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東京23区境界の謎 の商品レビュー

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5件のお客様レビュー

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2021/05/21

言われてみれば確かに気になる区境の謎。 河川の氾濫対策のために川の流れを変えたり、色々な知らなかった土地の歴史を知ると、区境や地名の謎も腹落ちする。 ブラタモリ的な知識欲を満たしてくれる一冊。

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2021/05/04

地図研究家による、マニアックな東京区境界の蘊蓄集です。23区の成り立ちや、東京湾上の領土争いや品川駅が港区、目黒駅が品川区にあるとか、読んで覚えればウンチクおじさんになれます。

Posted byブクログ

2021/03/17

区の変遷も詳しく書かれていて大変興味深かった。区境をめぐる水面下の争いもどちらの言い分もなるほどと思い平行線たどっているのもうなずける。川場村が世田谷区になるかもしれなかったという幻の合併案にロマンを感じました。 県境の飛地で有名な練馬区西大泉町や区境の際に住んでいる狛江or世田...

区の変遷も詳しく書かれていて大変興味深かった。区境をめぐる水面下の争いもどちらの言い分もなるほどと思い平行線たどっているのもうなずける。川場村が世田谷区になるかもしれなかったという幻の合併案にロマンを感じました。 県境の飛地で有名な練馬区西大泉町や区境の際に住んでいる狛江or世田谷区の住所表記、住民の23区にこだわる徹底抗戦がアツい!

Posted byブクログ

2020/07/08

生まれも育ちも東京の区ですが、普段気にしていなかった23区の境について楽しく勉強できた一冊。 江戸時代の線引きが色濃く影響することになる東京の境界、歴史の中で目まぐるしく変化してきました。 近隣県との兼ね合いや都内の抗争にドラマがあり、時代が移り変わっても残る本来の地名に浪漫を感...

生まれも育ちも東京の区ですが、普段気にしていなかった23区の境について楽しく勉強できた一冊。 江戸時代の線引きが色濃く影響することになる東京の境界、歴史の中で目まぐるしく変化してきました。 近隣県との兼ね合いや都内の抗争にドラマがあり、時代が移り変わっても残る本来の地名に浪漫を感じます。 郷土については知れば知るほど興味が湧き、益々好きになりますね。

Posted byブクログ

2020/04/11

2年前に妻に誘われてアプリを使って街歩きをすることにしました。色んな遊び方があるのですが、その一つにオリエンテーリングのように設定された道を歩く遊び方があります。地方でイベントがあり旅行気分で楽しむこともできますが、同様のコース設定が東京にも数多く設定されています。 昨年辺りか...

2年前に妻に誘われてアプリを使って街歩きをすることにしました。色んな遊び方があるのですが、その一つにオリエンテーリングのように設定された道を歩く遊び方があります。地方でイベントがあり旅行気分で楽しむこともできますが、同様のコース設定が東京にも数多く設定されています。 昨年辺りから一人でも遊べるようにレベルが上がったので、偶に一人で東京都内を街歩きすることがあります。そこで気づいたことですが、同じ東京なのに、ある場所から雰囲気がガラリと変わることがあります。綺麗な住宅街からビックリするような街並みになることが。。この時にこの本のタイトルにもなっている「区境」を意識しました。 私が感じたのは、大きな公園を横切る前と後で雰囲気が変わったこともありました。そんな経験をした私にとって、この本は十分に私の興味を惹きました。歴史が好きな私ですが、東京の23区に至るまでの変遷、ちょっとした「いざこざ」が説明されているこの本はとても楽しく読むことができました。 以下は気になったポイントです。 ・1867年11月の大政奉還、翌年5月に江戸城が明治新政府に明け渡され、7月に江戸府が開設された、そして9月に東京府となった。当初の東京府の管轄区域は、町奉行が支配していた範囲(墨引)の内側であった(p24) ・明治2年、明治新政府は武蔵国にある旧幕府領を管轄するため、東京府の外側に、小菅県・大宮県(のちに浦和県)・品川県を設置し、境界線を新たに引き直して「50区制」を採用した、明治4年4月の戸籍法により、身分制度が廃止、町人地・武家地・寺社地の区別がなくなった、7月には廃藩置県があり全国が3府302県に区分され、11月には3府72県となった(p24) ・東京が市制になったのは、関東地方では、水戸市・横浜市についで3番目、全国では32番目、東京府は東京市15区6郡から構成されるようになった(p32) ・明治29年に東多摩郡と南豊島郡が統合されて「豊多摩郡」となり、東多摩郡は消滅し、北・南・西多摩の三多摩となった(p36) ・太平洋戦争真っ最中の昭和18年7月、閣議決定により都制が施行されることになった、東京府と東京市が廃止され、東京都が設置された。正確には、東京市が東京府に併合されて、それが東京都となった(p42) ・日本橋から各街道の最初の宿場、すなわち、品川・千住・板橋・内藤新宿を「江戸四宿」といって、江戸の出入り口の重要な役割を担っていた(p70) ・昭和39年の河川法改正により、本流が一級河川ならその支流も、そのまた支流も一級河川であるという考え方になった、これより荒川放水路が荒川の本流となり、正式な河川名が「荒川」となった。一方、岩淵水門から下流はこれまでは「荒川」と呼ばれていたが、この法律により「隅田川」となった(p78) ・板橋区と戸田市の境界変更は円満解決だったこともあり、荒川河川敷で「戸田橋花火大会」が開催された、いまでは「いたばし花火大会」「戸田橋花火大会」という別々の大会だが開催日は同じ日である(p89) ・昭和33年に、新宿・渋谷・池袋が副都心、57年には、上野浅草、錦糸町亀戸、大崎が追加、平成7年には臨海副都心が誕生した(p109) ・江戸川放水路は、河川法改正により昭和40年からは「江戸川」、放水路開削まで本流だった江戸川は「旧江戸川」と呼ばれるようになった(p124) ・東京は戦争で壊滅的な被害を受けたため、昭和22年に東京35区は23区に統合された、単独で行政を運営していくことが困難となり合併せざるを得なかった(p149) ・平成12年(2000)に行われた地方分権改革により、23特別区は都の内部団体としての地位から脱却し、一般の市町村と同じ基礎的自治体として規定された(p156) ・大塚駅は今でこそ池袋駅の10分の1程度の乗降客数だが、戦前は池袋よりはるかに賑わう街だった、大塚駅こそが豊島区の中心駅であった(p172) ・明治36年、常磐炭田で採掘された石炭を横浜港へ輸送するために、田端と品川線を結ぶ路線が建設され、これが山手線の一部区間となった。このときはじめて池袋に駅が開設された、品川線から田端へ通じるための分岐駅として。当初目白駅を分岐駅とする予定が住民の反対があった(p175) ・目黒川という河川、江戸時代にはこの河口に「品川湊」という港があった、また目黒川の古名を「品川」といった(p236) 2020年4月11日作成

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