内田裕也、スクリーン上のロックンロール の商品レビュー
A吉「内田裕也って、どうよ?」 B作「どうよって、どういうこと?」 A吉「つまり、自分でウリにしてた『ロックンローラー』として、どうかってこと。」 B作「カタカナの『ロックンローラー』だと思うよ。“Rock’n’Roller”ではなくて。」 A吉「それって、いわば本物じゃないって...
A吉「内田裕也って、どうよ?」 B作「どうよって、どういうこと?」 A吉「つまり、自分でウリにしてた『ロックンローラー』として、どうかってこと。」 B作「カタカナの『ロックンローラー』だと思うよ。“Rock’n’Roller”ではなくて。」 A吉「それって、いわば本物じゃないって意味?」 B作「いや、JohnやMickやChuckと同列にはさすがにできないでしょ、という意味で。俺が大学生時代に読んだ狩撫麻礼作/たなか亜希夫画の漫画『ボーダー』が大好きだったんだけど、そこで主人公がフリーター青年に向かって『ふだん真面目でストイックなやつがステージで暴発する姿が好きなんだ』『もっと真剣にブルーハーツを聞いてみろ』という場面があった。本物のロックって突き詰めたらそうなんじゃないのと思ってる。」 A吉「おれもそうだった。でも東京都知事選の内田裕也の選挙ポスター、あれってごく一部の場所でしか張られてなくて、俺わざわざ新橋駅前広場の掲示板まで見に行ったんだけど、ポスターには他の候補者みたいな自分の名前なんか書いてなくて、ただ一言“LOVE & PEACE TOKYO”って書いてあった。シビれたよそれ見たとき。これってロックって思わない?」 B作「うーん、じゃあ、ロックンロールにも両方の意味があって、『いいかげん』ていうネガティブな意味と『トンガっていれば何でもアリ』というポジティブな意味とどっちにも使われるってこと?じゃあ内田裕也はどっちなんだろね?」 A吉「この本を読んだら一層はっきりしてきた。両方当てはまるってこと。」 B作「そうかもしれない。感情をむき出しにして相手に食って掛かるかのようなイメージはロックンローラーのネガティブ面。内田裕也のパブリックイメージの多くはそうだと思うけど。その一方でこの本では、映画に対して自分の感性にマジメで妥協を許せず思い込んだらひたすら突き進み、そしてエンターテイナーとして一番必要なサービス精神旺盛な面などが内田自身の言葉として次々に現れる。これはポジティブの面。JohnもMickもChuckも、両面の“境界線”(=ボーダー)を渡ってきてロックンローラーの名声を勝ち得たんでしょ?」 A吉「でもその“境界線”を、足を踏み外さずに走り続けるのは難しいけどね。」 B作「言えてる。でも俺は内田裕也がロックンロールを口にする一方で、家族にバイオレンスをふるったりした事実があるだけで『勘違い野郎』と思ってた。」 A吉「俺もそう。井上ひさしなんか反戦とか言ってるけど、DVやってたってのは周知の事実だから、俺はあいつの作品は一切読まない。」 B作「おれも暴力を、特に井上のように、表面で良い人っぽく装っていてウラでは自分より弱い人間にさんざん暴力をふるってたなんて吐き気がする。しかし…」 A吉「この本よかったでしょ?内田裕也の熱く鋭く、そしてナイーブで傷つきやすい『映画バカ』の面が読めて。」 B作「バカヤロウ。おまえもこの本を構成したキネマ旬報の平嶋洋一さんのマジックに引っかかってんじゃないの?」 A吉「平嶋さんも内田裕也の清濁合わせた何とも言えない熱量に“引っかかって”この本の上梓までたどり着いたんだから、やっぱり内田裕也の引力は半端じゃないんだよ。」 B作「俺も、平嶋さんが内田裕也にインタビューする初日、『常に狂気を孕んでいて、それがいつ爆発するか分からないアブナサ…この本ではそれを内田さん自身のことばで、甦らせたいと思っています』とド緊張して説明する平嶋さんに、内田裕也が一言『オッケー。俺は5分も喋ればもう、相手のセンスは分かるから。物が分かってる聴き手がいれば安心だよ』と言う箇所(P42)からはグッと引き込まれて読んだ。それはわかる。」 A吉「でしょ?最近って(特に芸能人に対し)極端に品行方正を求めすぎだと思うから、確かに違法ドラッグとかDVは同情しないけど、そういう“境界線”の上を走るヤツへは、世間の評価にとらわれず、自分として正当に評価したいと思う。」
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