百年の散歩 の商品レビュー
この物語はなんなのだろう。読んでいる最中も、読み終わっても、なんだかよくわからないものを読んでしまった気持ちがある。エッセイのようで、でも、物語のようで、そもそも「わたし」と「あの人」の関係性もそもそもの性別すらわからない。そこかしこに潜んでいる歴史の残骸、遺物、遺構。「わたし」...
この物語はなんなのだろう。読んでいる最中も、読み終わっても、なんだかよくわからないものを読んでしまった気持ちがある。エッセイのようで、でも、物語のようで、そもそも「わたし」と「あの人」の関係性もそもそもの性別すらわからない。そこかしこに潜んでいる歴史の残骸、遺物、遺構。「わたし」の思考が浮遊しているようにも思えるし、いやいや、実際に通りを歩いて目に移ったものを片っ端から夢想して、妄想して、思考が四散していっただけだ。と思う瞬間もある。
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最近ふとしたことからドイツ語に興味を持ち、特に「名詞に性がある」というドイツ語の特徴になんとなく気になるものを感じていました。とりわけ「ややこしそうな文法ルール」として。 そんな中、個人的に惹きつけられた本書の一場面が、ドイツ語文法に怒りを込めて文句を言うアメリカ人と思われる女...
最近ふとしたことからドイツ語に興味を持ち、特に「名詞に性がある」というドイツ語の特徴になんとなく気になるものを感じていました。とりわけ「ややこしそうな文法ルール」として。 そんな中、個人的に惹きつけられた本書の一場面が、ドイツ語文法に怒りを込めて文句を言うアメリカ人と思われる女性に対し、主人公の「わたし」が 『「性を失った英語の方がよっぽどステューピッドでしょ」と言い返してやりたくなった。』 と心の中で反発する場面でした。 真実がどうかはさておき、「言葉というものには元々性があって、英語はその性を失ってしまった言語なのだ」というものの見方は、自分の中に新しい視点を与えてくれたように思います。 もっと言えば「ややこしそう」というネガティブな印象をも反転させられたと言えるかもしれません。 言葉の中にある引っ掛かりや違和感みたいなものを、独自の視点で掬い上げる感覚はやはり多和田さんならではだなと唸ってしまいます。
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10の短編 全てに出てくる「あの人」、とは何者なのか ドイツの通りを歩けばプラタナスの木や墓地のレリーフ、閉店したお店の写真、様々なものが葉子さんに語りかける 孤独遊びが癖になってしまって人生の内容になってしまった 慰められる言葉です
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ベルリンは訪れたことがないので、google earthでそれぞれの通りを見ながら読んだ.一つの店を見ながら様々な思いが沸き上がり、それが落ち着く前に別の気持ちが吹き出してくる、着いていくのが大変だ.当然ドイツ語が随所に出てくるが、分かりやすい解説が楽しめた.彼女のような散歩は彼...
ベルリンは訪れたことがないので、google earthでそれぞれの通りを見ながら読んだ.一つの店を見ながら様々な思いが沸き上がり、それが落ち着く前に別の気持ちが吹き出してくる、着いていくのが大変だ.当然ドイツ語が随所に出てくるが、分かりやすい解説が楽しめた.彼女のような散歩は彼女にしかできないと感じた.
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「でも、わたしにとっては負の世界に分け入っていくことの方が美味しいものを食べることよりも魅力的なのだった。」
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去年初めて著者の小説(犬婿入り)を読んで衝撃を受けて他も読もう!となったものの目先の積読にうつつを抜かしていたので今年こそという思いで読んだ。本作もめちゃくちゃオモシロかった。ドイツ在住の著者による都市論がふんだんに展開されていて小説とエッセイの境目のような展開も好きだった。 ...
去年初めて著者の小説(犬婿入り)を読んで衝撃を受けて他も読もう!となったものの目先の積読にうつつを抜かしていたので今年こそという思いで読んだ。本作もめちゃくちゃオモシロかった。ドイツ在住の著者による都市論がふんだんに展開されていて小説とエッセイの境目のような展開も好きだった。 実際に存在するドイツの通りや広場を訪れたときの話が延々と会話なしのモノローグで語られていてさながら著者の日記のような構成。誰かといる時間はなく常に1人で行動し、その風景とそれにちなんだ頭で夢想したことをミックスする語り口がオモシロかった。フリースタイルラッパーよろしく、1つのワードを起点にしてワードプレイを展開して想像の世界へと跳躍していく小説の楽しさがふんだんに詰まっているのも魅力の1つで言葉に生きる人の語彙力や発想の豊かさに驚くことが多かったし、この言語感覚が直で分かる日本語話者で良かったなと思えた。パンチラインも山ほどあるのもかっこいい。日本人の作家でこんなにストレートに撃ち抜かれることもなかなかない。一部引用。 ----------------------------------------------- 携帯は、古い家の壁にあいた穴のようなものだ。その穴から雨や風のように用件が吹き込んでくる。車窓ならば、長いこと田園風景を眺めていても、緑の中から手が伸びてきて、わたしの生活に入り込んでくることはない。 よくテレビに顔を出して自信ありげに自説を振り回すおかかえ経済学者は駄目。誰がおかかえているのか知らないけど、もしかしたらおかかが抱えている鰹節なら、経済発展節を唸り続けて、希望の味噌汁の出汁にもならない薄い栄養素と引き替えにたっぷり出演料をせしめているんだろう。 君も死から逆算し、詩を二乗しながら生きているんだろう、と同意を求めるような目が浮かんだ。 二つの色は擦り合わされるが、決してすいさいえのぐのようにみずっぽく混ざることはない。人の思いはぶつかることはあってもすっかり溶け合うことはない。水彩画でも色が滲んで混ざっている部分は美しいが、いろいろな色が自分を失ってお互い相手に溶け込んでしまうとウンコ色になる。 ------------------------------------------------ 最後のラインに代表されるように自立を謳う内容が多い。ただ1人行動なんだけども常に「あの人」と呼ばれる存在を気にしていて、孤独に生きること、他者を考慮して生きることの論考を繰り返している点がほとんどエッセイで興味深かった。その論考をしながら街を移動している際には余裕で時間を超越していてドイツの過去の歴史がクロスオーバーする、その軽やかさは唯一無二だと思う。膨大なカタログがあるので厳選して色々読んでいきたい今年こそ。
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よく判らなかった。 掴みどころのない話、というか、なんだろう、散文詩的? 最初の方は、モノローグの中の日本語とドイツ語の言葉遊びが面白かったけど、だんだん空想が膨らみすぎて妄想に近くなり、もしやこれは病んだ精神の記録か?と思うような雰囲気に。 で、待ち続けた「あの人」って?
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小説だと思って読みはじめたからか最初は読みにくかった。 小説ということだけど、小説というより多和田さんが散歩をしていて、考えていることをつらつら垂れ流しにしているエッセイという感じで、一緒にベルリンの街を、時空を、思考の中をふらふら歩いている気分になる。 特に最初の方は、言葉遊び...
小説だと思って読みはじめたからか最初は読みにくかった。 小説ということだけど、小説というより多和田さんが散歩をしていて、考えていることをつらつら垂れ流しにしているエッセイという感じで、一緒にベルリンの街を、時空を、思考の中をふらふら歩いている気分になる。 特に最初の方は、言葉遊びが樋口一葉と雰囲気が似ていて川上未映子が好きそうな感じだなと思った。 「別宮、別宮浮かん、別空間」、「おつまず、つままず、つつましく、きつねにつままれ、つまらなくなるまで」 ★「シーン」があるのは映画の中だけのことで、現実にはシーンなんてない。切り取ることのできない連続性の中を突っ走っていくだけだ。 ★出逢ったかもしれない人たち、親友になったかもしれない人たちで町はいっぱいだ。そのせいか、どんなに気の合う昔からの親友でも、同じくらい気の合う人間は町にたくさんいるのだけれど偶然知り合う機会がなかっただけではないかという疑いが払いきれない。 ★家に帰って待っていれば確実に会えるのだが、家ではなく、わたしが辿り着いた遠い場所まで、あの人の方から歩み寄ってほしいのだ。 ★「四時に行くわ、とマリアは言った。八時、九時、十時」
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街を歩きながら思ったことがひたすらに描かれいる。 軽いなんてこと無い情景から ベルリンの壁だったりの歴史まで 色々なことが独り言として並んでいる。 自分には抑揚がなくて辛かった。 それでも筆者の独特で面白い表現もあり、なんとか読破。
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「わたし」は散歩をしている。読者も一緒に歩き始める。でも、あれれと思っているうちに、言葉がつるつる滑って行ったり、時間と空間がずれたり、いないはずの人が現れたり。 短歌を作っていて時々、自分の中からひょいと意外な言葉が出てくることがある。見ている情景と自分の心とが化学変化みたい...
「わたし」は散歩をしている。読者も一緒に歩き始める。でも、あれれと思っているうちに、言葉がつるつる滑って行ったり、時間と空間がずれたり、いないはずの人が現れたり。 短歌を作っていて時々、自分の中からひょいと意外な言葉が出てくることがある。見ている情景と自分の心とが化学変化みたいなものを起こしている時は、その感覚を逃がさないように、言葉の海でジタバタする。 『百年の散歩』を読んでいて、そんな心の動きに似ていると思った。
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