学問からの手紙 の商品レビュー
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どんな学術分野でもいい、ある特定の専門的な研究を進めば進めるほど、それが学問であるなら、哲学的な問いと交渉することになるこういう問いに、答えなどなく自分の素ででつかむしかないような、あるいは前政審をもって悟しかないような問いに向き合って決してそれを話さない。それが大学でやる研究者...
どんな学術分野でもいい、ある特定の専門的な研究を進めば進めるほど、それが学問であるなら、哲学的な問いと交渉することになるこういう問いに、答えなどなく自分の素ででつかむしかないような、あるいは前政審をもって悟しかないような問いに向き合って決してそれを話さない。それが大学でやる研究者の生きざま 大学な学ぶところではなく、考えるところ。
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この本を読み、私が何を求めているのかが分かり始めた。 「頭でっかち」だと思われたくない。 言葉遊びのようにこねくり回してばかりで、実際には、実践には、役立ってないじゃないかと指摘されたくない。 「それ何の役に立つの?」「仕事に結びつくの?」と突っ込まれると辛い。 だけど、考え...
この本を読み、私が何を求めているのかが分かり始めた。 「頭でっかち」だと思われたくない。 言葉遊びのようにこねくり回してばかりで、実際には、実践には、役立ってないじゃないかと指摘されたくない。 「それ何の役に立つの?」「仕事に結びつくの?」と突っ込まれると辛い。 だけど、考えずにはいられない。 定義したくてうずうずする。結局は定義できないんだけど、それを議論したくてたまらなくなる。 「幸せ」って何?「愛する」ってどんな感情でどんな行動が伴うの?「生きている」ってどういうこと? 何のために「食べ」て、どんなことが「美しい」の? 「正しい」とは?「赦す」とは? 人が生きている限り逃れられない「真理」。 そのことについて私たちは考え続けている。 それを知りたくて、人類はあらゆる研究をする。 ある人は物理学を、ある人は社会学を、ある人は心理学を。 なぜ私たちが存在して、消滅するのか。それが知りたくて。 本来は分野なんてなくて、真理を解き明かすために細分化していった結果が現代の縦割り分野なのだと。 だから、専門を考えれば考えるほど、専門なんてものは無くなってしまうという真実があるのだと。 私はどの分野も選考していないし、 この本の一つのテーマである「大学の在り方」なんてものに興味もないけれど、 私の知的欲求はある特定の分野のノウハウなどではなくて、きっと「何のために知りたいのか」と問うことこそにあるのだと分かった気がする。 現代社会をよりよくするための課題解決に(ビジネスとして)取り組むことにさほど関心はない。これは企業人としては素質がないのかも。 一方で、すぐに役立つか不明だけど、常識を根本から疑い根源的なことを考え尽くさねばやまじ、というところなある。大学で学ぶには合っているのかも知れない。 ここまで考え、本書の後半で書かれてあることに目を止めた。 「学問は、大学でないとだめでもなきゃ、本を読まないとだめ、教えて貰わないとだめというわけでもありません。生き死にに対する構えの問題なのです。どこかの本で読んだ話が、僕の心の中にずっと残っています。農夫にプラトンの本を渡して読ませたら、こう言ったそうです『こんなの、俺がいつも考えている事だ』と。」 ----------------------- 心に残ったフレーズを。 「なぜ大学で学ぶのか?」という問いに対して著者が真剣に考えた結果導き出した答え。 「内省する思考の公開こそが、真に誠実であると思ったのです。」「学者として学問にその生を捧げる一人の人間。その精神に触れる。そういう講義以外に大学で行う講義がありましょうか。」 「大学でのあらゆる学びは、問いに学ぶことであり、それは普遍を通じて、自分が囚われている思考の殻に気づくことで本当の自分を知ろうと自分自身を振り返ることに尽きる、と言い切りたい。たかだか数十年、自分の人生を生きなくてどうしますか。幸せとは自分を生きるということに尽きるのです。」 「自分を知るとは自分を無くすということに尽きます。」(自身が大きな運命に翻弄されているという感覚に落ちた時、「あぁ…」と感嘆の声が漏れる。個である自分が全体・世界と一致していると信じられる) 「学ぶことは自分を知ること。自分を知ることは自分を無くすこと。自分を無くすとは「あぁ」の領域で生きること。そしてそれこそが、「何かに突き動かされている」の「何か」なのです。それは自分を超えたところにある「存在」というものへの畏怖、驚異。それが現れる認識こそがまさに生き死にを味わい深くする根本です。」 紀智則(古今和歌集の撰者の一人) 「きみならで誰にか見せん梅の花 色をも香をも知る人ぞ知る」(君でなくて、いったい誰に見せるというのか。この梅の花の色も香りも、理解できるのは君だけなのだから) →美しい!この感覚、美意識を共有できる人とこの世で出会えることの奇跡を思う。 著者の学際センターでの活動の一つに分野を超えたシナジーを生み出す取り組みがある。 集まったメンバーが各々付箋に研究テーマや提供できる資源を書き(所属や肩書きは一切書かない)、繋がりたいと思ったら付箋にリクエストを記入しておく。後ほど事務局がマッチングしてそれぞれに連絡先を送るというもの。純粋に自身の興味関心で繋がれるという醍醐味。
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※このレビューにはネタバレを含みます
京都大学准教授の特別講義。 クイズが旺盛なことに、疑問を持っていたのだけど、なぜ自分がそのような疑問を持ったか・この本を読んで腑に落ちた。 ※クイズそのものは好きだし、楽しいし、悪くない。ただ、クイズ(だけ)が物差しになるのは違うかなあと。 学問を想い、問いに学ぶ。 自分を知り、自分という存在を知る。 この本から見つけた私への問い ・専門知識とは何か。 ・新しいことが、価値あることではない。 ・「大事なのはまだ誰も見ていないものを見ることではなく、誰もが見ていることについて誰も考えたことのないことを考えること」シュレディンガー ・全ての学問は歴史である ・我々は最初から最後まで「言葉」である ・科学的知見は、世界を見る1つの見方に過ぎない。 ・「あぁ」 ・勉強は答えのある問いを解く。学問は答えのない問いを生む。 ・学問とは何か。 ・人はなぜ分類したがるのか。 ←司書は分類してなんぼなのだ。分類したその先で情報をつなげていく。あるいは、広げていく。 ・研究の世界では、基礎と応用の線引きはあいまい。 ・思考のフレームを作っていないか。正しいと思った瞬間、他を間違っていると思うようになる。 ・研究者は繰り返し同じ本を読み返す。 ←読み返すに価する本や資料を揃えているか。 ・古典は、論文ではなく、備忘録や講演録などが残っている。
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著者の立場は最近読んだと同じ位置にいるのだろう。 大学が大学であるために何が必要であるのか真摯に考えられる関係者がもっともっと増えてもらいたい。 今までとは違う概念による学問とは何かという議論
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