現代思想からの動物論 の商品レビュー
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動物産業は効率的な食肉生産のため、抜かりなく栄養・動作・社会性・性行動・繁殖能力を監督しかつ制御しなければならない。生そのもの、生物帯における生の起伏、シエ名の創造性と生産性が、寄生的統制機構の要となる。(p.40) ガルトゥングは「個人的」暴力と「構造的」暴力の区別が、「可視性」の政治学に対応することも指摘した。すなわち、個人的暴力は見えるのに対し、構造的暴力は隠される。 構造的暴力よりも個人的暴力に注目が集まるのはおかしくない。個人的暴力は目に見える。こ人的暴力の被害者は普通、暴力を認知し、ことによると抗議しうる。他方、構造的暴力の被害者はそれを全く認知しないよう仕向けられかねない。個人的暴力は変化と活力の形をとり、並の上の波頭となるばかりか、のどかな水面に波を立てる。構造的暴力は音を立てず、目にも見えないーーそれはもとより静まった、のどかな水面である。静岡な社会では、個人的暴力が人目に止まる一方、構造的暴力は周囲を取り巻く空気ほどに自然なものとみなされうる。(p.44) この強調、というより何としても気絶処理を欲する行き過ぎた固執からは……動物への暴力を目の当たりにした衝撃が窺い知れるだけでなく、麻痺した無関心の状態にいたい、知らない方がよいと知っていることにかんし無知のままでいたい、という願望が垣間見える。そしてこの、わたしたちが知らない方がよいと知っていることとは、失神しない牛が死に逆らい、生と関心と願望を露わにするという事実である。(p.370) 停戦の見込みを語るドゥウォーキンの身長差に留意されたい。停戦は「権力の平等」でもなく。暴力手段の公平な配分でもない。それがもたらすのは、相争う派閥同士が一時的なものであれ民主的平和を築く機会の展望である。(p.372)
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