人生最後のご馳走 の商品レビュー
ライターの青山ゆみこさんが淀川キリスト教病院の協力のもと、 末期がんの患者さんから話を聞き取り、 支える家族、医師、スタッフの想いも、まとめたものです。 食べることで人は生きて、人生みたいなものが作られる。 どんな時に、どんな状態で、何を食べたのか、誰とどこで食べたのか。 それ...
ライターの青山ゆみこさんが淀川キリスト教病院の協力のもと、 末期がんの患者さんから話を聞き取り、 支える家族、医師、スタッフの想いも、まとめたものです。 食べることで人は生きて、人生みたいなものが作られる。 どんな時に、どんな状態で、何を食べたのか、誰とどこで食べたのか。 それが最後のご馳走と聞かれた時に フッと心に蘇ってくるのかもしれない。 私は、単純に一番目には普段から大好きなものが、頭には浮かび、 その後、子供の頃、母が作ってくれた「おやつ」を思い出しました。
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人生の終わりが間近であることを認識してから、食事を通して過去を振り返り、自分はこんな人生を生きていたんだなぁと穏やかな気持ちになる。 それを支える知見と技能と、なにより深い慈愛を持ったプロフェッショナルなスタッフさんとの時間を持つことは、誰にでもできることではないし、努力して叶う...
人生の終わりが間近であることを認識してから、食事を通して過去を振り返り、自分はこんな人生を生きていたんだなぁと穏やかな気持ちになる。 それを支える知見と技能と、なにより深い慈愛を持ったプロフェッショナルなスタッフさんとの時間を持つことは、誰にでもできることではないし、努力して叶うことでもない。 だから、毎度は無理でも時々、食事をしながら些細な思い出を掘り起こしてみようと思った。 昔、聖書が日本に入ってきた時、神の「愛」を「御大切」という言葉で訳したということを思い出し、納得した。
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単行本の時から読みたいと思っていたが、あれからもう4年。文庫になった。 プロローグの玉井さんの聞き取りから、その聞き取りの会話の優しさみたいなものに、いきなり泣きそうになる。 そのあとは、皆さん「大阪の人」と言っていいのか、死を目前とした人と思えない明るさのインタビューで、こんな...
単行本の時から読みたいと思っていたが、あれからもう4年。文庫になった。 プロローグの玉井さんの聞き取りから、その聞き取りの会話の優しさみたいなものに、いきなり泣きそうになる。 そのあとは、皆さん「大阪の人」と言っていいのか、死を目前とした人と思えない明るさのインタビューで、こんな感じで最後を迎えられたらどんなにいいだろうと感じた。 平均滞在日数が3週間とは、なんと厳しいことだろう。週1回のリクエスト食も、2、3回しか食べられない。それでも心のこもった、自分のためだけに作られた、自分の食べたい食事が取れるなんて、なんてうらやましい。いや、うらやましいなんて簡単に言っては行けないけど、こういう最後を迎えられない方が圧倒的多数な中、終わり良ければ全て良し、とまた簡単に言っては行けないかもしれないけど、やはりそう思う。 これを読んだ人はみんな自分は何をリクエストするだろうと考えるのではないか。 死は、怖くて遠ざけたいものであるけれど、それが避けられないと分かった人が、何を食べようかと考える時、筆者も書かれていたが、前を向いておられる、最期まで前を向いて明るく楽しみに生きられるなんて、やっぱり素晴らしい。病院、スタッフそれぞれ尊いお仕事をされているなぁと感動する。そして、その方たちを取材され、死期を迎える患者さんの食にまつわるヒストリーと共に、こうして1冊の本にまとめられた青山さんも、読者の私たちだけでなく、登場されたみなさん、そのご家族にも喜ばれることになり、いいお仕事されたんだなぁと思う。
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残りの人生が幾ばくも無いとなったら何が食べたくなるでしょう。 この本はホスピスでのリクエスト食についてのお話です。実際にホスピスで取材したものを文章にしたものです。読みやすくて、考えさせられる本でした。 私は…と考えてみたのですが小さいころ日曜の朝に父ちゃんが納豆と卵とネギにお...
残りの人生が幾ばくも無いとなったら何が食べたくなるでしょう。 この本はホスピスでのリクエスト食についてのお話です。実際にホスピスで取材したものを文章にしたものです。読みやすくて、考えさせられる本でした。 私は…と考えてみたのですが小さいころ日曜の朝に父ちゃんが納豆と卵とネギにお醤油垂らしてガーッと混ぜてくれたやつをご飯にぶっかけて食べたの、幸せの味だったとか、学生の頃、朝ごはんにってお母さんが握ってくれた塩の効いた海苔がたっぷり巻いてあるでっかいおにぎりが幸せの味だったなとか、なめこたっぷり入った熱々のおみそ汁が幸せだったな。とか思うんですが、これらは今の私が再現できる味になっているので、今でも再現してよく食べます。(朝ごはんメニューばかりですが) これらは、”思い出して”食べたくなる味なんだろうな。と思います。 私の両親は私が幼いころラーメン屋を営んでいて昼ごはんはラーメン、お誕生日会のシメもラーメンという家でした。大きくなるとラーメン食べ歩きも散々しました。だからラーメンが食べたくなるかもしれません。父ちゃんがスープを作ってお母さんが茹でた麺のラーメンの味を覚えていないのが残念でなりません。余命いくばくもない時に「ラーメン食べたい」ってなった時にどんな味のラーメンを求めるのか…。”記憶はないけど”食べたい味です。 余命いくばくもなくなってこのホスピスに入れたら多分上記の料理を私はリクエスト食にするでしょう。明日世界が滅亡するならば、酒飲んだ上にシメで上記のどれかを食べてぐっすり寝るんじゃないかとも思います。 メニューとはちょっと違いますが食卓っていう意味で思い出すのは、料理が並んだ食卓に、一人一枚料理をとる皿と酒を飲むコップ一つと一人一枚の灰皿だった頃の父ちゃん、お母さん、姉、私全員が飲んだくれ&ヘビースモーカーだった頃の食卓が強烈に記憶に残っています。不健康極まりないですが。
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