日々の一滴 の商品レビュー
はじめの伊藤詩織さんの話。弱さとは強さによって克服されるものではなく、人間の弱さの極限に堕ちたときに生じる生命体としての蘇生力によって克服されるもの。ガンジスの水葬体が川底に着くことによってはじめて川面に浮かび上がるように。弱さ果てるところに残る強さ。 カルロス・ゴーンの脱出し...
はじめの伊藤詩織さんの話。弱さとは強さによって克服されるものではなく、人間の弱さの極限に堕ちたときに生じる生命体としての蘇生力によって克服されるもの。ガンジスの水葬体が川底に着くことによってはじめて川面に浮かび上がるように。弱さ果てるところに残る強さ。 カルロス・ゴーンの脱出した住居について。メディアはみな正面玄関しか見ていないという集団主義(海外メディアの記者は個人で現場をうろうろしているものだが)。 世間が孤独死とよぶものについて。しかし、人はみな、孤独の中で死ぬのだ、、孤独の中の死であろうと家族に囲まれていようと、みなひとりっきり。いずれ孤独に耐えなければならない潮時が必ず来る。それに耐えるという意思(夫婦だって、最後はかならずどちらかは孤独だしなぁ、、それに先に死ぬならば相手が孤独になることを想わずにいられないし)。 原発の、本丸にあっけなくたどり着けたというずさんな管理こそが事故を誘発させたんだね、だって。それはそうかもなぁ。バツ印を腕でつくって歩いてくる作業員たちが緩くも感じるね。 STAP細胞の小保方のファッションについての考察は面白かった。祖母への愛(割烹着)+母への反発(ビビアンウエストウッドの指輪)、からの、バーバリーのワンピースと真珠の首飾りという、受難と痛みから生まれ出た輝き。とか。 新宿、百人町。大都会の灰色の町、日本語をきくことさえ少ないこの町の団地で、花壇に慎ましく寄せる、故郷への思い。原発事故により移住してこられた方々が、、ときくと確かに切なく感じられる。 なぜ同時に死ねない。そのとおり。前述のとおり。 ーーー 感じるところの多いエッセイに、写真が添えられることで効果的な緩衝材となりあるいは補強材となっている。 原発、同調圧力・集団主義、そして、死をかなり意識しているなと思った。同窓生の死を知った話も印象的。 インスタグラムの無邪気な明るさを意識しているからこその暗さにも思われる。たしかに、社会のそういう面が本来日常的にはあり、インスタはそれをあえて排除した写真のプラットフォームにも思える。 コスモス…の短編集もよかったけど、これはこれで、心にじわじわとぐさっと刺さり、いいものだった。 心に刺さるのは、人生も折り返しが近づいているから、だろうか。。藤原新也を読みたくなる年頃に、入ったのかもしれない。
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藤原新也(1944年~)氏は、北九州市(現)に生まれ、東京藝大中退後、インド、東南アジア、アフリカ、アメリカなどを放浪し、写真・エッセイ集を発表。1972年発表のデビュー作『印度放浪』は青年層のバイブル的な存在となり、1981年の『全東洋街道』で毎日芸術賞を受賞、1983年の『東...
藤原新也(1944年~)氏は、北九州市(現)に生まれ、東京藝大中退後、インド、東南アジア、アフリカ、アメリカなどを放浪し、写真・エッセイ集を発表。1972年発表のデビュー作『印度放浪』は青年層のバイブル的な存在となり、1981年の『全東洋街道』で毎日芸術賞を受賞、1983年の『東京漂流』は、大宅壮一ノンフィクション賞及び日本ノンフィクション賞に推されたが、辞退した。同年に発表された『メメント・モリ』(ラテン語で“死を想え”)は、隣り合わせの死と生を考えさせる代表作である。 本書は、生活クラブ連合会(生協)の月刊機関紙『生活と自治』に2011~2020年に連載されたものをもとに加筆されたエッセイ59篇と、主にエッセイに関連するカラー写真60点を収めたものである。 藤原氏は、まえがきでこう述べている。「インスタグラムではペアポートレートや自分のポートレートのみならず、自分が食べたもの、自分が買ったもの、自分のペット、自分が行った場所、等々、膨大な量の「自分写真」が投稿される。この新たな写真ステージにおいては写真のモチーフは増えたが、それもすべて拡張された「自己」なのだ。・・・あらゆる写真のモチーフが自己に帰結するインスタグラム写真からは私の耳にはLook at meという小さな心の叫びが聴こえる。・・・写真は本来他者を知り、他者の心を引き出し、自分が見た事象を他者に伝達するという機能を持つ。その意味においてひたすら他者の視線を求め、自分のみがそこに存在する写真は写真家としての私の目から見るならその明るさとは裏腹に、孤独だ。」と。しかし一方で、「だがそれも写真、これも写真。時代のあらゆる生き方を包括するからこそ、それは写真なのだ。君たちは君たちの写真を撮れ。俺は俺の写真を撮る。」とそれを否定することはない。 本書に収められたエッセイと写真は、インスタグラムとは異なる、「昨日の時代」の他者の物語であり写真である。国内外の時事問題から何気ない日常の一コマまで、取り上げられたテーマ/シチュエーションは実に様々だが、他者を見つめる目、描く筆致は、「生」を肯定し、弱者に温かく、穏やかである。それは、藤原氏の、ブレない、一貫したスタンスであると同時に、76歳という年齢を反映しているようにも見える。 新型コロナウイルスの流行が日常を奪ってしまった今、我々は当たり前の日常がいかに掛け替えのないものであったのかを、否応なく感じさせられている。。。 私はこれまでも藤原氏の多数の書籍を読んできたが、本書も、(失礼な言い方かもしれないが)白秋から玄冬に差しかかった藤原氏にして描き得る、心に沁みるエッセイ集と思う。 (2020年4月了)
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