夫・車谷長吉 の商品レビュー
車谷長吉の名前を初めて知ったのは、さる勉強会でのこと。まだ直木賞の受賞前に 講話の前に「あまりにすごい小説を読んだので紹介したい」と、ある男性が挙手して本を紹介してくれて即読んだ。 後に直木賞を受賞し、映画化され、雑誌の『クロワッサン』とかで詩人と結婚したことを知り。 作家、それ...
車谷長吉の名前を初めて知ったのは、さる勉強会でのこと。まだ直木賞の受賞前に 講話の前に「あまりにすごい小説を読んだので紹介したい」と、ある男性が挙手して本を紹介してくれて即読んだ。 後に直木賞を受賞し、映画化され、雑誌の『クロワッサン』とかで詩人と結婚したことを知り。 作家、それも私小説の作家と結婚すること、命を削るのが商売の男の人と結婚することがつぶさに書かれていて、読後もしばらく冷めなかった。 「作家」という仕事に対するあこがれと、凄まじさみたいなのが刺さって痛かった。
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いや、なかなか筆舌に尽くしがたい夫婦の形である。ともに詩人、小説家というと、もうそれだけで互いの自我が張り合って壮絶な夫婦関係を想像しがちだが、実際のところはともかく本書の中では二人の衝突というよりも、長吉が外部の世間と常に衝突しあらゆる知人友人親戚関係者を傷つけ、自らも病を得て...
いや、なかなか筆舌に尽くしがたい夫婦の形である。ともに詩人、小説家というと、もうそれだけで互いの自我が張り合って壮絶な夫婦関係を想像しがちだが、実際のところはともかく本書の中では二人の衝突というよりも、長吉が外部の世間と常に衝突しあらゆる知人友人親戚関係者を傷つけ、自らも病を得てボロボロになる姿を至近距離から克明に追っている。時にほうり出し時にはまた丁寧にケアする妻の視点からは毒よりもユーモアが勝って、ところどころ吹き出してしまうような場面も多い。一定の年齢になると常に「大人」としての振る舞いを求められる現代だが、こういう自由でありながら、自分の中では何かに雁字搦めになっているような不思議な生き方もあるのだと気づかせてもらった。
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車谷長吉はほんとに変わった人だ。きっと身近にいたらとても大変だろう。 でも互角に渡り合える人なら、きっと豊かな体験にもなるのだろう。高橋順子さんのように。 面白い本。
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車谷長吉さんって人は、書くこと語ることでしか生きるバランスを保てなかったんかなぁと思った。不器用というよりは生きるのが下手。 精一杯の人生に、この本の作者で詩人の高橋順子さんが、一緒に走ってくれて、幸せな有難い生を全うしたんだろう。素晴らしい小説を書きあげたことよりも、心の底から...
車谷長吉さんって人は、書くこと語ることでしか生きるバランスを保てなかったんかなぁと思った。不器用というよりは生きるのが下手。 精一杯の人生に、この本の作者で詩人の高橋順子さんが、一緒に走ってくれて、幸せな有難い生を全うしたんだろう。素晴らしい小説を書きあげたことよりも、心の底から甘えられる奥さんを掴んだことのほうが、むしろ彼の人生としては尊く喜ぶべき出来事であるような気さえした。
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Kindleで 大学に入り様々な出会いがあった、その中で最も「人生的」と言える出会いは車谷長吉との出会いだったと迷うことなく言える。未だこれを超える何かには出会えずにいる。 長吉の「ワタクシ」小説を読むたびその狂気にゾッとしてたけど、『夫・車谷長吉』ではその裏側を暴露されてい...
Kindleで 大学に入り様々な出会いがあった、その中で最も「人生的」と言える出会いは車谷長吉との出会いだったと迷うことなく言える。未だこれを超える何かには出会えずにいる。 長吉の「ワタクシ」小説を読むたびその狂気にゾッとしてたけど、『夫・車谷長吉』ではその裏側を暴露されている。長吉の罪を考えると当然とも思える。 『赤目四十八滝心中未遂』の解説で「虚実皮膜」と言う言葉が出てきた。長吉は私生活も私小説もこの「虚実皮膜」を意識していたのかもしれない、そう思うと彼自身の文学と整合するような気がして、妙に腑に落ちた。
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最も敬愛する作家である車谷長吉の、 妻で詩人の高橋順子による回想録。 長吉というどこまでも生の人間を追求する作家は、 薄っぺらな表層を剥ごうとすることで、 骨の髄までたどり着いてしまうような鋭さでもって、 その生々しさと罪深さを極めることで、 どうしようもなく純度の高い美と本質...
最も敬愛する作家である車谷長吉の、 妻で詩人の高橋順子による回想録。 長吉というどこまでも生の人間を追求する作家は、 薄っぺらな表層を剥ごうとすることで、 骨の髄までたどり着いてしまうような鋭さでもって、 その生々しさと罪深さを極めることで、 どうしようもなく純度の高い美と本質へと昇華させることができる、 類まれなる存在だと思っているので、 急死した時にはひどく落ち込んだものだった。 『飆風』に引用されている高橋順子の詩を読んだ時、 これまたなんて対局にある言葉を用いる人なのだろうと、 対局であるが、すっと本質に針をさすような在り方に、 すごい人もいるものだ、 この人でなければ長吉の妻は勤まらないだろうと、 むむむと唸った記憶がある。 しかしどうだろう。 この回想録というか、日記の継ぎ接ぎのような二人の物語を読むと、 確かに長吉の持つ狂気や毒や、 禍々しささえ感じる縁への執着は確かにあっても、 それ以上に夫婦二人が句を読み、悪態を付き合い、 旅をする姿は、 独特の遊びが漂い、非常にピュアネスなのである。 二人がうんちうんち言うのもそうだが、 長吉の純粋な魂を抱え込むには、 相応のもしくはそれ以上の純粋な魂を持っていなくては、 成り立たなかったのではないだろうか。 愛とか恋とか、そんな煌めくようなものではなく、 二人が二人共を道連れにしたような、 魂の繋がりを見た。
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【「この世のみちづれにして下され」。講談社エッセイ賞受賞作】直木賞「赤目四十八瀧心中未遂」で知られる異色の私小説作家の求愛を受け容れ、最期まで妻として支え抜いた詩人による回想。
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