中国戦線従軍記 の商品レビュー
『昭和史』の著者の一人としても著名な歴史家の藤原氏。氏は陸軍士官学校を卒業後、1941年8月中国戦線に赴任し、およそ4年間従軍した。その戦争体験をまとめたのが本書である。 1941年10月に少尉に任官し(当時19歳)小隊長として、1943年3月には中尉に進級し、中隊長として部...
『昭和史』の著者の一人としても著名な歴史家の藤原氏。氏は陸軍士官学校を卒業後、1941年8月中国戦線に赴任し、およそ4年間従軍した。その戦争体験をまとめたのが本書である。 1941年10月に少尉に任官し(当時19歳)小隊長として、1943年3月には中尉に進級し、中隊長として部隊の指揮を取り、さらに 1944年12月には大尉に進級する。ここまで早い昇進は、戦況の悪化に伴う幹部不足が影響していたのだろうか。 従軍記のメインとなる戦闘場面や行軍等の箇所は、良くこれだけ詳しい内容を書けたものと、ただただ感心してしまう。中国戦線のことはあまり良く知らなかったので、全体からすれば一部のことなのだろうが、華北における八路軍との戦闘や大陸打通作戦について知見を得ることができた。 中国の前線で、戦争の被害を受ける中国民衆の姿を実際に目にして、日本が掲げる戦争目的や戦争の大義に懐疑的になっていったこと、装備品や食糧の補給を軽視し、あるいは部隊の実際を見ずに作戦計画を立て指示する軍上層部への怒りなどが率直に語られる。こうした経験が、著者に歴史家、それも現代史・軍事史研究者への道を選ばせることになったのだろう。
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藤原彰さんといえば、ぼくには『餓死した英霊たち』がとても印象に残っている。戦争というと、戦闘で亡くなると思うかもしれないが、日本軍の場合は戦病死が多かった。病気もそうだが、病気になる原因、栄養失調からの死である。それは、日本軍が軍の補給、兵站を軽視したことによる。要するに現地調達...
藤原彰さんといえば、ぼくには『餓死した英霊たち』がとても印象に残っている。戦争というと、戦闘で亡くなると思うかもしれないが、日本軍の場合は戦病死が多かった。病気もそうだが、病気になる原因、栄養失調からの死である。それは、日本軍が軍の補給、兵站を軽視したことによる。要するに現地調達で、それはたいていの場合、挑発と呼ばれる略奪であった。それができないところは、餓死するしかなかったのである。本書はのちに氏に『餓死した英霊たち』を書かせた原体験そのものである。 藤原さんは旧制中学を出たあと、陸軍士官学校へ入った。士官学校を出ると若くして小隊長や中隊長になる。しかし、藤原さんはそのときまだ20歳に達していなかった。本書ではその藤原さんが、戦闘に向かうときの、怖いけれどそれを顔に出してはいけないという正直な心情を吐露している。本来文学青年であった藤原さんは、他の将校のようにガチガチの軍人ではなく、人の心を思いやれる人だ。また、精神主義に陥らず、無理な行進を避け兵を温存したりしている。隊長によって部隊の生存が大きく左右されるのである。藤原さんは、中国で行軍する中で、中国の人々のひさんな生活を目にし、日本のやっていることはなんなのかと疑いを持つようになる。また、兵の疲弊の原因の一つが重い荷物をもっての行軍にあることをひしひしと感じる。藤原さんの隊は、戦闘においても比較的幸運に恵まれ、無駄な戦死を重ねてはいかなかった。それでも、最初150人いた兵は最後は半分になっていた。仲のよかった将校たちもかなりの数が死んでいる。 藤原さんは戦後、大学へ入るが、正式に大学の教員、一橋の教員になったのは戦後20年もたってからである。業績はやまほどあったが、おそらく現代史がまだ学問として認められていなかったことと、歴史学研究会の仕事をしていたことが敬遠されたのではないだろうか。忘れていたが、藤原さんはあの論争を呼んだ『昭和史』の著者の一人でもあった。解説は、藤原さんのよき後継者である吉田裕さんが書いている。吉田さんの書いたものも読みやすくぼくは好きだ。
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