自己責任の時代 の商品レビュー
自己責任論が広がる中、よく左派がその人は境遇的に致し方なくその判断をしたのであって責任がないとする責任否定論で反論する。 しかし、責任否定論も、責任の間口を狭くしただけで、その人が自分の自由な判断でした場合はそれなりの懲罰を与えるべきという点には同意しており、結局は生き辛さに加担...
自己責任論が広がる中、よく左派がその人は境遇的に致し方なくその判断をしたのであって責任がないとする責任否定論で反論する。 しかし、責任否定論も、責任の間口を狭くしただけで、その人が自分の自由な判断でした場合はそれなりの懲罰を与えるべきという点には同意しており、結局は生き辛さに加担しているという指摘は目から鱗。 そこで著者は、否定的に捉えられがちな責任に、自分のなしうることを全うするという肯定的な意味を持たせ、その結果望ましくない結果に至ったとしても、懲罰を与えるかどうかは慎重に検討すべきという責任肯定論を提案する。 責任にはもともと、自分のことは自分でやるというだけでなく、社会にとって有益なことをなすという意味があったという歴史から始まり、責任について広がりを持たせる試み。
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目 次 序——自己責任の台頭 現代の政治および哲学上の責任概念 無駄な抵抗 隠された合意——責任の枠組み 打開策 ここからの議論 第1章 責任の時代の起源 政治 哲学 社会科学 結果責任としての責任 第2章 責任の時代の福祉国家 「矛」と「盾」に直面する ...
目 次 序——自己責任の台頭 現代の政治および哲学上の責任概念 無駄な抵抗 隠された合意——責任の枠組み 打開策 ここからの議論 第1章 責任の時代の起源 政治 哲学 社会科学 結果責任としての責任 第2章 責任の時代の福祉国家 「矛」と「盾」に直面する 責任追随的な制度と責任緩和的な制度 責任追随を強いられる福祉制度 責任追随の擁護 福祉改革の何が問題か 第3章 責任の否定 運か責任か 道徳的責任が運に打ち勝つ可能性 責任否定論の政治的失敗 補論——運と責任に関する道徳的直観のもう一つの説明 第4章 責任に価値を認める理由 自己への責任 他者への責任 他者を責任ある存在と考えること 第5章 ある肯定的な責任像 前制度的な責任 制度上の価値 制度に基づく期待 責任制度の実際——道徳哲学からの実例 公共政策における肯定的な責任像 結語——自己責任の時代を越えて 謝辞 訳者解説 原注 索引 https://www.msz.co.jp/book/detail/08832.html https://www.amazon.co.uk/Age-Responsibility-Choice-Welfare-State/dp/067454546X/ https://www.yaschamounk.com/books https://ameblo.jp/yasuryokei/entry-12612856031.html 那須さんの著書 ・バーリンという思想史家 http://www.groupsure.net/post_item.php?type=books&page=series_konohito04 https://ameblo.jp/yasuryokei/entry-12632228911.html https://www.hou-bun.com/cgi-bin/search/detail.cgi?c=ISBN978-4-589-04108-1 ・ナッジ https://www.keisoshobo.co.jp/book/b510211.html ・ナッジ 後日談 https://www.amazon.co.jp/dp/B08P6LVC2R/ ・法の支配と遵法責務 https://www.keisoshobo.co.jp/book/b517164.html https://www.bbc.co.uk/programmes/articles/2g4vfcNn9rl7QW8581XFDR6/archive-unlocked-two-decades-of-private-passions https://ameblo.jp/yasuryokei/entry-12632228911.html 辻まこと全集 https://www.msz.co.jp/book/writings/50/ 那須耕介さん 追悼その3
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責任という言葉は政治のみならず哲学や社会科学といった諸領域と連動するかのように変容してきた。他者を助ける個人の義務としての責任は、自分で自分の面倒を見る責任と、それを怠った場合の結果を背負う責任へと変容した。このような過酷な懲罰的責任像に反論するのが責任否定論だが、その実、責任...
責任という言葉は政治のみならず哲学や社会科学といった諸領域と連動するかのように変容してきた。他者を助ける個人の義務としての責任は、自分で自分の面倒を見る責任と、それを怠った場合の結果を背負う責任へと変容した。このような過酷な懲罰的責任像に反論するのが責任否定論だが、その実、責任の有無を争点とする点で同じ「責任の枠組み」のなかに囚われている。 本書は、まずこうした責任像の諸次元にわたる展開を明らかにしたうえで、「責任の枠組み」を超えた新たな肯定的責任像を提示する。肯定的責任像は、懲罰的責任像のように自ら選んだ選択の全てに責任を負わせるのでもなく、責任否定論のように無能力であるがゆえに無責任だと述べることで主体性をはぎとるのでもない。個人が責任を持つことの意義を認め、また他者を責任の担い手として認める積極的な意義も見出す。他方で、責任の所在と救済の必要性(結果責任)の問題を切り離し、懲罰的責任像の忍び寄る福祉国家制度に責任像の再考を迫る。 具体的な論証に対しては批判もあるかもしれないが、善意の責任否定論もまた責任の有無を争点にする点で懲罰的責任像と同じ責任の枠組みにとらわれており、十分な威力をもたなかったと喝破している点、サッチャーやレーガンが「自由」を唱える中でも当初は他者に対する責任という視点が存在し、それが政治哲学、道徳哲学、社会科学といった諸領域の論争とともに自己責任(結果責任としての責任)へと少しずつ醸成されていった、とする展開は読んでいてもスリリングで面白かった。
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