〈未来像〉の未来 の商品レビュー
訳者によれば、モビリティ=移動の社会学研究の泰斗であった著者の遺著。 〈未来像〉の(歴史)社会学というか、〈未来〉を語る言説をめぐる政治に関する議論を期待していたので、その点ではやや期待外れ。しかし、現在から出発する〈未来〉像のさまざまなバリエーションと、「気候変動」にもとづ...
訳者によれば、モビリティ=移動の社会学研究の泰斗であった著者の遺著。 〈未来像〉の(歴史)社会学というか、〈未来〉を語る言説をめぐる政治に関する議論を期待していたので、その点ではやや期待外れ。しかし、現在から出発する〈未来〉像のさまざまなバリエーションと、「気候変動」にもとづくディストピアの語りが新たなフェイズを迎えている状況が見えてきた。 本書の著者の問題意識は重要だと思う。現在、〈未来〉のイメージを構想する力は、一部の国家や巨大企業、エンジニアたちの専売特許のようになってしまっていて、かれらは、かれらにとって望ましい〈未来〉を「楽園」のごとくに描き出し、反対する立場の者たちを「ラッダイト」的に悪魔化していく。〈未来〉が本来的に非線形的で予測が困難なものであるからこそ、多くの人々にとって望ましい〈未来〉を編み上げる作業自体を「民主化」していく必要がある――。 著者は、社会科学者が学術的に社会的な未来像の構築に参与すべき、と主張する。では、そこで文学(者)や映画(人)たちが果たす役割とは? 芸術家たちは、「社会的な未来像」というプロジェクトにどんな役割を果たせるのだろうか?
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経済成長優先の政策は、気候の変動を起こすことがわかっていても人々は何ひとつ手を打たない、カサンドラ症候群の状態であるという。 本書では、未来を起こりそうな未来、起こりうる未来、好ましい未来に区別するが、好ましい未来が最も起こりそうもないであるという。 本書は、「いったん魔人がボトルの外に出てしまうと、それが元にもどることはありえず、好ましくない未来へと発展していく経路依存パターンが用意されてしまう」と主張する。
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