これからの大学 の商品レビュー
弟が読んでいたものを借りた。松村さんの「うしろめたさの人類学」を以前読んで面白かった記憶があった。 丁寧に書かれていて読みやすかったが、内容は、学ぶときは自分の頭で考えるべきというくらいの"そうだよね〜”というものだと感じた。独自のフィールドワークをして「うしろめたさの...
弟が読んでいたものを借りた。松村さんの「うしろめたさの人類学」を以前読んで面白かった記憶があった。 丁寧に書かれていて読みやすかったが、内容は、学ぶときは自分の頭で考えるべきというくらいの"そうだよね〜”というものだと感じた。独自のフィールドワークをして「うしろめたさの~」のように面白いことを考えられる方が、大学での教職を経験して、ここまで噛み砕かないと伝わらないと思われていることがショックだった。ジャッジされることを当然と受け取って審判者にとって正しくあろうと努力する学生、とくくることは、揺らぎを無視してるけど、でも"就活"のジャッジのために学生側がそういったオリジナルを自ら封じ込めようとするのはやだなー、みたいな
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大学で学べることを理解するために読んだ。 僕が印象に残った点 •大学は、議論の場/知恵を学ぶ場 しかし、教育改革で社会と同質的なものになりつつある •思考停止の真実 大学受験のなどで、この問題の意図はナニ?などと立体的に問題を捉える事は、良しとされなかった。 •理解とはまだ理解してないということを知る事 なぜなら、文脈を限定的に捉えて始めて答えを出せるから。これは、重要! •マジメにはなるな。
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大学には対話できる自由でフラットな場が必要なのに、それが効率化で失われるつつあるというところにとても共感しました。仲間と話し合えるような大学づくりに関わりたいと思いました。
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好きな人類学者の方が大学をテーマとした本を書いていたのを見つけて手に取った。 特に参考になったのは「知識」「知恵」とを述べた部分であった。 受験で必要だったのは「知識」であり、大学で筆者が身につけて欲しいと考えているのが「知恵」である。 「知恵」は自分の置かれた状況を生きるため...
好きな人類学者の方が大学をテーマとした本を書いていたのを見つけて手に取った。 特に参考になったのは「知識」「知恵」とを述べた部分であった。 受験で必要だったのは「知識」であり、大学で筆者が身につけて欲しいと考えているのが「知恵」である。 「知恵」は自分の置かれた状況を生きるためのもので、柔軟なイメージをもった。 対して、「知識」は限定的なものであり、持っていても活かすことのできないもののイメージだと思う。 知恵を身につけるためには、自分の人生について考えることを避けられない。 誰かが言ったからではなく、どう生きたいか、世界にどう変わって欲しいかという欲求が、知恵の取得に関わっているのではないのかと思う。
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隙間や余裕、そういったものが。 実の場ではなくて、あれこれ思える場。 かつての大学がバラ色だったわけではないだろうが、貧しくてもエネルギーが感じられて不思議さが溢れている。そういう場所(の少なくともイメージはあった)だった。 誰のための場所なのかのツキツメがいるのだろう。
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人類学が専門の著者が、大学にまつわる経験を通じて、若者に丁寧に諭すように語られた大学論。対談のパートを除き、各章で論じられていることは、おそらくこれまでの大学論とほとんど重複している。しかしより大切なのは、著者自身のことばで丁寧に言い換えられているとうことである。それは終章に向け...
人類学が専門の著者が、大学にまつわる経験を通じて、若者に丁寧に諭すように語られた大学論。対談のパートを除き、各章で論じられていることは、おそらくこれまでの大学論とほとんど重複している。しかしより大切なのは、著者自身のことばで丁寧に言い換えられているとうことである。それは終章に向けての必要な作業だということがわかる。昨今の大学改革の渦中で、教育と研究の営みを検討した内容は、静かだが明確に指摘がなされている。 私自身がなんとなく思い抱いていたことを、著者は次のように終章で説いている。「トップダウンで一貫性があって、クリアな目標を掲げ、みんながそれに向かって一致団結して進む大学より、個々の教員がそれぞれ試行錯誤を重ね、互いに衝突し、矛盾しながらも、学問への熱い思いが共鳴する深い森のような大学のほうがいい。きっと社会にとっても創造性の源になりうるし、学生たちも、その森をさまようなかで悩み、対話し、学びの楽しさに我を忘れるうちに、予想もしなかった未知の可能性に開かれていくのだと思います。」(p.230)事務的には前者の方が助かる場面が多いのだろうが、後者の方がその後の効果や構成員の意識が確かなものとなるような気がしている。また「大学の現場とは乖離した空中戦のような議論や、浮ついたコンセプトばかりが乱れ飛ぶ時代だからこそ、きちんと目の前で起きたこと、起きつつあることをしっかりととらえて、教壇に立つ人間が自分なりの言葉にしていく作業が必要」という指摘は重要である。大学職員クラスターが、その空中戦に加担したり、当該コンセプトを学内外で啓蒙していないか、一度振り返ることも必要と感じた。現代社会において、大学を仕事場にするということは、組織的あるいは個人的な「大学改革」している感の演技の義務は、ゼロにできないにせよ、なるべく少なくしていきたいものだ。
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