アルメニア巡礼 の商品レビュー
『アルメニア巡礼 12の賑やかな迷宮』はソ連崩壊後取り残された旧共産圏の姿を知る上でこの上ない作品なのではないかと私は思います。日本ではありえないインフラ事情がどんどん出てきます。あまりに異世界過ぎてかなりショックを受けました。先程はホテルの話を引用しましたが、他にも驚きの内容が...
『アルメニア巡礼 12の賑やかな迷宮』はソ連崩壊後取り残された旧共産圏の姿を知る上でこの上ない作品なのではないかと私は思います。日本ではありえないインフラ事情がどんどん出てきます。あまりに異世界過ぎてかなりショックを受けました。先程はホテルの話を引用しましたが、他にも驚きの内容がどんどん出てきます。 もちろん、アルメニアの教会建築を知る上でもこの本はすばらしい参考書です。私はこの地域のキリスト教文化に関心がありましたのでそういう面でもこの本はとてもありがたい作品でした。
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建築系の研究者が20年ほどの間にアルメニアの教会や修道院の遺跡を回って写真を撮るエッセイのようなものなのだが、著者はあくまで建物の構造と歴史にしか興味がなく、キリスト教やアルメニア正教についてははっきりとどうでもよさそうな感じがいっそ清々しく思える。 当時の修道士はどうやら世界の終わりを本気で信じ、それを待ってこんな山奥に籠っていたのだとか、グノーシス主義も修道士が狂って生み出した思想ではないかとか適当こきまくっていて、キリスト教やグノーシス主義のことほんとに知らないし興味もないんだろうな、それなのにこんな研究してるんだなあと驚いてしまった。撮る建物もほぼ人気のない山奥の崩れかけた遺跡ばかりで一章に写真一枚しかないし、正直タイトル詐欺だと思う。巡礼の気持ちなんて著者はひとかけらもないでしょ(笑) 最終章にかわいいおばあさんの写真が載っていてあらと思ったら、「こんな醜悪ともいえる老女」とか書いてたり(別に嫌な思いしたわけでもないのに)、遺跡で死んでいる犬の死骸に「よりによって犬畜生が」とか毒づいたり時々びっくりするような言葉が飛び出すのも嫌だった。もしかしたら冗談のつもりなのかもしれないけど、ちょっと笑えない…。
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世界の中心に寄り添いながら、そこは行き止まりの辺境の地。コーカサスの連峰がふたをし、この世の果てになった。 中心は、ローマ、ギリシャへと西へ向かい、アナトリアの東は置き去りにされていく。ローマとペルシア、イスラムの狭間で、いいように翻弄されながら、だからこそ、どちらにも組みしな...
世界の中心に寄り添いながら、そこは行き止まりの辺境の地。コーカサスの連峰がふたをし、この世の果てになった。 中心は、ローマ、ギリシャへと西へ向かい、アナトリアの東は置き去りにされていく。ローマとペルシア、イスラムの狭間で、いいように翻弄されながら、だからこそ、どちらにも組みしない信仰の在り方に舵は切られていく。アルメニア正教会という全体から括り出されたキリスト教の成れの果てがいまに続いている。 イスラムのセルジューク、オスマンに果てのキリスト教国は飲み込まれ、いいように弄ばれる。国の形を切り取られ、切り離され、分断される。ディアスポラがアルメニアの姿になっていく。オスマンによる東西分割、20世紀の西欧と中東の争いの最中に、取り残されたキリスト教国の人々は圧倒的な虐殺を受けた。ずたずたにされた国はもう、ソ連に落ちていき共産化することでしか生き続けることができなくなっていた。 共産主義という悪夢が崩れ落ちたことで、また放り出されたアルメニア。東アナトリアで、トルコ、イラン、ロシアに囲まれ、各地に撒き散らされた民族が、いまも国という縁に導かれ、アルメニアを求めている。世界の果てでありながら、あたかも世界の縮図のように、いまを表す中心を描く。ナゴルノ・カラバフに、アゼルバイジャンに起こる紛争は、背後にある大きな国家群の思惑を下敷きにした代理戦争でありながら、でも、その根幹には、コーカサスの混迷という原初から変わることなく存在し続けてきた歴史が立ちはだかっている。 崩れ落ちそうな、置き去りにされたような、アルメニアキリストの建築たちが、この果ての地に撒き散らされながら、ひっそりと息づいている。その姿が、アルメニアといういまをそのままに表している。翻弄される痛みに朽ち落ちそうになりながら、それでも、まだそれらは消えていくことがない。
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