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なぜ人はカルトに惹かれるのか の商品レビュー

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6件のお客様レビュー

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2023/06/16

著者は大学在学中にある宗教にハマり、その後紆余曲折あって脱会したという方。 それだけに内容がリアルで説得力があります。 なぜ人はカルトと呼ばれる宗教にハマるか? 著者が書かれていた 「これで救われる」という一言の意味の深さ! 「人生なんて、生きる意味なんて真面目に考えてないで...

著者は大学在学中にある宗教にハマり、その後紆余曲折あって脱会したという方。 それだけに内容がリアルで説得力があります。 なぜ人はカルトと呼ばれる宗教にハマるか? 著者が書かれていた 「これで救われる」という一言の意味の深さ! 「人生なんて、生きる意味なんて真面目に考えてないで 大学時代はぱ~と楽しまなきゃ損だよ~」 なんて説得されてもそりゃ心には響かんわな~ だって考え方の根本が違うんだからね… ちょっと前に読んだ、麻原彰晃の四女さんの著書を読んでた時に「あ~」と思ったことがこの本で納得。 著者の瓜生崇さんは、脱会したとはいえ、ここまで自分を見つめる作業はとても苦しく大変だったと思う。 カルトで苦しむ家族や親族さんなど、多くの人にぜひ読んでほしい本。

Posted byブクログ

2022/05/04

非常に興味深い。 筆者は大学在学中に浄土真宗親鸞会に入会し、12年間活動を続けた後に脱会。その後、カルトの脱会支援活動に注力している。 宗教に入る、カルトにハマる、そんな人はどんな人だろうか?筆者はそんな人たちは思考停止してるのでも、考えがないのわけでもないと言う。逆に何も考...

非常に興味深い。 筆者は大学在学中に浄土真宗親鸞会に入会し、12年間活動を続けた後に脱会。その後、カルトの脱会支援活動に注力している。 宗教に入る、カルトにハマる、そんな人はどんな人だろうか?筆者はそんな人たちは思考停止してるのでも、考えがないのわけでもないと言う。逆に何も考えずに日々を過ごしているのは、宗教に関わっていない人であって、宗教に関係した人たちとは、「人生に何の意味があるのだ」と考えずにいられない人と説く。他には、彼らは人間の根源的な救済や、教えを求める核を持っているとも書いている。 筆者の発言には何度もはっとさせられた。元カルト信者に対して、宗教とは、生きるとは、なんてことを考えてこなかった一般人がなぜか上から目線で説教をする。この構図は、本当に合っているのか? 彼らの方がその何倍も考えて、自分の半生を否定するだけの力を使って、脱会をしたのだ。考えに考え抜いているのだ。 本書はカルトと名を打っているが、既存宗教であっても同じように読替えが出来る。 日本では宗教への忌避感が強い為に、最初からフィルターがかかってしまっている事が多い。本書を読む事で目から鱗が落ちた(聖書の引用らしい)。

Posted byブクログ

2021/09/08

文章力がすごくてこのテーマに興味がない人でもぐんぐん読めると思う。 そして長年うっすらと蓄積されてきたカルト信者への思い込みが丁寧にほぐされていく。 私はカルト信者について「騙されやすい」「お人好し」「論理的でない」というイメージを持っていたが、なんか全然違ったな。 カルト信者は...

文章力がすごくてこのテーマに興味がない人でもぐんぐん読めると思う。 そして長年うっすらと蓄積されてきたカルト信者への思い込みが丁寧にほぐされていく。 私はカルト信者について「騙されやすい」「お人好し」「論理的でない」というイメージを持っていたが、なんか全然違ったな。 カルト信者は、人生の意味に迷い、もう迷わなくていいように信仰を深めるのであり、その脱会はまた迷い続ける苦しい人生への逆戻りであるというのが凄かった。そして「脱会者像」に沿うように生活するのもまた辛いとも。 著者は自身もカルトを信仰し脱会した経験をもとに、カルトはダメだときっぱり言い切らず、支援者と一緒に迷いどこまでもついていく、という姿勢を大切にされている。 信者たちは、人間が一度はぶつかる「なぜ生きるのか」という問題に人生をかけて真剣に迷い、真理を求め入信するという。 インチキであってもそれを求めた人の思いは本物であり、そこに敬意を払わないと脱会支援はうまくいかないらしい。 信者に対し「そんなのインチキだ」「救済などあるわけがない」などの一周目の批判をするのは悪手で、なぜなら彼らはとっくにそのテーマと向かい合い先輩信者などとの問答を通して既に解決しているから、というのがすごく響いた。 カルトに深くのめり込む過程も丁寧に説明されていて、その予想外の流れに驚く。 修行に励む中で、幸運や神秘体験と言うべきことが起こったとしても、信者たちはこれ即ち信仰の結果起こったことだとすぐに納得出来るわけではない。 これは本当に信心の結果なのか?という心の隙間が生まれ、その隙間を埋める判断を「師」や「グル」に求めずにはいられない。そこからさらに師への依存を強めていく、という機序らしい。なるほど〜。 そして、問題のある勧誘を行ってしまう心理について。 勧誘の際に団体名を隠して、ある程度教えに馴染み信心が生まれたところで団体名を伝えるというやり方には明らかに問題があるが、自分もそのやり方で勧誘されたので、あれも自分に真実を伝えるための方便だったと肯定したいがために、かえって自分も熱心に同じことをしてしまう、ということらしい。すごい。こういうパターンの心の動きって自分の中にもある気がする。 何事も敬意と想像力を念頭に置かなければいけないな。

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2020/10/10

実践的な立場から一般論を越えた見解で、結論に驚きはないものの非常に説得力があった。宗教に限らず人生の様々な場面に適用できると思う。

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2020/09/17

世代も近く大学での勧誘実態もよくわかる。どこまで行っても人と人とのコミュニケーション。大事な人との関わり方、寄り添い方、分断を防ぐ視点、カルトという言葉をタイトルにしてるが、前提を疑えない、前提を共有できない人との会話がいかに困難か。カルトとまでは言えなくとも似たようなケースは日...

世代も近く大学での勧誘実態もよくわかる。どこまで行っても人と人とのコミュニケーション。大事な人との関わり方、寄り添い方、分断を防ぐ視点、カルトという言葉をタイトルにしてるが、前提を疑えない、前提を共有できない人との会話がいかに困難か。カルトとまでは言えなくとも似たようなケースは日常的にある。 P84 カルトとは、ある特定の教義や思想、あるいは人物そのものを熱狂的に崇拝する集団であり、その組織的目的を達成するために、詐欺的な手法を用いて勧誘したり、メンバーやメンバー候補者に対して、過度な同調圧力を加えて人格を変容させ、精神的肉体的に隷属させたり、経済的に無理な収奪を行ったりするものをいう。

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2021/04/30

タイトルからすると、これはいわゆるカルト宗教脱会に関わる本であるように見える。だが自分はこれを読み終わったときに、宗教書だと思った。 第一章は、瓜生師自身の親鸞会への入信と脱会、その後までの体験記である。実際にカルト宗教に向かう人がどういった歩みをしたのかを追体験できる。「自分...

タイトルからすると、これはいわゆるカルト宗教脱会に関わる本であるように見える。だが自分はこれを読み終わったときに、宗教書だと思った。 第一章は、瓜生師自身の親鸞会への入信と脱会、その後までの体験記である。実際にカルト宗教に向かう人がどういった歩みをしたのかを追体験できる。「自分には絶対こうならない」という人はここを読んだ後どれだけいるだろうか。自分だったらどうだろうということを常に考えながら読んだ。他人の人生をなぞりそれを自分の中に置く体験。 そしてなにがカルトで、なにが”大丈夫”なのかの「正しさ」について。生きていく中で必ず善悪、好悪を付けずにはいられないわたしたちというのは瓜生師の法話の中でも必ずお話しいただく分別の部分である。カルトに関しても我々は自分で「正しさ」を作って判断しているのだ。常識的、宗教的、社会的な「正しさ」を自分たち、自分がそれぞれ持っていて、公衆の場でカルトに対してその「正しさ」を振りかざすときに突き詰めれば意味合いが統一されたものでなかったりする。とりわけ宗教的な「正しさ」は誰がその分水嶺を判断できようか。この部分はカルトだけでなく、人間として自分が物事の判断基準をどう持っているかについて考えさせられる。そして己で作った「正しさ」は調子のいいときに作ったものであれば、それは自分で簡単に破ってしまう脆弱なものでしかない。 最終章ではどうしたらカルト脱会ができるかという点に関しての著述であるが、自分はここで「どうしても自分の正しさから抜けられない人間がどう他者と共存していくか」について考えさせられた。 人間はどうしても他者と本当にわかり合うことなど出来ない。肉親でもだ。カルト脱会というテーマでここは書かれているが、苦しむ人と一緒に苦しみ、揺らぎ、そして人間は迷うものであるという中で互いに生きていくこと。これはカルト脱会だけのことではない。我々の日常にある関係性の話なのだ。 瓜生師が生死の”たしかなもの”を求める様は、求道者の苦しみもがく姿そのものである。自分もそういう人が苦しみ、脱会をするところまでを共にしたことがある。共にするというより見ていたという方が正しいかもしれない。なにもできていなかった。自分は宗教から離れた「一般的常識人」であると確信していた。でも真摯に求め、そして苦しむ人を見ることによって、「お前はどうなのだ」という問いを突きつけられた。そう感じた。なにについて「お前はどうなのだ」なのか明確ではなかった。でも自分はその湧き上がる問いに向かうようになった。今思えば自分はそのときその人と一緒にゆらいでいたのだろう。 「同じ土俵に立って話をする」などと言う表現は本当に陳腐だ。他人同士がまったく同じレベルに立つ事なんて計測不可能。でも、「同じレベルの保証はないけど、あなたの見ている景色と多分同じ景色をみるよ」という謙虚な気持ちは持てる。覚悟かもしれない。偽善に聞こえるかもしれない。「あなたの考えてることすごくわかる」って言ってもいけないな。 これは宗教書だ。 実際カルトに入った人とそれに関わる方々にとっては実践的に参考になる本であることは間違いない。でも自分は、様々な価値観にあふれたこの世界でそれぞれが自分の「正しさ」の殻の中で生きている現代人に読んで欲しい。 共にゆらぐ。迷いながら生きるということは、言葉にして完全に伝えて行動できるものではない。その言葉の向こうにあることを感じて自分の中に入れて初めて出来ることではないだろうか。

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