プレミアム美術館 クリムト 愛蔵版 の商品レビュー
『クリムト』プレミアム美術館 朝日新聞出版社 日本の出版技術の高さは、「プレミアム美術館」のシリーズを見ても感心する。色彩が豊かである。 クリムトの使った色彩は、玉手箱から色を取り出したような、そして万華鏡のような色彩がある。本書はそれを実現している。『美しさ』を表現する芸術の中...
『クリムト』プレミアム美術館 朝日新聞出版社 日本の出版技術の高さは、「プレミアム美術館」のシリーズを見ても感心する。色彩が豊かである。 クリムトの使った色彩は、玉手箱から色を取り出したような、そして万華鏡のような色彩がある。本書はそれを実現している。『美しさ』を表現する芸術の中で、やはりクリムトは独特の位置にある。 中国から戻ってきて、美しさとは何かをよく考え、美術館に足を運んだ。 クリムトは、芸術運動ユーゲントシュティール(ウィーンの世紀末芸術様式)の代表者である。「生活の中に芸術を」をモットーにしていた。 クリムトは、1862年貧しい彫金師の息子として生まれた。職人の子供である。ゴッホが1853年生まれなので、5歳若い。印象派やゴッホと同じ時代に、オーストリア、ウィーンで活躍した画家である。 ウィーンの工芸美術学校を卒業して、ウィーン美術史美術館の壁画を描いて評価される。 クリムトは保守的な美術家協会を脱退し、セセッシオン(分離派)の代表となり、新しい芸術家グループを結成した。オーストリア・モダニズムの始まりだった。35歳の時に、18歳のアルマに恋をし、生活するが、5年後には逃げられ、アルマは作曲家マーラーの妻となる。そのアルマがモデルなのが「ファム・ファタール」(運命の女)となる。 その当時のウィーンは、『都市と文明』のピーターホール に言わせれば、バロック様式の都市で、官能的な欲望の満足によって生じる快楽主義的ライフスタイルを享受していた。ハイドン、モーツアルト、ベートーヴェン、シューベルトそして交響曲の形式の確立。人々はワルツを踊り、街中にはカフェ、サロンが溢れ、そして音楽の溢れる都だった。そんな中に、クリムトが登場するのだ。まさにウィーンの黄金時代を謳歌する。 2019年5月に『クリムト展 ウィーンと日本』に行って観たクリムトは、美しさとは何かを追求していると思った。「官能美」が、描かれた女性の中に見ることができる。そして、その色使い。ゴッホの毒々しい黄色ではなく、豪華絢爛な金色に包まれた女性が、官能的な微笑みを投げかける。それは、恍惚というか、性の歓喜のような怪しげな力を持っている。美しさを、かくも淫らに表現している。 ルノアールの描く裸婦たちは、肉付きがよく、ふくよかで、丸っこい豊満さがあり、そのうえ健康的な微笑みがある。乳房も重量感がある。肌の色の中にブルーが忍ばせているのが冷ややかさを感じる。ギュスターブモロー(1826年生まれ)の描く女性は、神話性の雰囲気をまとわっている。妖艶に踊る美女サロメが指さす先には、血がしたたる洗礼者ヨハネの生首が印象的だった。少年の頃に見た時のギュスターブモローの女は、私の女性の憧憬にもなった。藤田嗣治の描く女は、肌に白粉が塗られている。無機質な女の絵でもある。しかし、クリムト展でみた女は、性の歓喜をぶつける。クリムトの描く女性たちは、驚くほど官能的で美しい。「ユディトI」は、白昼に見てはいけない微笑みであり、秘めやかに見たい微笑みだった。濡れた唇の表情がいい。 クリムトの老婆の絵は、老いというものを受け止めて、堂々とし、嘆きさえ見える。赤ん坊から老女まで描き抜いた。生涯独身を通し、アトリエは、裸の女性でハーレムのようだったという。生まれた子供の14人を全て認知して、結婚しなくて子供だけは作った。彼の弟子として、自虐的ロリコンのエゴンシーレがいる。その頃の美術学校には、ヒットラーが受験して不合格になっている。時代は奇妙な巡り合わせを作る。性の活力は、生への願望と希望でもある。もし、生まれ変わるなら、クリムトになって官能的女を描いてみたい。
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