太平洋食堂 の商品レビュー
大石誠之助の半生を書いた作品で、当時の様子が浮かんでくるようでとても読みやすかったです。 恐らく、教科書的には社会主義弾圧としてしか習わなかったのだろうと思いますが、歴史の背景を読んで行くととても興味深いです。 今も結局一部の金持ちの利権で成り立っているような世界なのは変わらずで...
大石誠之助の半生を書いた作品で、当時の様子が浮かんでくるようでとても読みやすかったです。 恐らく、教科書的には社会主義弾圧としてしか習わなかったのだろうと思いますが、歴史の背景を読んで行くととても興味深いです。 今も結局一部の金持ちの利権で成り立っているような世界なのは変わらずで。 国家として資本主義なのは良いとして、少しでも搾取されることが減ることを願います。
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アメリカやシンガポールで医師として修行した大石誠之助は、新宮で社会主義活動に目覚め、幸徳秋水や堺俊彦などの社会主義者と友人になる。天皇などを狙って危害を加えようとしたという大逆事件により、幸徳秋水らとともに無実の罪で処刑される。
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一九〇四年(明治三十七年)、紀州・新宮に西洋の王様がかぶる王冠のような看板を掲げた一軒の食堂が開店した。「太平洋食堂」と名付けられたその食堂の主人は、「ドクトル(毒取る)さん」と呼ばれ、地元の人たちから慕われていた医師・大石誠之助。アメリカやシンガポール、インドなどに留学した経験...
一九〇四年(明治三十七年)、紀州・新宮に西洋の王様がかぶる王冠のような看板を掲げた一軒の食堂が開店した。「太平洋食堂」と名付けられたその食堂の主人は、「ドクトル(毒取る)さん」と呼ばれ、地元の人たちから慕われていた医師・大石誠之助。アメリカやシンガポール、インドなどに留学した経験を持つ誠之助は、戦争と差別を嫌い、常に貧しき人の側に立って行動する人だった。やがて幸徳秋水、堺利彦、森近運平らと交流を深めた誠之助は、“主義者”として国家から監視されるようになっていく――。 結構な厚みの本ですが飽きることなくわくわくしつつ読み進めることができた。でも恥ずかしながら大石のことは名前しか知らず(むしろ幸徳の方が教科書で習ったイメージ)、結末を分かっていなかったので、わりとショックな終わり方でした。社会主義者というと、国家転覆やテロリストのようなイメージを抱いてしまいがちですが、そもそも根本の定義すら分かっていないことを痛感させられた。国家によって作られた虚像を鵜呑みにして、何ら助けの手を伸ばさなかった一般民衆は、今の選挙にも無関心な日本人に通じるものがある気がして怖くなった。今でこそ平等がうたわれてはいるが、それでも資本主義により貧富の差は拡大傾向にある。困っている弱者に対して手を差し伸べる心を持っているかと聞かれたとき、私は堂々としていられるだろうか。痛いところを突かれた思いで、自分にやれることを考える契機となった。
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内容を知らずに手に取り、読み進めるに従って大石誠之助の人間的大きさに惹かれていった。大逆事件で明治政府に殺された12人の一人となるとも知らず、新宮っていいところだななどと呑気に読んでた自分に呆れる。 今の政治も本質は明治と変わりない。
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料理にまつわる物語かと思って読んだら違った。 紀州、新宮の医師であり、コックである大石誠之助が反逆罪で処刑される物語。 地元の人たちから慕われていたのに、こんなんで処刑にさせられるとは唖然としてしまった。 明治政府の時代である。今でもある冤罪の走りか?警察の強権の恐怖を感じる。 ...
料理にまつわる物語かと思って読んだら違った。 紀州、新宮の医師であり、コックである大石誠之助が反逆罪で処刑される物語。 地元の人たちから慕われていたのに、こんなんで処刑にさせられるとは唖然としてしまった。 明治政府の時代である。今でもある冤罪の走りか?警察の強権の恐怖を感じる。 印象に残った文章 ⒈ 目の前で苦しんでいる人から目を背けることは、どうしてもできん。 ⒉ 「名文」はもろ刃の剣だ。名文は読む者を酔わせる。 ⒊ 兎に角、出来るだけはやって見る。 ⒋ 幸徳秋水の演説は、あたかも揮発性の高い蒸留酒のごとく人を酔わせる。 ⒌ なにごとも、まずは自分が面白がること。そうでなければ人はついてこない。 ⒍ 弱い者、虐げられた者を愛することが僕の使命であると思うて、僕は如何なる場合にも彼らに同情を寄せる。だから、もしも、弱い者、虐げられた者に自分が見捨てられたと知ったら、僕にとってはこれほど、寂しい、恐ろしいことはない。
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大石誠之助の小説。 今の状況の中で読むと非常に考えさせられる。政府は、国は、政治家は、指導者は、今何をすべきか。我々国民は自分自身が出来ることを精一杯するしかない。あなた達じゃないとできないことがあるんです!
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第一次世界大戦前夜の紀州新宮で、リベラルな医者をやっていた大石誠之助を描く。この時代、社会主義者を標榜して、新聞で論陣を張り、演説会に登壇し、人が気楽に集まれるサロン(太平洋食堂)を開き、自由に新聞・雑誌を閲覧できる場を提供し、俳句やフリートークのサークルを作り、尚且つ、貧乏人か...
第一次世界大戦前夜の紀州新宮で、リベラルな医者をやっていた大石誠之助を描く。この時代、社会主義者を標榜して、新聞で論陣を張り、演説会に登壇し、人が気楽に集まれるサロン(太平洋食堂)を開き、自由に新聞・雑誌を閲覧できる場を提供し、俳句やフリートークのサークルを作り、尚且つ、貧乏人からは診察代は取らないという「個人でできること」をやっていた人物であった。 太平洋は世界に開いている。大石はアメリカやインドへ留学していた世界人でもあった。新宮は田舎ではない。奈良の熊野詣での昔から、地方の都会だった。昔も今も東京だけに人物がいるわけではない。それでも、戦争は人々の生活に影を落とし、ブラック企業は労働者を搾取するだろう。現在と似ている部分は多々ある。その中で、大石誠之助はどうなったのだろうか?新宮に居て、大逆事件とは関係なかったのに逮捕されて死刑に処されたのである。いや、死刑になった12人全員が冤罪だったのは、この本で詳細に述べられている。一方、この時代いろいろ制限はあるにせよ、昭和の戦中と比べれば、まだ言論に自由な雰囲気は残っていた。あまり描かれてこなかった明治時代小説と言えるだろう。 大石がしていたのは、現代の知的リベラルがしていることの理想型だと思う。しかし、戦争前夜にそういう運命に陥る。明治末期に日本に芽生えた社会主義思想という名の理想主義は、このように壊滅的な打撃を受けた。私は大きな教訓があると思う。大逆事件は、単なる社会主義者弾圧ではない。日本は大きな事件があると、コロッと空気を変える(意味は違うが、昨今の感染症騒動を見てもそう思う)。 新宮市は、2018年になってやっと「名誉市民」という称号を大石誠之助に与え、名誉を回復させた。もっとも、まだまだ復権にはほど遠い岡山県井原市出身の森近運平よりはマシではあるが。
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作者読みだったのだが、史実と物語が混在となっており、途中でお腹一杯になり、やむなく離脱。 大石誠之助がなぜ死刑になってしまったのか、物語として読みたかった。
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明治時代、和歌山に生まれ、同志社や海外で学び、新宮で医院と食堂を始め、社会主義者となり、大逆事件(幸徳事件)で処刑された大石誠之助の伝記的ドキュメント小説。 幸徳秋水や与謝野鉄幹などの聞いたことはあるけれど詳しいことは知らない人の描写や、明治という時代の雰囲気を教えてくれてとて...
明治時代、和歌山に生まれ、同志社や海外で学び、新宮で医院と食堂を始め、社会主義者となり、大逆事件(幸徳事件)で処刑された大石誠之助の伝記的ドキュメント小説。 幸徳秋水や与謝野鉄幹などの聞いたことはあるけれど詳しいことは知らない人の描写や、明治という時代の雰囲気を教えてくれてとても面白かった。桂園時代として桂太郎と西園寺公望が交互に首相をしていたことは知っていたけれど、その裏にいた山県有朋が社会主義をアホみたいに弾圧していたことは知らなかった。 しかし巻末に参考文献がない。読者に、こんな本を読んだらいいよと教えてあげる「親切」な心だったり、自分の著作はこういう文献を参考にさせてもらいましたという「尊敬」の心が参考文献を挙げされると思うが、その両者が欠けているのだとすれば悲しいのだが・・・
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
大石征四郎、新宮の奇人一族で自由に育つが、米国で医師となり郷里で名士として活躍する。 善人にしてリアリスト、知識・知恵が現実の矛盾を平易に説く言論活動の中、社会主義者と関わる。 『彼が社会主義の名の下死刑になった訳』 「天皇・皇大后・皇后又ハ皇太孫ニ対シ危害ヲ加エ又ハ加エントシタル者ハ死刑ニ処ス」明治40年刑法交付第73条作者は「加えんとした」など未来形の奇妙な法で裁かれたと疑念を開陳する。 しかし元々の律令に於いても謀反といい「国家を危うくせんと謀ること」とあり奈良麻呂も計画だけで処罰された。 征四郎は個人の感想だが無実である、作者は本当に誰かが計画したわけでなく、弾圧に明け暮れる政府に思春期的な反発をする社会主義者の未熟で稚気を帯びた行いに巻き添えとなったとする。 1.明治37年警視庁宣言 (1)社会主義の非戦論(日露戦争中) (2)階級破壊の最終目標は皇室 (3)主義者にかつて前科者がいる 2.日露戦争参謀総長山縣有朋 (1)社会主義者への嫌悪 (2)代表的な堺・幸徳は蛇蝎の如く嫌われる (3)処刑前日、平沼騏一郎検事と謎の祝杯 (4)「無いことを作り上げた」原敬の山縣批判 3.明治40年天長節に天皇への爆裂弾宣言以降 (1)執拗な嫌がらせ(出帆禁止・尾行) (2)赤旗事件 (3)明治38年ロシア革命へ憧れ(爆裂弾流行) 4.事件利用し出世 (1)和歌山県知事川上親晴(警視総監) (2)検事 平沼騏一郎(政治中枢への接近) 5.事件の発端 発表先の無い幸徳(名前あれば発禁・文字印刷すれば印刷機没収)謄写版印刷機を手にした弟子が「(社会に)爆裂弾を投げられる」の発言が根拠に、爆竹程度の実験するニワカ活動家(大きさ直系1寸・高さ2寸!) 征四郎には生き延びてほしかったと思う一冊です
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