朝鮮半島をめぐる歴史歪曲の舞台裏 の商品レビュー
サルフの戦いで朝鮮兵が身につけていた紙製の鎧しか「粗悪な朝鮮紙」の使い方はないんでしょう?それなら何故、倉山満との共著「真実の朝鮮紙」に田代和生の「倭館」を読んで衝撃でも受けたのか、同時期に朝鮮から日本に輸出された品目を引用した中に朝鮮紙があるのか?この人は、おそらく朝鮮儒学の...
サルフの戦いで朝鮮兵が身につけていた紙製の鎧しか「粗悪な朝鮮紙」の使い方はないんでしょう?それなら何故、倉山満との共著「真実の朝鮮紙」に田代和生の「倭館」を読んで衝撃でも受けたのか、同時期に朝鮮から日本に輸出された品目を引用した中に朝鮮紙があるのか?この人は、おそらく朝鮮儒学の専門家であっても文化にはそれほど知識のなさそうな古田博司から仕入れた事を右から左に書いているので、こうなるのか?古田博司も含めて日本の足軽は紙製の胴丸を使っていたのは知らないのだろう。 宮脇淳子は岩波文庫の「春香伝」すら読んでいないようなので「朝鮮時代にはハングル文学は存在していたが流布しなかった」と駄法螺を吹いている。菅野裕臣はネット上で公開した回顧録に「春香伝」を言及していたが、古田博司先生は「非韓三原則」だが何か知らないけれど「春香伝」や「沈清伝」すら知らないのですか?「韓流時代劇と朝鮮紙の真実」を読んだ時に、ここで宮脇淳子の正体に気がついた。こういうテキトーな人が書いた「最後の遊牧帝国」に感銘を受けたのがバカだった。 こういう人が「韓流時代劇と朝鮮紙の真実」だが「朝鮮半島をめぐる歴史歪曲の舞台裏」だがは圧倒的な力量不足に加えて「偉大な夫」と時代後れの「満鮮史観」に「魅了」されて?「歴史の主人公である日本と大陸との間をつなぐ道路に過ぎない半島の事は何でも知っている」みたいな顔をしているが実は韓国を知ろうとしない根深い偏見故に書けないはずだが、敢えて「ファンタジー」を書こうとする根性は大したものだ。増補版で「トンイ」のような作品を選ばずに「奇皇后」を標的にしたのはモンゴル軍が中都を占領した時に虐殺があったのかなかったのかがハッキリとしない(というより校正しないの?この人?)「モンゴルの歴史」の著者として揚げ足取りがしやすい為だろう。その割には高車の由来は「馬車に乗っていたから」と宣っているが、それこそ「支那人の史家」が遊牧民を卑しんで音写したのではないのか?となると専門分野で「最後の遊牧帝国」の題材でもあるジューンガルは馬車で移動していたんですか? そもそも資本主義国家の韓国で制作される時代劇が「韓国が描きたい歴史歪曲の産物」だの「韓国人が見たがるファンタジー」だのと決めつける眼力となると陰謀論を感じてしまう。有り体に言えば「宮脇淳子が知っていてかつ理解している範囲だけが朝鮮紙の真実」史観による「ファンタジー」批判だ。何しろこの本ではバードの「朝鮮紀行」から「肥溜めのような朝鮮」は嬉々として引いているのに「真実の朝鮮紙」で倉山満と一緒に閔妃暗殺を宣う時は「朝鮮紀行」は無視している姿勢は御都合主義そのもの。この人、そもそもテレビドラマと国定教科書を混同している上にどうやって制作されるのかすら理解していないのだろう。さすが「真実の朝鮮紙」で「朝鮮総督は軍が総理大臣にしたい軍人に行政経験を積ませる為の地位」だと「神勅は神武天皇が下した」という倉山満共々宣うだけの事はある。
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