富士日記 新版(上) の商品レビュー
「富士日記を完読する人と読まない人がいる」とどこかで聞いた。百合子さんは読まない人なんじゃないかと勝手に思っている
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私は本当にこの人の日記が好き。書かれているのはつまらない事のようなのに、なぜ読んでいてこんなに心が落ち着くのか不思議。この人の性格は特別落ち着いているというわけでもなさそうなのに、こっちは落ち着く。朴訥として勝気そうなのに、「娘が生まれたとき「花」と武田は名づけてくれて」という文...
私は本当にこの人の日記が好き。書かれているのはつまらない事のようなのに、なぜ読んでいてこんなに心が落ち着くのか不思議。この人の性格は特別落ち着いているというわけでもなさそうなのに、こっちは落ち着く。朴訥として勝気そうなのに、「娘が生まれたとき「花」と武田は名づけてくれて」という文章の向こうに、家族への静かな慈しみがある(前書きなのに私はここで号泣してしまった)。不思議。 そのへんを散歩して、なんでもないような草に気づいたり、すれ違ったおじさんのくしゃみが聞こえたり、おかしな名前のアパートを見つけたりするだけで、気持ちが落ち着くのと似ている。
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平凡な日常の中にこそ人生の楽しみは隠れていることを教えてくれる。 武田泰淳、百合子夫妻は富士山麓に別荘を買い求める。そこでの暮らし、極めて平凡な、食事や季節の変化を記録しただけの日記。なのになぜこんなに面白いのだろう。 まだ高速道路の開通する前の時代。甲州街道経由か国道246...
平凡な日常の中にこそ人生の楽しみは隠れていることを教えてくれる。 武田泰淳、百合子夫妻は富士山麓に別荘を買い求める。そこでの暮らし、極めて平凡な、食事や季節の変化を記録しただけの日記。なのになぜこんなに面白いのだろう。 まだ高速道路の開通する前の時代。甲州街道経由か国道246号経由か。当然トラックが多いし、事故も多い。渋滞は少ないが。 ちょっとした買い物と地元の富士吉田の人々との会話の羅列。構成がなくとも、淡々と続く日々。武田百合子の視点の斬新が本書の魅力の多くの部なのだろう。 何か楽しいことがないか、刺激がないかと求める向きには、本書の視点は極めて有用であろう。 別荘というだけで非日常的な要素があることも否めないが。 全然ドラマチックでない淡々とした日々平安な生き方、これが大多数の人の人生のほとんどの部分なのだろう。毎日を何事もなく過ごすだけでも、立派な生き方なのだと思う。 上巻は昭和39年の7月から昭和41年の9月まで。
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読後に、日記をきちんとつけるのも悪くないかもと思わせてくれる1冊です。もちろん、文才のある人の言葉選びだからよいと思えるわけですが・・ 当たり前ですが、いい肉屋を見つけたときの喜びなど人気作家も普通の日常の中で生きていることが食事の献立や買い物リストなどからも覗えて味わい深い。
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年末年始、富士が見えるところに行くのだからと、『富士日記』に手を出してみました。 勝手にお洒落なおばさまのお洒落な日記だと思っていたら、なんとも豪快な女性の元気な日記で楽しく読みました。 自衛隊に向かって「バカ」と言い、ご主人の武田泰淳にたしなめられ、口の悪い若者たちに言...
年末年始、富士が見えるところに行くのだからと、『富士日記』に手を出してみました。 勝手にお洒落なおばさまのお洒落な日記だと思っていたら、なんとも豪快な女性の元気な日記で楽しく読みました。 自衛隊に向かって「バカ」と言い、ご主人の武田泰淳にたしなめられ、口の悪い若者たちに言い返して、娘に「あんなことやめてね」と言われ、テヘペロしてる感じの百合子さんがかわいいです。 私は乗物酔いしやすいこともあり、車の運転にまったく興味がないんですが、車がないと暮らしていけない富士の山荘で、買い出しに出たり、原稿を出しに行ったり、湖に泳ぎに行ったり、フットワーク軽く運転している百合子さんを見ると、運転できるというのも悪くないのかもという気がします。 (武田泰淳が運転を妻に完全にまかせているのもまた。「桜を見に行こう」とか「明日東京に帰る」とかさらっと決めて運転は百合子さんという。) 昭和三十九年八月十七日の日記に「今朝、佐田啓二が蓼科の別荘からの帰り、韮崎で交通事故死。」とあったので、母に聞いてみたら、地元の人は「当時、事故現場まで見に行った」と言っていたとか。「佐田啓二ひとりが亡くなったのよね」とよく覚えている。 日記なので急がずタラタラと読んでいこうと思います。 以下、引用。 主人、鱒の木彫も買おうとする。大反対して買わなくした。それは紅鱒と大きさ形も全部そっくりで、ただ、木で出来ているというだけなので何となく馬鹿らしいのだ。紅鱒を買った方がいいのだ。 今日二リットル買った不凍液は、特別上等で「網走刑務所と自衛隊が使っている絶対凍らない高級品だ」とスタンドのおじさんの話。 門の石垣に佇って、高原一帯と下の部落をみわたす。ラッパを吹きたいほどの素晴らしい雪景色だ。 一月一日 快晴 八時半起きる。 南アルプス全部見える。はっきり見える。富士山も全部見える。いいお天気だ。 うぐいすは啼き方が上手になってしまった。 暮れ方のサクラは一番きれいだ。何度も視てやる。これはみんな私のものである。 「いいや。おらがわるかっただ。外川さんにいわれただ。『お前ら、何のために婦人会で花や茶なんど習っているだ。華道や茶道ちゅうもんは、そういうことをしねえ人間になるためにやるだぞ』そう外川さんにいわれただ」と言う。 ゴルフ場の横を通ると、雨が降っているのに、キャディを連れてゴルフをやっている人がある。キチガイみたい。 待っている間I夫人と話をしていなければならず、私は丁寧な言葉をつかったり、心にもないことを言ったりして、ガス中毒したように疲れた。 帰る車の中で花子は「フロントの人は眼が大きいといったのではなくて『眼玉(めんたま)の大きい人』と本当はいったらしいよ。Iさんが私にそういった」と言う。不愉快。 雨が降るたびに、どっと年をとるように秋へとなってゆく。 東大生はボートに乗るときも眼がねをかけ、泳ぐときも眼がねをかけている。ボートには、アンネ、さゆりというような、いやったらしい名前がついている。
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何度も読みかえしています。 的確な表現 描写 時に乱暴(?)とも思える言葉。 憧れの女性。 この日記を読むと何故か元気に強くなった 心持ちがします。
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日曜の朝10時、FMで小川洋子さんの「メロディアスライブラリー」を聴いている。それで知った本。小川洋子さんは随分気に入っているらしく、他の本を紹介する回でも「富士日記」に言及することがあり。 興味は持ったんだけど、でも、作家の奥さんとは言え、素人の日記だよなと、手を出さずにいた...
日曜の朝10時、FMで小川洋子さんの「メロディアスライブラリー」を聴いている。それで知った本。小川洋子さんは随分気に入っているらしく、他の本を紹介する回でも「富士日記」に言及することがあり。 興味は持ったんだけど、でも、作家の奥さんとは言え、素人の日記だよなと、手を出さずにいたのだが。先日、新版が本屋に平積みされたので、購入。 読み始めて、う~ん、やっぱり只の日記かな、と思ったけど、ジワジワ百合子さんという人が見えてくる。 赤い実を口に入れようとして、泰淳さんに怒られる。 「ふらふら散歩に出かけて、やたら道ばたものを口に入れるんじゃないぞ。前に死にそうになったのに懲りないのか。」(前にあったのね。) 暗いガタガタのトンネルの中で車のホイールキャップが外れる。ふらふらトンネルの中に探しに行く泰淳さん。轢かれてしまうと怯える百合子さん 停車中の処にトラックに追突される。百合子さんは相手と交渉してるのに、泰淳さんは相手の助手席に乗り込んでビール飲んでたりする。 自衛隊が対向車線の中央分離帯を越えてくるので、「バカヤロー」と怒ると、泰淳さんに怒られる。その後、頭に血が上って無茶苦茶荒い運転をする百合子さん。 変な夫婦だなあ。 巻末に泰淳さんは日記には富士が美しいと書いてないと、記している。 それでも富士山麓の自然の雰囲気と過酷さが伝わってくる内容だと思う。最初は、冬は東京に帰っていた筈なのに、何で厳冬の年末年始を過ごすんだろう。そういう説明は全然ない。日記だから。 「暮れ方のサクラは一番きれいだ。何度でも観てやる。これはみんな私のものである。」 人に読ませる気があったら書けない文章だな。 勿論、続きも読むつもり。
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夫・武田泰淳と過ごした富士山麓での十三年間を克明に描いた日記文学の白眉。昭和三十九年七月から四十一年九月分を収録。〈巻末エッセイ〉大岡昇平
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