雨と詩人と落花と の商品レビュー
「晩来何者ぞ門を敲き至るは 雨と詩人と落花なり」 兄の淡窓にともなわれ、初めて松子の実家を 訪ねた時の出会いを詠んだ漢詩。 幕末の激動期、儒者として漢詩人として、夫としてどう生きるべきか。 詩人の魂と夫婦愛を描きます。 広瀬旭荘は九州日田の広瀬家に生まれました。 広瀬家は大名貸し...
「晩来何者ぞ門を敲き至るは 雨と詩人と落花なり」 兄の淡窓にともなわれ、初めて松子の実家を 訪ねた時の出会いを詠んだ漢詩。 幕末の激動期、儒者として漢詩人として、夫としてどう生きるべきか。 詩人の魂と夫婦愛を描きます。 広瀬旭荘は九州日田の広瀬家に生まれました。 広瀬家は大名貸しまで行う富商で、二十五歳年長の兄が広瀬淡窓。 儒学者であり詩人として、私塾の咸宜園を開設した人物。 二度目の妻、松子を迎えた旭荘。 怒りを抑えきれず打擲する旭荘に、前妻は去っていったのですが、松子は心優しき詩人である旭荘の本質を理解していました。 堺に遊学した旭荘は、後に江戸へ赴き、詩人として儒学者としての生き方を問われます。 幕末、動乱の時期に生きた詩人と、旭荘を支え続けた妻。 広瀬旭荘の漢詩・七言絶句、「晩来何者ぞ門を敲き至るは 雨と詩人と落花なり」の意味が、最後にしみわたります。 蘭学者はことさら、実用の利を言い立てるが、本来、学問というものは、ひとが生きる道を明らかにするものだろう。それはすぐに役に立つというものではなく、またひとが自らの生きる道を見出したからといって世に益するところがあるわけでもない。聖人の行いとはすなわち、悪事をしないということに尽きるかもしれない。 ー 134ページ ひとは才において尊いのではない。ひとを慈しむ心において尊いのです ー 238ページ
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和歌を作品に巧みに取り入れる著者が、今回主人公に据えるのは詩人の広瀬旭荘。 題名は、旭荘が妻のために吟じる詩の一部から来ている。 今で言うDVも仕掛ける旭荘が、二度目に迎えた妻の理解により、次第に夫婦愛に目覚めてゆく様が格調高く描かれている。 旭荘の詩が次々と登場し、読み下し文と...
和歌を作品に巧みに取り入れる著者が、今回主人公に据えるのは詩人の広瀬旭荘。 題名は、旭荘が妻のために吟じる詩の一部から来ている。 今で言うDVも仕掛ける旭荘が、二度目に迎えた妻の理解により、次第に夫婦愛に目覚めてゆく様が格調高く描かれている。 旭荘の詩が次々と登場し、読み下し文とともにその解釈も綴られ、漢詩の意味を門外漢にも理解することが出来る。
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