はぐくむ 生命誌と子どもたち の商品レビュー
近代社会の中で子どもたちがいきものとして、人として豊かに育つため、大人が改めるべき価値観、ふるまいについて述べられている。 -すべてをお金の動きで考えるのではなく、「いのち」を「生きること」を基盤に考える。「"ネコに小判"というけれど、新鮮な魚は僕にも猫にも...
近代社会の中で子どもたちがいきものとして、人として豊かに育つため、大人が改めるべき価値観、ふるまいについて述べられている。 -すべてをお金の動きで考えるのではなく、「いのち」を「生きること」を基盤に考える。「"ネコに小判"というけれど、新鮮な魚は僕にも猫にも美味しい。ネコにも鳥にも通じるものを大事にしよう -すべては複雑であり、その複雑さに向き合うことが「生きる」ことであるのに、今の社会は、簡単にできるのがよいことであり、すぐ答えを出す人が勝ちとされる。ロボットならそれでよいが、これでは「生きている」ことにならない。 -子どものころの未来は短期であり、せいぜい「明日○○ちゃんと遊ぼう」程度。カレンダーも時計も存在しない。それが、親が「この大学に入れたい」「この時間にお稽古に行くよ」と急かすことで、子どもは大切な子ども時代の時間を失うとともに、空間的な意味での広がりも失われ、未来に向かって決められた道が作られてしまう。これは子供の世界の本質的切り捨てである。 すべて仰る通りで共感する。 が、さて自分の子どもで実行しようとなると、ことは簡単ではない。 東京で生きる私たちは、資本主義社会のもと、効率主義で筆者のいう機械論的な価値観にどっぷり浸かって生きている。 私たち親自身が上記価値観の中で生きているから、常に仕事に追われ、時間に追われている。だから、子どもも大人と同じ時間の流れの中で生きるよう急かしてしまう。足元の自然を一緒に楽しむ余裕がない。 では親の事情は置いておいて、子ども第一で行動しようとしたところでも、周りのお友だちはみんな塾やお稽古ごとばかりで、周りの親はいい学校、いい大学、そしていい会社に入れてやりたい、それが子どもの幸せだと思っている。学力だけが全てではないと頭ではわかってはいながらも、やはり学力で落ちこぼれてほしくないと思ってしまう。それは、実際自分もそう思う部分もある。中村先生自身、高いレベルの教育を受けて、東大で機械論的な分子生物学に興味を持ち、分子生物学を極めたからこそ、総合的、個別的、主観的な考え方を含む「生命誌」に辿り着けたのではないかとも思う。たくさんのことを学ぶことで新たな世界を知ることもあるし、自分の選択肢は広がる。そのバランスが難しい。 著者は、そのバランスへの解として、「3-6才くらいが知恵をつけるのに一番大切な時期、知識の詰め込みではなく生きものとして様々な自然に触れてほしい」と、お勉強の早期化が進む現状を懸念し、「自分で勉強できる高校くらいからは学力試験を活用」としている。 小学校入学までは力いっぱい遊び、センスオブワンダーの感覚など生きるための知恵を身につけ、それを人間としての基礎として、徐々にお勉強も頑張って自分のやりたいことを叶えていく、くらいがいいのだろうか。 果たしてそんなにうまくいくかどうかは不明だが、とりあえず、「知識でなくて知恵をつける」は心に刻み、安易に高価な教育教材にお金を注ぎ込まないようにしよう。
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