大岡信『折々のうた』選 俳句(二) の商品レビュー
「大岡信『折々のうた』選 俳句(二)」(岩波新書)を手にすることができました。 そのあとがきを読んでいると刮目すべきことに出会いました。 この編集者長谷川櫂氏によりますと 俳句の編年史では「古典主義俳句」と「近代大衆俳句」の2つに大別され、 古典主義俳句は第1期松尾芭蕉時代と第...
「大岡信『折々のうた』選 俳句(二)」(岩波新書)を手にすることができました。 そのあとがきを読んでいると刮目すべきことに出会いました。 この編集者長谷川櫂氏によりますと 俳句の編年史では「古典主義俳句」と「近代大衆俳句」の2つに大別され、 古典主義俳句は第1期松尾芭蕉時代と第2期与謝蕪村時代にわけられ、 近代大衆俳句では第1期小林一茶時代、第2期正岡子規と高浜虚子時代、 第3期加藤楸邨と飯田龍太時代にわけられています。 ではなぜ一茶が近代大衆俳句に組み込まれるのか? 近代俳句といえば子規ではないのか? そのキーワードは「大衆化」だそうです。 これまで多くの文学史は明治以降を近代とし、子規を近代俳句の創始者とされてきましたが、 長谷川氏は子規を創始者ではなく中継者としてとらえています。 明治時代というのは西欧化がはじまったということであって、 大衆を中心とした近代文化は天明の大飢饉以降の徳川家斉将軍のころからはじまっているとしています。 通説で明治時代から近代化がはじまったというのは政治形態や西欧化 という観点から見た歴史のとらえ方で、 文化という視点から見れば江戸後期(1880年代以降)を近代とするとしています。 この頃から俳句人口が急速に増大し、古典を知らない庶民も俳句をつくうようになった。 実はこの味方は長谷川櫂氏だけでなく、小説家丸谷才一氏も同じ様な見方をしています。 また、その丸谷才一氏が 「文学の中心部は形式別にすればいつたい何だろうかと考へてみよう。 それはもちろん詩である」 「その詩集の中でもとりわけ大事なのは何か。詞華集にほかならない。」 (丸谷才一「日本文学史早わかり」講談社文庫) と述べています。 その詞華集には「万葉集」「古和歌今集」「新古今和歌集」など勅撰和歌集がありますが 「近代」以降は無く、また広範にわたる詞華集が乏しかったのが実情だったのです。 そこに現れたのがこの大岡信『折々のうた』です。 万葉集から現代の詩歌合わせて6762首、日本詩歌集で空前絶後の偉業だと言われています。 それを俳句集(2巻)、和歌集(2巻)、詩と歌謡の5冊にまとめられて この度、岩波新書として出版されるとのこととなりました。 良い本が出版されると一人ほくそ笑んでいます。
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