天地に燦たり の商品レビュー
人間になりたい薩摩武士・琉球人・朝鮮人の視点から朝鮮出兵から琉球侵攻までを儒教(礼)を軸に描く、というのはよく考えたなぁと思った。 その分、主人公達はその属性以上の性格に乏しかったり、ストーリー上面白いことが起こらなかったんだけれども。
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戦を続けながらも なんのために戦うのか嘆く 国のため 大切な人のため 自分のため 己の生は己次第
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#読書記録 #読書好きなひとと繋がりたい #川越宗一 読了 戦国時代が舞台。 人が人たらんは礼というものをを知っているかどうか。儒教の教えらしいが戦国の世でもその思いを持ち続けて生きた者の熱いお話。昔の人の運命に争わない生き方は僕にとってある種憧れです。
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沖縄に行きたくなる! 旧時代の真ん中に生きていた人たちは、時代の変わり目で頭の中の変換を求められるので、大変だよね。
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章立てがコンパクトであり、小さな話のまとまりで読み切りやすい。これは現代的な読み手への工夫か。ややあらすじの先を読みやすい印象
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守礼之邦。理想を掲げた国づくりがその通りにいかないのは、いつの世も同じと改めて思わされた。久高の男気、明鐘の生きる力に魅了されたが、この物語は真市たち琉球の人々が主人公だと思った。
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清々しいエンディングだった。 それぞれの生を必死に生きた3人の心の共鳴を感じた。 著者はこれが初作で2作目が直木賞を取った「熱源」と知って驚き、その才能の今後を楽しみに感じた。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
豊臣秀吉が天下を取り、朝鮮出兵を行った頃。朝鮮国の卑賤の身である明鐘、島津に属する武士である大野久高、琉球国の商人(密偵)である真市のそれぞれが、朝鮮出兵での倭と朝鮮・大明との戦争、そしてその後の倭・琉球との戦争に巻き込まれていく。それぞれの文化や思想に触れながら、人として生きるとはどういうことかを儒学思想をベースに描いていく。 卑賤の身でありながら、幼い頃から良い師の元で儒学を学び、そして己の身分や触れる文化が目まぐるしく変わっていくが、全て自ら選び取ってきた明鐘。常に侵略する側として人の上に立ちながら、国や家の方針に従い、人を殺し続けてきた久高。この二人の心理の対比が面白い。 また、王とは、礼とは、人とは、生きるとは何かを、侵略をする側・される側という舞台装置の中で描いたのも、登場人物たちの心情や葛藤が分かりやすく、見事。
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熱源で川越さんのファンになり読んでみた。 琉球王国、朝鮮、日本の歴史が重なり、 それぞれの視点から自国に対する思いや攻める国に対する怒りが伝わってくる。 漢語がでてきて難しい部分もあり、読み進めるのにちょっと苦労はしたものの、それぞれの視点が交互に入ってくるため面白く読み進め...
熱源で川越さんのファンになり読んでみた。 琉球王国、朝鮮、日本の歴史が重なり、 それぞれの視点から自国に対する思いや攻める国に対する怒りが伝わってくる。 漢語がでてきて難しい部分もあり、読み進めるのにちょっと苦労はしたものの、それぞれの視点が交互に入ってくるため面白く読み進められた。 礼を知ることが人であり、日本は禽獣。礼をテーマに戦を読んだのは初めてだったと思う。
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薩摩と朝鮮と琉球。この三者を礼という儒教視点からこう描くことができるのかと感嘆した。確かに侵略される朝鮮や琉球王朝から見れば、薩摩を含めた倭(日本)の武士はただの禽獣。実力主義の戦国時代から武断の江戸時代への変遷を知っているとこの視点は非常に示唆的で興味深い。 琉球の謝名親方の...
薩摩と朝鮮と琉球。この三者を礼という儒教視点からこう描くことができるのかと感嘆した。確かに侵略される朝鮮や琉球王朝から見れば、薩摩を含めた倭(日本)の武士はただの禽獣。実力主義の戦国時代から武断の江戸時代への変遷を知っているとこの視点は非常に示唆的で興味深い。 琉球の謝名親方の言葉、戦に敗けても国は亡びぬ。国が亡ぶのは民が国を厭うた時だという言葉は非常に印象的。高橋克彦氏の『炎立つ』での藤原泰衡の、民が忘れぬ限り蝦夷は滅びないといった言葉を思い出した。歴史が過去から紡がれるものだということを改めて思い出された。
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