ネオサピエンス の商品レビュー
愛着を重視する共感型人類が多くを占める中で、愛着を重視しない回避型人類の発生を論じている一冊。 小さな進化となるのか、共感力の欠如が目立つ現代への一時的適応の形となるのか。 回避型は障害ではなく、環境に合わせた生物の反応に思えてなりません。 社会と技術によって愛着を不要とする回避...
愛着を重視する共感型人類が多くを占める中で、愛着を重視しない回避型人類の発生を論じている一冊。 小さな進化となるのか、共感力の欠如が目立つ現代への一時的適応の形となるのか。 回避型は障害ではなく、環境に合わせた生物の反応に思えてなりません。 社会と技術によって愛着を不要とする回避型人類の生存と繁殖は維持されているため、共感型人類と同数に近づいた暁には共存か排除の選択を迫られるでしょう。 既存の人類でも格差の問題があり、AIとの共存の問題もありますが、更に新人類との軋轢も生じてしまうのでしょうか。 しかし、私は個人主義を悪とは思いませんし、少しは回避型人類の気持ちがわかります。 我々はホモ・サピエンス(賢い人間)ですので、賢く立ち振る舞うことができると信じています。
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自称「24時間喜怒哀楽人間」の私です。つまり共感型。 子どもの頃から人が好きで、友達が好きで、ワイワイ騒ぐのが大好きな私は、「回避型人類」とは対極です。 近い将来、回避型人類が世にはびこるという。 ビジネス界では、回避型が共感型より優位に立つようになってきたという。確かに効率的で、生産性が高いかもしれません。 リビングに家族全員が揃っていても、銘々にスマホやタブレットの中の世界に没頭している、そんな現代は、確かに回避型人類が増殖中と言えるでしょう。 キレる人が暴走してしまうニュースが絶えないのも、もはや回避型人類が広まっている証左かもしれません。
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最初の部分は自閉症やアスペルガー症候群など良くは知らない病気のことがポンポン出てくるので読むのを諦めようか迷った。しかし読み進むうちに動機が理解しづらい大量殺人や子殺しなど自分も知っている、異常な犯罪も本書の説明から一つずつ納得できた。回避型人類が増えて行き着くところがスウェーデ...
最初の部分は自閉症やアスペルガー症候群など良くは知らない病気のことがポンポン出てくるので読むのを諦めようか迷った。しかし読み進むうちに動機が理解しづらい大量殺人や子殺しなど自分も知っている、異常な犯罪も本書の説明から一つずつ納得できた。回避型人類が増えて行き着くところがスウェーデンのようになってしまうのでは税金をいくら納めても浮かばれない。是非を論ずることは難しいが、マスコミも社会現象に表層的なコメントをバカの一つ覚えで繰り返すのではなくこう言う著書を取り上げ問題提起して欲しいものである。
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他者との情緒的な関わりに喜びも感心も持たない人類のことをネオ・サピエンス=回避型人類と呼び、回避型が2000年代以降急増して近未来には共感型人類(相手との関係性を重視する人類)がマイナーとなり、回避型がメジャーになる社会が訪れるとの仮説を唱えた著作。
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「ネオサピエンス 回避型人類の登場」 岡田尊司(著) 2019 11/20 第1刷 (株)文藝春秋 2020 2/15 読了 なんとも空恐ろしい近未来のお話。 親子関係にる愛着障害の健康的社会的弊害に警鐘を鳴らし続けている医学博士でもある著者の 半ば諦めに近い本書。 この...
「ネオサピエンス 回避型人類の登場」 岡田尊司(著) 2019 11/20 第1刷 (株)文藝春秋 2020 2/15 読了 なんとも空恐ろしい近未来のお話。 親子関係にる愛着障害の健康的社会的弊害に警鐘を鳴らし続けている医学博士でもある著者の 半ば諦めに近い本書。 このままじゃ問題もあるけど この問題が人の進化を促し ネオサピエンスに相応しい社会になっちゃうよー。 いやもうなりつつあるよー。 って事らしいです。 本書が描き出しているネオサピエンスと 村田沙耶香の描いている「人間」が妙にリンクしていて 恐ろしさ倍増です。
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著者がこれまで発表してきた病理現象が行き着くところまで行った感を持つ。回避型愛着スタイルの人間が多数派を占めた様子をSF的に描いた章はディストピアとしか言いようがない。
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「最近の若者は、理解出来ない」というフレーズは、どの時代にもあったと思います。遥か昔、「新人類」という言葉がありました。これは、戦後教育と戦前教育の断絶を言い当てた上手い表現だと思いました。 では、ネオサピエンスは、どうでしょうか? 私の評価では、タイトル負けしているという印象...
「最近の若者は、理解出来ない」というフレーズは、どの時代にもあったと思います。遥か昔、「新人類」という言葉がありました。これは、戦後教育と戦前教育の断絶を言い当てた上手い表現だと思いました。 では、ネオサピエンスは、どうでしょうか? 私の評価では、タイトル負けしているという印象です。ただ、この著作は、最近少し話題になったユヴァル・ノア・ハラリ(Yuval Noah Harari) 1976年生まれの歴史学者の著作の二番煎じなのは、否めないです。もちろんこれは、何の問題もありません。 個人的に好きな作家なので、楽しく読みました。著者の問題意識は、ネオサピエンス以前の知的水準が非常に高い人が持っていたものです。いわゆる教養があり、またコミュニケーション能力や専門性も高い、成功者に多いタイプです。 IT革命以後に生まれた子と、そのまっただ中で思春期を送った子、また成人以後に、そのインパクトや社会変化を生きてきた人では、それぞれの「進化」は、全然違うでしょう。 私の場合は、思春期の10代にウインドウズ95に遭遇した世代なので、進化としては、中途半端だと思ってます。以後に生まれ、現在社会人になった人、また街で遭遇する若い子を見かけたり、テレビやネットニュース、書籍で10代、20代の事件、犯罪、社会問題を見聞きすると、確かに、自分らの世代とは、「進化がかなり異なる」と思います。 私は、彼らの一部に関して、多大なる違和感を感じます。この違和感を、なかなか言葉にすることが出来なかったのですか、この著作を読んで、なるほどなという考察が沢山されていました。 本質的に交流なんて出来ないこと、 つまり、彼らの交流と私が考える交流の性質が、 全く異なるとわかりました。 IT革命以後、今は、スマホが登場し、 自分が好きなモノを見て、 経済的な条件がつきますが、好きなモノを買い、 SNSで好きなことを、いつでも、 どこでも、誰とでも、どんな数にも 発信できるようになり、また 無料のゲームで、いつでも、どこでも、 遊べるようにになりました。 今では、スマホ依存やSNS依存と言われる言葉もでき、皆がみな、情報革命の恩恵とそれに付随する問題の中で生きています。 このような生活環境が人間の進化にも、 多大なる影響を与えるようになるのは、 至極当然だと、納得できました。 個人的な思いとしては、 スマホなんて見ずに、自分と交流しよう、 SNSなんて、ずっとせずに、お茶でも、 飲みにいこうなんですが、こんなことは、 ネオサピエンスにとっては、意味不明でしょう。 彼らの表情や表現方法から、 旧人類が持っていた人間らしさがなくなっているのは、必然かもしれません。ただ、この人間らしさも、定義なんて存在しません。旧人類の、交流形態のイチ形態と言いましょうか。 今もこれからも、おそらく新旧で争いが、 耐えないと思います。旧人類は、ネオサピエンスを何としてもコントロールしたいと思うでしょう。 また、旧人類同士も、争いの性質を変えて、 潰しにかかるでしょう。 旧人類同士は、一応争いが起これば、 それを解決する方法がありました。 しかし、旧人類とネオサピエンスでは、 不可能でしょう。 お互い絶対的に理解できない状況だからでしょう。こういった社会を生きていかなければいけない宿命と覚悟を、この本から、学んだ気がします。共存共栄できればいいでしょう、人類の歴史を見ても、 それが、全く達成されていないことがわかります。
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【IT革命は人間そのものを変えてしまった】かつて数万年単位で起きた人類の進化が、いまや数十年で起きようとしている。心の絆を求めない人々の登場に、あなたは耐えられるか。
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