VTJ旧約聖書注解 コヘレト書 の商品レビュー
あまたの知識を学び、あまたの快楽の限りを尽くしたといわれるソロモン王は何を思ったのか。ここから学ぶことは多い。 彼は「どれもみな空しく、風を追うようなことであった。」という。つまり日本の仏教文化圏でも耳にする「空」が語られている。この言葉は何を意味するのか。 この言葉のニュ...
あまたの知識を学び、あまたの快楽の限りを尽くしたといわれるソロモン王は何を思ったのか。ここから学ぶことは多い。 彼は「どれもみな空しく、風を追うようなことであった。」という。つまり日本の仏教文化圏でも耳にする「空」が語られている。この言葉は何を意味するのか。 この言葉のニュアンスは、地上に価値のあるものは何もないことを、素直に率直に示しているところにあると思う。これはネガティブな言葉でも、否定的な言葉でもない。ただ単に、比喩的にいうならば空のコップをさかさまにして空だと思うことと同じである。 そしてその中で最善な方法の一つとして、神(God)への帰依が示される。 「青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。 苦しみの日々が来ないうちに。 「年を重ねることに喜びはない」と言う年齢にならないうちに。 太陽が闇に変わらないうちに。 月や星の光がうせないうちに。 雨の後にまた雲が戻ってこないうちに。」 そして 「書物はいくらしるしてもきりがない。学び過ぎれば体が疲れる。すべてに耳を傾けて得た結論。「神を畏れ、その戒めを守れ。」これこそ、人間のすべて。神は、善をも悪をも一切の業を、隠れたこともすべて裁きの座に引き出されるであろう。」という。
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