フォルモサに咲く花 の商品レビュー
やっと、あと何日かでドラマが始まる…!一生懸命読んだ本だからそんなに面白くないと思ったけど思い入れがある。そして私もいつのまにか、憧れの地フォルモサにいる。ここに出てきたたくさんの地名や歴史のできごとを思い出しながら車で走っていると胸がいっぱいになる。
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フォルモサに咲く花 著者:沈耀昌 訳者:下村作次郎 発行:2019年9月30日 東方書店 台湾は、乱暴にいうと3つの大きなくくりで人を分けることができる。 ①原住民:主に山に住み、中にはネイティブアメリカンのような羽根飾りをつけたりもする。いろんな部族が住んでいるが、日本では一括りに高砂族と呼ぶが、これは昭和天皇が勝手に言い出した日本独自の言い方。この本では台湾人に含めるが、丸谷才一の名作「裏声で歌へ君が代」ではそう扱わず、あくまで先住民族扱いだ。個人的にはポリネシア系ではないかとも思う。 ②台湾人:日本でいう江戸時代ぐらいに大陸から渡って来た人たち。主に福建省からの福佬人、主に広東省からの客家人、など。この本では民族が書かれていないが、「漢人」とも読み取れる。一方、「裏声で歌へ君が代」では漢民族ではなく越人としている。越というとベトナムをイメージするが、百越といわれるぐらい種類が多く、ベトナム人はその中の一つに過ぎない。 ③外省人:映画「非情城市」でも描かれたが、中華民国政府が逃げ込んで来た際に来た人々 この小説に③は出てこない。話のメインは1867年からの数年の話であり、①と②、そこにアメリカやイギリスの西洋人、そして、当時、台湾を完全統治しようとしていた清国人が絡む。清国は満州民族の国だけど、小説で台湾に来た高官や軍人たちはどうだろう?よく分からない。 台湾の最南端の半島やその周辺での物語だ。すべて史実に基づいた歴史小説で実在の人物が本名で登場する。1867年3月、半島の近くでアメリカ船ローバー号が座礁し、乗組員14名がボートで漂流するも、多くが現地人に殺されたとみられる。アメリカはアモイのイギリス領事館に後処理を依頼する。アメリカとしては、お金を出してでも遺品や遺体を返して欲しいということだ。 二段組みで370ページに及ぶ長い物語が始まる。複雑な部族や民族、その民族の中でも外交的な人種もいれば、拒否する人種もいる。賢いが「悪」ともいわれる人種、どんくさいが人種、さらには混血の人々。言葉も考え方も生活も違うので、そのややこしさもあってこれはとても読めないと思ったが、いざ物語に入るととても情感深く楽しめる。登場人物一人びとりに感情移入でき、どの系統の民族かなどという前提条件がとても頭に入らないと思っていたのに、読んでいるうちにいつのまにか頭に入っていることに驚いた。 大陸から来た台湾人は、原住民を野蛮だと思っている。原住民は大陸から来た奴らを信用していない。しかし、実際には両者に交流があり、信用も信頼も生まれ、それぞれを尊重している様子が窺える。主役の蝶妹(ティアモエ)という少女も、原住民と台湾人の混血であり、かつ、原住民を統べる大股頭の姪だという出生も明かされるし、さらにはフランス系アメリカ人とのセックスや恋心、台湾人との結婚なども描かれている。 ローバー号事件の処理段階で、原住民は、清国人より西洋人の方がまだ信用できる、などという言い方もする。 結局、血が流れることなく、事は収まっていく。 台湾という小さな地域に存在する、典型的な対立構造と、共存を実現するそれぞれの折り合いのつけ方。豊かな多様性のなかでの、アイデンティティーへのこだわりと他社への尊重があってこそ実現できていることをつくづく感じた。 台湾ではテレビドラマ化されているらしいが、ぜひ見てみたい。 素敵な小説だった。
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『東方』誌の、下村作次郎氏の紹介がなければ、400頁もある本を読んでみようという気にはならなかっただろう。最初は複雑な民族の名称や人名が出てきて、少し読むのがつらいときもあったが、それを超えると一気に最後まで読んでしまった。近頃読んだものの中では出色の本であった。 明治初年の年に...
『東方』誌の、下村作次郎氏の紹介がなければ、400頁もある本を読んでみようという気にはならなかっただろう。最初は複雑な民族の名称や人名が出てきて、少し読むのがつらいときもあったが、それを超えると一気に最後まで読んでしまった。近頃読んだものの中では出色の本であった。 明治初年の年に台湾の墾丁でアメリカ船ローバー号が座礁し、上陸した船長以下13名が原住民に首を刈られるという事件が起こった。本来なら、力の上回るアメリカが、一気に原住民を滅ぼしてそれで終わりとなるところだが、逆に最初に攻め入ったアメリカ人たちは、地形の複雑さと頭領の聡明さによって、原住民に振り回され、その副官が殺され引き上げざるをえなくなった。それに対し、厦門領事をしていたルジャンドルが解決に乗り込んだ。かれは南北戦争で片目を失った勇猛な軍人であったが、また政治家でもあり、清朝の軍隊を動かし、先住民たちを攻めようとしたが、一方で、先住民の若き英雄たちによって説得され、だれをも犠牲にせず、両者の間に、遭難に際しての取り決めを結ばさせた。 これはこれだけですばらしことであるが、本書はそれに一部のフィクションを入れることで、物語を生き生きとしたものにした。それは、複雑な民族間同士の結婚を描くことで、民族の融和の糸口にするだけでなく、不幸にして亡くなった両親の子どもたちを主役にすることで、民族融和をより高次に高めた。ここで大きな役割を果たすのが、その姉娘の蝶妹(ティアモエ)と弟の文杰である。蝶妹は親をけがで亡くしたことから医者を目指し、高雄の西洋人病院で医術を学ぶ。その彼女を見初めたのが、妻に不貞を働かれたルジャンドルで、蝶妹は戦争を避けることをお願いするためルジャンドルに近づこうとするし、ルジャンドルの方は、聡明な蝶妹に女を感じ、条約の結ばれる前夜に彼女を無理矢理犯してしまう。そのとき、ルジャンドルは本気であったようだが、蝶妹は好意は持ちつつも、もてあそばれたような気になり、ルジャンドルから離れて行く。そこへ現れたのが、小さいときからいっしょだったソアで、一時は買春をし、博打におぼれたソアを蝶妹は軽蔑するが、だんだんソアに気持ちを許し、やがて二人は結ばれ、子どももできる。 この物語には後日談があって、ルジャンドルは日本の台湾統治をそそのかした人物で、かれ自身日本人の妻を迎え、その子孫もたくさんいるのである。 本書では、原住民の気高さが十分に描かれると同時に、なかなか動かない清朝の官僚、軍隊の腐敗さも描かれている。こういうのは、いつも変わらないのだと思う。
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