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メロスはなぜ少女に赤面するのか の商品レビュー

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2020/04/26

著者もことわっているように、「作者」の権威性を排して「テクスト」概念へ、というアプローチはもはやほとんど当たり前の方法であるが(国語教育ではそうでもないらしい)、しかし著者の場合、今度はテクストが権威性を帯びてしまっている。読者がテクストを生成させるという点で読書行為における読者...

著者もことわっているように、「作者」の権威性を排して「テクスト」概念へ、というアプローチはもはやほとんど当たり前の方法であるが(国語教育ではそうでもないらしい)、しかし著者の場合、今度はテクストが権威性を帯びてしまっている。読者がテクストを生成させるという点で読書行為における読者の主体性を説くのはわかる。しかし著者は依然として解釈を一元化しようとし、その解釈にたどり着いたものこそが真の「読者」であるというのだ。これがブースの「含意された読者」に拠ろうとなんだろうと、結局これでは従来の「作者」という言葉・概念が「テクスト」に置き換わっただけではないか。テクストの側に用意されている唯一的真理を解読するというモデルでは、読者は再び受動的な存在に成り下がっている。悪し様に語られる「作者の意図を読む」という構図と何ら変わりはないのである。おそらく教室という制度的空間を念頭に置いたからこその解釈一元化であろうとは思うものの、テクスト概念が切り拓いた解釈の多様性がまったく顧慮されていない。解釈が一元化できない、というところにこそ、テクスト概念の「ヤバさ」があったはずなのだ(というより、そもそも文章の解釈を一元化するということが困難なのであるが)。 実践編については可もなく不可もなくであるが、ともすればベタ読みへと繋がる印象。「問い」が重要というのはその通りであるし、著者が設けるそれも、いくつか興味深いものがあった。その点は参考にされていい。

Posted byブクログ