこそ、この人らしい。何か特別の人なのだが、ごく普通になんでも書いている。 誰にも書けそうだが、ここには極めて特徴的な一人の人の人柄が現われていて、それが詩になっている。ほんとうの気持ちだからである。 私は、まるで自分のような人を紹介しているような気分である。 (五行歌の会主宰 草壁焔太跋文より)
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