日本の城の謎 攻防編 の商品レビュー
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1章 熊本城は、加藤清正が朝鮮の役にて目にした築城術を活かし、石垣を積む地形の土圧、水圧、荷重を計算してつくられた。大軍を迎え撃つことのできる名城となった。 一方福岡城を築いた黒田如水、長政親子もまた朝鮮の役で魔なんだが、それは城郭都市だった。時代を見る目があり、戦国時代が終わり、今後徳川幕府に睨まれることなくお家を存続させるため、天守も築かなかった。 2章 犬山城が4度も落城したのは、規模自体が小さかったことに加え、狙われやすい位置過ぎたため。濃尾平野は、中原に鹿を逐うと言われるほどの要衝の地。戦術上、重要であるため、政治や戦略上の本拠とはできなかった。らしい。 街道沿いなどに建てられる城は多いが、犬山は不適切? 秀吉の中国大返しのスピードは、1日に32キロ。三木城攻めに2年を費やし、それを含む5年間で転戦したにも関わらず、主力を損傷することなく、兵力を保ってきた。その間に将兵たちからの信頼も増し、織田家第五位の家臣から一気に天下人へと駆け上がった。 4章 小早川隆景によって築城された三原城、沼田川河口に点在する島を低坊で結んで外郭とし、船入を設けて瀬戸内海の水軍を支配した海に面した城。 元々瀬戸内海の海賊城は、水軍基地としての港であり、籠城の構想は持っていない。毛利元就の吉田郡山城は、陶晴賢との戦いに打って出た城。厳島にある宮尾城が決戦の場となるが、対岸の廿日市に水軍を集結させ、そこに村上水軍も到着。夜陰を利用して暴風雨の中、厳島に上陸した毛利軍は、数で勝る陶軍を破った。 やはり時代背景や、築城のエピソードを知ると、たとえ城址であっても土塁や堀の跡など、その地を訪れて体感してみたいと思う。 行ってみたいお城が増えました!
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