評伝石牟礼道子 の商品レビュー
「評伝 石牟礼道子 渚に立つ人 米本浩二 新潮社 2020年」卒読。水俣病を社会に知らしめてチッソ水俣工場の悪行を批判した石牟礼を知ったのは確か、大学1年の現代中国学原論の授業だった気がする。意外だったのは石牟礼の息子が名古屋の中共大学で学んだこと。やっと重たい作品から解放され...
「評伝 石牟礼道子 渚に立つ人 米本浩二 新潮社 2020年」卒読。水俣病を社会に知らしめてチッソ水俣工場の悪行を批判した石牟礼を知ったのは確か、大学1年の現代中国学原論の授業だった気がする。意外だったのは石牟礼の息子が名古屋の中共大学で学んだこと。やっと重たい作品から解放された。
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石牟礼道子については、苦海浄土第一部、椿の海の記等は読んでいるが、主要な著作も網羅はしていない、という読書歴である。読んだものはすべて素晴らしいと思っているが、次々と読み進めるには覚悟がいる、と思うので、少しずつ、読もうと思っている。だから、この評伝も、そんな状態で読んでよいのか...
石牟礼道子については、苦海浄土第一部、椿の海の記等は読んでいるが、主要な著作も網羅はしていない、という読書歴である。読んだものはすべて素晴らしいと思っているが、次々と読み進めるには覚悟がいる、と思うので、少しずつ、読もうと思っている。だから、この評伝も、そんな状態で読んでよいのかな、と思いながら手に取った。 だが、読んでよかったと思う。石牟礼道子は、これだけ身近にインタビューを重ね、著作を浚っても、それでも汲みつくせぬところがある、とわかったからである。本書は石牟礼道子本人にも、もちろんその盟友渡辺京二にも、そして家族や水俣病の運動をともにした人びと、代用教員時代の教え子まで取材を重ねて、石牟礼道子の実像を炙り出すが、どこかとらえどころがない、奥が見通せないという感触は最後までぬぐえない。しかし、副題にある「渚」、近代と前近代、自然と人工といった境界に立ち続けた石牟礼道子の実像は、実際のところ、我々のような近代に染まり自然から離れてしまった者には見通せないのが当たり前なのかもしれない。 最後の章は、介護施設に入居する石牟礼道子を訪ねた著者を、石牟礼道子手づから電気鍋で「食べごしらえ」でもてなすさまが描かれている。不思議だが、神秘的な色彩を帯びた作家が身近になってほっとした。逆にこういう章がなければ、最後まで作家の姿は遠く離れて見えていたかもしれない。著者も、それゆえこの章を最後に持ってきたのではないだろうか。
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石牟礼さんの書くものが大好きで、近しい人(渡辺京二や伊藤比呂美や池澤夏樹なんか)が書いたり語ったりしている石牟礼さんもとても魅力的なので、誰か石牟礼さんの伝記を書いてくれないかなあとずっと思っていた。特に夫の弘さんや息子の道生さんが妻を、母をどう思っていたのかが知りたいという気持...
石牟礼さんの書くものが大好きで、近しい人(渡辺京二や伊藤比呂美や池澤夏樹なんか)が書いたり語ったりしている石牟礼さんもとても魅力的なので、誰か石牟礼さんの伝記を書いてくれないかなあとずっと思っていた。特に夫の弘さんや息子の道生さんが妻を、母をどう思っていたのかが知りたいという気持ちがずっとあった。 当時の田舎の女は、嫁しては夫に従い、老いては子に従うというのが当たり前であり、嫁の立場で家族の世話もそこそこに物を書くだけでもかなり批難されるのに、水俣病の人達の精神的柱となってともに戦うなんて、許されないことだったのではないかと思う。当時の熊本で石牟礼さんを支持する一般人も少なく、針のむしろだったのではないか。なのに離婚もせず、道生さんは一緒に座り込みもしている。そこらへん、どんな気持ちだったのか、知りたいなと思って読んだ。 が、正直言って、その辺はよく分からなかった。石牟礼さんも「あの不器用な米本さんが‥‥」と日記に書いていたとあり、不器用な人が一生懸命誠実に書いたことは伝わるのだが、書き方は上手くはない。 3章の「紅のくに」で、石牟礼さんが書いた文章が引用されているが、こういう部分を道生さんらに聞いてみて欲しかった。 「もともと「私」と「あなた」の判別は峻烈に"違います"というしるしをかかげて名前というものが誕生したものだろうと思うのに、その私とあなたの違いが、異性を所有していますというしるしとして通用するこれらの呼名(※主人や家内など)のかずかずは、みみっちくて、みみっいのは知っていて使わねばならぬのに閉口しているのです」『愛情論初稿』 ※カッコ内は私の付け足し 石牟礼さんが夫に対して行った言葉(p89) 「生きとるちゅうこた、わかりあうちゅうことじゃろうもん、わかりあう意志のなからにゃ、もの云うかいのあっとな。」『愛情論初稿』 こういう文章を書いていたことは、そもそも当時の一般的な夫婦観、夫の言うことには黙って従い、家内と呼ばれることに喜びすら感じる感覚とはかけ離れていたことが容易に想像でき(現代なら当たり前の感覚であるが)、それで夫婦としてどうだったのだろうかというところが気になるのだけど。 しかし、石牟礼さんが若い頃に自殺未遂をしていたこと、夫に離婚を迫ったが受け入れられず、40年も別居しながら時には協力し合う同士的面もあったことはこの本で知った。 また、『苦海浄土』が、サークル村での活動、とりわけ森崎和江の影響を受けたことが分かったのは収穫だった。 よく考えたら、石牟礼さんは高群逸枝の後継者でもあり、女性の権利についてずっと考えていた人なのだ。 現代では不倫をする芸能人は酷く叩かれるが、それはそもそも好きで結婚している(恋愛結婚)からで、好きでもない、会ったこともない人と10代後半や20歳そこそこで、家の都合で否応なしに結婚させられていた時代には、結婚した後、好きな人が出来ても批難されるのは違うと思う。 石牟礼さんの恋愛について詳細に語ってあるわけではないが、なんとなく匂ってくる恋愛の雰囲気が、読む者にも切ない感覚を抱かせる。 まあ、読んで良かった。 道生さんが『母 石牟礼道子』を書いて欲しいな。
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水俣病に苦しむ患者の声や、汚された自然の叫び、公害を生み出す近代化というシステムへの批判などを盛り込み、『苦海浄土』という文学世界を構築した作家、石牟礼道子の評伝。 病に倒れて介護施設での生活を続ける石牟礼道子の晩年をメインに取材しつつ、彼女の生涯を辿る。印象的だったのは、彼女...
水俣病に苦しむ患者の声や、汚された自然の叫び、公害を生み出す近代化というシステムへの批判などを盛り込み、『苦海浄土』という文学世界を構築した作家、石牟礼道子の評伝。 病に倒れて介護施設での生活を続ける石牟礼道子の晩年をメインに取材しつつ、彼女の生涯を辿る。印象的だったのは、彼女の夫婦生活及び母親としての姿であった。執筆活動や東京でのチッソへの抗議活動を広げるなど、彼女が夫と息子の全ての面倒を見切ることはできない。そうした中でも彼女を支えた夫の温かさは、夫が死去した際の彼女の日記に強く示されている。
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