つげ義春日記 の商品レビュー
村井 理子 本を読んだら散歩に行こう を読み、読んだ本。 まさに個人的な記録。長男正助が産まれ、妻マキの子宮がんなどにより神経症、胃痛に悩む様子が毎日のように描かれている。 読んでいてこちらまできつい。昭和50年前後の話だが、あんなにのんきな時代だったのかな。
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漫画家つげ義春の赤裸々な日常を書き綴った、昭和50年から55年9月までの日記。 新聞の書評か何かで紹介されていて、ブクログで評価が高かったので、手に取った。 妻の癌(治療後は根治したようだが、58歳で癌再発により死去とあった)、一人っ子で病弱の正助、そして自身の精神的不調のこと...
漫画家つげ義春の赤裸々な日常を書き綴った、昭和50年から55年9月までの日記。 新聞の書評か何かで紹介されていて、ブクログで評価が高かったので、手に取った。 妻の癌(治療後は根治したようだが、58歳で癌再発により死去とあった)、一人っ子で病弱の正助、そして自身の精神的不調のことが、これでもかと言うくらい出てきて、そのような日記を文庫化するんかと思ってしまうが、見方によれば、最初から出版すべく書いていたのか、校正し直したのかのかも。 いずれにしても、有名人の私生活を覗いているようで、好奇心が微妙に満たされた感じ。 こういう芸術家(みたいな人)は、変わり種が多いのかな。 売れなければ一文無しとなる不安定な職業に就く人は、こう言う傾向があるのかも。
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人間らしい生活が赤裸々に描かれた日記。「あー分かる。自分もそうだったよな。」と人間の闇の部分を言語化してくれるつげさん、さすがです。これを読むと将来への不安なんてちっぽけなものに感じる。
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昭和50~55年頃の暮らしを赤裸々に記した日記。こんなの書いて奥さんに怒られなかったのだろうかと思ったら、Wikiに案の定怒られたと書いてあり「ですよね」と思うなど(笑)。後半になるにつれ不安神経症に悩む描写が多くなりますが、文章がサラッとしているからか、重苦しい気持ちになること...
昭和50~55年頃の暮らしを赤裸々に記した日記。こんなの書いて奥さんに怒られなかったのだろうかと思ったら、Wikiに案の定怒られたと書いてあり「ですよね」と思うなど(笑)。後半になるにつれ不安神経症に悩む描写が多くなりますが、文章がサラッとしているからか、重苦しい気持ちになることなく読めました。 余談ですが、自分の誕生した日の日記もあり、ちょっと嬉しかったりしました…(笑)。
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子供が生まれた年から5年間の日記。過保護気味に長男正助を可愛がっていたこと、妻の癌発覚を経て不安神経症となり日常生活にも苦しんだことなどが記されている。これを読むと無能の人が自身の生活をかなり明け透けに漫画化していることが分かる。
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大阪の古書店で購入 不安神経症に悩まされるつげ氏の独白には、こちらにも影響を及ぼしそうな何かがあった。
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私の過去を照らし合わせて読んでいた。図々しさとか開き直りとか、自分を客観視しないとか。処世術。試行錯誤して私はここまでやってきたのだなあと。また、私自身の父親についても思いを馳せた。私の知らない若き日の父は、幼い私と接しながら、何を思いどのように感じて、日々を送っていたのだろう。
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つげ義春 日記 昭和50年(38才)〜昭和55年(43才) 常に不安で心細く頼りない自分、辛うじて生きてきた自分を赤裸々に綴っている日記〜癌への不安や不安神経症に悩まされる日々、奥さんへの愚痴 が多め 著者は 自身と同じ境遇、気質を持つ人を慰め、勇気づけるために この本...
つげ義春 日記 昭和50年(38才)〜昭和55年(43才) 常に不安で心細く頼りない自分、辛うじて生きてきた自分を赤裸々に綴っている日記〜癌への不安や不安神経症に悩まされる日々、奥さんへの愚痴 が多め 著者は 自身と同じ境遇、気質を持つ人を慰め、勇気づけるために この本を出したように思う。これだけ 陰鬱性や死への不安に悩まされながらも 生き続けた著者の日記は 自死した文学者の言葉より、ずっと信頼できる 仕事も順調で、小さい子供もいて、幸せのはずなのに、死の不安 や 他人の幸せを羨む気質に起因する病気が全てを台無しにしている。精神病は恐ろしい病気である
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昭和50年=1975年、子供が生まれ、入籍。作品が文庫化し儲かる。 昭和52年=1977年、マキ、癌手術。家の問題。 昭和55年=1980年、不安神経症の診断。森田療法。 といった、いわば「「ガロ」以降」の私生活を、1983年から「小説現代」に連載した、というか、売ったというか...
昭和50年=1975年、子供が生まれ、入籍。作品が文庫化し儲かる。 昭和52年=1977年、マキ、癌手術。家の問題。 昭和55年=1980年、不安神経症の診断。森田療法。 といった、いわば「「ガロ」以降」の私生活を、1983年から「小説現代」に連載した、というか、売ったというか。 子が生まれて5年ほどの記録だ。 ほぼ同時期の記録を藤原マキが、1982「私の絵日記」、1987「幸せって何?ーマキの東京絵日記」として出している。 この2冊は持っているので、続けて読むつもり。 つげの持つ、旧来の男性的子育て価値観/神経症的・心配し過ぎな子育て価値観、をマキ側から光を当てられる、結構稀有な題材だと思うなぁ。 この日記の単行本が再販や文庫化されなかったのは悶着があったからだというが、むべなるかな。 近所付き合いや、母や弟との交流、妻との諍いやら久しぶりのセックスの日付まで。こりゃ喧嘩になるわけだわ。 しかしすべてが実話かどうかはわからないし、おそらく藤原マキの著作との齟齬や合致もあるだろう。 そのへんもこの日記集の終わりのほうで、自分が私小説が好きなのは覗き見することで慰藉されるからだと書かれており、それが読み手の意識に連帯を促す、という作りだ。 個人的には、4歳児を育てている中で、もうひたすら子が愛おしく感じられたり、子がいることで何もかも嬉しく感じられたりする半面、自分のコンディションが悪いと一転して鬱陶しさの芽のようなものがぐんぐん育つという状況や、数年先に予想される落胆がじわじわしみ込んでくる感触とか、15年前から10年間ほど悩まされたパニック障害とかについて思い返されたりして、全然他人事ではなかった。切実な読書になった。 たぶんというかほぼ100パー、「つげ義春全集」の打ち水的文庫化企画だが、つげファンは引退して金を自由に使えるんだろうか。 そういう作家の年齢ーファンの年齢層、みたいなことも頭の片隅に置いてしまう。水木しげるとか、大友克洋の全集とかもさ。
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長男誕生前後は微笑ましい場面もあったが、その後は育児の苦労に加えて妻の癌、自身の不安神経症など雲行きはどんどん怪しくなり、下降の一途。そんな状態を、ここまで書くかというくらい赤裸々に綴る。でも、悲惨な私小説を読んだという読後感がない。それが、つげによる日記文学の妙味。 そして、松...
長男誕生前後は微笑ましい場面もあったが、その後は育児の苦労に加えて妻の癌、自身の不安神経症など雲行きはどんどん怪しくなり、下降の一途。そんな状態を、ここまで書くかというくらい赤裸々に綴る。でも、悲惨な私小説を読んだという読後感がない。それが、つげによる日記文学の妙味。 そして、松田哲夫による秀逸な巻末解説でも同じ指摘が。松田さんに認められたようでちょっと嬉しい。
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