アール・ブリュット の商品レビュー
芸術療法と近似しているものと勘違いしていた、実際は発生場所という点では対極にある。精神的にストレスを抱えているなかで意図せず発露する芸術、名前やジャンルをもたないものが生の芸術なのだろう。
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「本書で、私が読者に示そうとするのは、アール・ブリュットの隠された世界に光を当てること、何がアール・ブリュットで、何がそうではないかについて、シンプルでわかりやすい境界設定をすることである」。と著者が書いた通りの良質な本。アール・ブリュットに関して知りたいとき、初めて読むべき本...
「本書で、私が読者に示そうとするのは、アール・ブリュットの隠された世界に光を当てること、何がアール・ブリュットで、何がそうではないかについて、シンプルでわかりやすい境界設定をすることである」。と著者が書いた通りの良質な本。アール・ブリュットに関して知りたいとき、初めて読むべき本であると思う。 著者はアール・ブリュットの概念が生まれ、どのようにして定義され、発展し、こんにちに至っているかを、デュビュッフェの著作や思想を適宜引用し批判も加えながら紹介している。 とくに分かりやすいのが「何がアール・ブリュットで、何がそうではないかについて」、丹念に説明している点。例えば、計画性がない、社会的また精神的に孤立している、身近な材料だけ用いる、発展性がなく繰り返しが多用されるなどといった特徴によってアール・ブリュットという概念についての輪郭が形作られるとともに、素朴派の芸術・芸術療法などはアール・ブリュットとどのように違うのかを端的に書いている。著者によると、素朴派の代表格であるアンリ・ルソーはサロンに出品し大家になることを目的としていたので、アール・ブリュットではない。また、著者は名前を挙げていないものの、芸術療法がもとで有名になった日本の画家山下清は、アール・ブリュットに当てはまらないだろう。確かにアール・ブリュット的な匂いはあるとはいえ、それは厳密には違うのだという。 では著者のいう「アール・ブリュットの隠された世界」とは一体なんなのか。著者はラカン派の精神分析家なのでラカンの理論によって適格に説明されている。もちろん、訳者のあとがきを読んだりすれば問題なく理解できるレベルの理論しか使われていない。ラカンを知らなくても読める。単純にいえば、アール・ブリュットのというのは、作家たちが精神を崩壊させてしまわないように、狂気や作品の創作に向かう行為のことである。作品を作っている限り、作家は精神が完全にぶっ壊れてしまうことがない。作品を作っている限りでは我々のような狂気におかされていない人間と作品を介して接点を持つことができる。作品を見たり、作品とものを交換したり、作品があるから廃人にならずに済んでいたり。言い換えれば、作品を創作することで社会生活を営むことができるのである。 アールブリュットの作品には、作家の精神がむき出しでほとばしっていると言える。だからこそ精神に問題を抱えていない私たちにとっては、きわまてギョッと驚くも出会ったり、想像を超えていたり、おぞましさすら感じられるのではないだろうか。デュビュッフェはそういうところを本当の芸術なのだと言っていて、私はこの本を読んでその意味合いがようやくわかりかけてきた気がする。
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